歓喜/狂気

 西門を出ると、そこには見るも無残な光景が広がっていた。


 数十匹分のゴブリンの骨に紛れ、衛兵と思しき者が何人か横たわっている。

 更には門の近くに、ホブゴブリンのものと思われる巨大な骨が確認出来た。

 きっとこれを仕留めるために多くの兵士が犠牲になったのだろう。


 ダンケルドの衛兵達の装備は主に槍だった。

 距離を取って戦える分、ホブゴブリン相手にはかなり有効な武器ではある。


 しかし、それでもこれだけの被害を出してしまう。

 彼らはホブゴブリンと戦った事があまり無いか、初めてだったのだろう。


 敵の特徴を知る事。

 そしてそれに対する己の備えをする事。

 この原則はどこの世界でも共通だ。


「メアラ、治療を頼む」

「はい」


 門周辺には他に敵はいない。

 そこでこの場の救護はメアラに任せ、俺とベァナは更に北西を目指す事にした。

 見張りやぐらからの連絡によると、町に迫っている魔物の後続隊がいるようで、既に何人かの兵士が向かっているそうだ。


 目的地を目指しながら辺りの状況を確認する。

 しかし、農夫たちの姿は見当たらない。


「あの娘たち、ちゃんと避難出来たかしら……」


 ベァナも同じ事を考えていたらしく、不安げな表情で周囲を見回していた。

 そのまま北西に向けて進んでいると、ちらほらとゴブリンの姿が見られるようになってきた。こちらに向かってくる敵については倒していく。


「この様子だと、農作業していた人々は既に避難済みだと思う」


 あちらこちらに既に倒されたゴブリンの死体……つまり骨が落ちている。

 一方、農夫たちの姿は一切見られなかった。

 

 奴隷の管理者達はこういった有事の場合に備え、武装する事が多い。

 実際、ブレットも帯剣していた。

 この場にいたなら、彼女達が逃げる時間くらいは稼いでくれるはずだ。


 目的地周辺に到着し、辺りを確認する。

 少し離れた場所で乱戦状態になっているようだ。

 その中には巨体も二つほど紛れていた。


「どうやらホブゴブリンが二体いるようだな。あまり前に出ないようにして、周りのゴブリン共を倒してくれ」

「わかりました!」


 俺は多分苦戦しているであろうホブゴブリンの元へ急ぐ。

 片方は衛兵が十数人で取り囲み、なんとか戦えているようだ。


 しかしもう一方の巨体を相手していたのは……


 たった一人の若い男であった。

 そしてその戦いを、少し離れた場所から注意深く見守る女性剣士。


 二人とも見覚えがある。


 戦っている若い男はブレットだった。

 そして剣士のほうは……

 街中で恫喝どうかつされていた娘達を助けるべく現れた女性剣士だった。

 その際は義侠心ぎきょうしんに富んだ女性という印象を持ったのだが、今回に限ってはなぜか手助けをする気配が無い。


 一方ブレットはと言うと敵に一撃を加えてはいるものの、皮が厚くて全くダメージが通っていなかった。

 どう贔屓ひいき目に見ても、勝算のある戦いでは無い。


 女性剣士に声を掛ける。


「知っていたら教えてくれ。農作業をしていた人々の安否が知りたい」

「大丈夫だ。目の前の彼が先頭切って魔物を倒していたようで、全員無事避難した」


 彼は、自分の仕事を全うしていたのだ。

 心の中で胸を撫で下ろす。

 それにしても……


「それで……なぜ手助けしないのだ?」

「いや、彼がな。そのうち理由がわかる」


 彼の戦いぶりを見ているうち、一瞬その横顔が見えた。

 その表情は、以前見た彼とは全くの別人のものだった。


 その時は感情のかけらも感じられない人間にしか見えなかったのだが……


 今はどうだ?


 明らかに不利な状況の中、彼は全く場違いな感情を露わにしている。



 彼は戦っていたのだ。



 ある意味、異様な光景だった。

 一言で表すのであれば、それは……




『狂気』




 戦いの中、彼は俺が近くにいる事に気付き、声を上げた。


「これは俺の獲物だ! ぜーったいに手を出すんじゃねぇぞ!!」


 手助けをしないのではなく、手助けを拒まれていたのか。


 単独で戦いたいのは個人の勝手だが……

 この戦い方では勝ち目が無いだけでなく、命を落とす可能性もある。


「わかった。わかったからちゃんと弱点を狙え。そいつの弱点は喉元のどもとか、目だ」


 目も弱点だというのはイアンから聞いた。

 彼自身は隊長から教えて貰ったそうだ。

 喉元も目も刃が通りやすいという点で共通しているのだろう。


 しかし当の本人には、助言に耳を傾ける様子が一切無い。

 むやみやたらとホブゴブリンに斬りつけている。


 うーむ……

 このままでは時間の問題だ。


 横で黙って見守っている剣士に声を掛ける。


「剣士殿、奴の弱点については先程言った通りだ。多分彼はそう長く持たないだろうから、その後をお任せしても良いだろうか? あちらの戦況も思わしく無いようなのでな」


 十数人がかりで取り囲んでいたもう一方のホブゴブリンのほうも、既に数人が吹き飛ばされて陣形が崩れている。

 このままではまずい。


「心得た。お気を付けて」


 もう一方の戦いに駆けつける。

 何人かの衛兵で取り囲んでいたはずだったのだが……


 到着した頃には、戦える衛兵はほとんど残っていなかった。

 そこにゴブリンを掃討し終えたベァナが合流する。


「ベァナ、合流早々に申し訳ないが、ホブゴブリンとの戦いに協力してくれ」

「そのつもりです!」

「奴の弱点は前に伝えた通りだ。奴が棍棒を振りかぶったら目を狙ってくれ」

「わかりました」


 ホブゴブリンの前に対峙する。

 こいつの棍棒をまともに受けようとすると、武器毎吹っ飛ばされてしまう。

 実際に衛兵達も槍を飛ばされたり折られたりして戦闘不能になったようだ。


 俺はホブゴブリンが不審に思わない程度に、わざとギリギリのタイミングで攻撃を避け続けた。


 犬ですら三歳児程度の知能を持つと言われているのだ。

 目の前の怪物が子供程度の認識力を持っていても不思議ではない。


 しばらくよけ続けた後……

 俺は足元に、つまづいてしゃがみ込んだ。


 これを好機と捉えたのだろう。

 敵はいやらしい笑みを浮かべ、両手に持った棍棒を頭上に持ち上げていく。


「ベァナ」

「大丈夫です」


 ホブゴブリンの粗末な武器が、そいつ自身の頭上に来た瞬間だった。

 クロスボウのやじりボルトが敵の右目に突き刺さる。


「グアァァアアアアッ!!」


 頭上に掲げた棍棒を手放し、両手で目を覆うホブゴブリン。

 じきに膝から崩れ落ち、目を覆った状態で横倒しになる。

 そしてそのまま動かなくなった。

 クロスボウボルトが脳まで打ち抜いたのだろう。


「ベァナお見事。こいつらの脳も、ちゃんと頭に収まっていたようだな」

「ヒースさん。出来れば作戦は前もって詳しく教えて欲しかったです……」


 若干じゃっかん涙目な様子で訴えるベァナ。


「ベァナだったら俺の意図を汲んでくれると思ったからね。信頼している」


 照れる彼女を横目に、俺はもう一方の敵に目を向けた。

 ブレットはまだ持ちこたえているようだ。


「ヒースさん、私はここにいる衛兵さんたちを治療しますので、あちらの敵はお任せしても宜しいですか?」

「ああ、そうだな。申し訳無いがここは頼む」


 もう一方のホブゴブリンの元に向かっている丁度その時だった。



 ブレットが棍棒によって大きく吹き飛んだ。

 あの飛ばされ方は……かなりまずい!



「剣士殿! 彼に治療を行うので、そちらはお任せします!」

「承知!」


 ブレットは口から血を吐いていたが、まだ息はある。

 数分遅れていたら手遅れだったに違いない。

 かなりの重症であるため、何度か詠唱を繰り返した。


 俺は治療を続けながら、女性剣士の動きを追う。

 今まで剣をまともに扱える戦士はイアンくらいしか見ていなかったが、その戦いぶりを見て、彼女がかなりの使い手である事がわかった。

 敵の動きをよく観察しているようで、無駄な動きが少ない。


 そして彼女の使う剣。

 この辺りではあまり見かけない曲刀だ。日本刀にとても良く似ている。

 曲刀と言ってもシミターのような派手な曲がり方はしておらず、大戦中の日本軍が使っていたようなサーベルに最も近かった。



 しばらく避けるばかりの動きだったが、それは唐突に終了した。



 ホブゴブリンの振るう棍棒が勢い余って地面に叩きつけられたタイミングで、彼女は軽く飛び上がり、目の前に弧を描くように剣を一閃いっせんさせる。

 その切っ先きっさきは敵の顎の裏を正確にとらえていた。

 攻撃を受けた魔物は苦しみながらその場でもだえ、そして力尽きた。


 ブレットの応急処置が終わり、女性剣士に声を掛ける。


「なかなか良い腕をお持ちのようだ」

「いや。貴殿の助言が無ければ、どう戦って良いのか迷っていただろう。感謝する」


 言葉遣いは古めかしいが、見た感じからするとまだ10代に違いない。

 なぜそのような話し方をするのか興味があったので問いかけようとした所、目の前の若者の意識が戻った。


「おれの……獲物は……」

「もうとっくにそこの剣士殿が倒したぞ」

「手を出すなと言ったはずだ……」


 この若者は全然歯が立たなかった状況を理解していないのだろうか。


「ブレットさんと言ったな。あのまま戦っていても勝目はないし、下手すれば死んでいたのだぞ。なぜそれほど魔物との戦いに拘る?」

「……牙が無いと……エリザが……俺が解放しないと……」


 血が足りていないのか、まだ意識が朦朧としているようだ。


 最初に会った時のあの冷徹な表情からは、全く想像も付かない程の執着心。

 何か理由があるのは間違いない。

 しかし……


「ブレットさん。何か事情があるのは分かったが、君の怪我もかなり重症だ。エリザさんとやらを助けたいのなら、今は安静にしたほうが良い」


 それでも焦りの表情を見せる彼に、もう一言付け加えた。


「牙の事なら、回復後に相談に乗る」


 俺の言葉を聞いて安心したのだろうか。

 彼は緊張の糸が切れたように再び意識を失った。




    ◆  ◇  ◇




 ベァナが治療していた衛兵達の半数は軽傷のようだ。

 彼らは俺達に礼を述べ、他の重傷者に肩を貸したりして町に戻っていった。

 念のためベァナも、町までは衛兵に付き添う事になった。

 俺はブレットの治療をもう少し続けた後、彼をおぶって帰途に付いた。


「自警団の詰め所に行けば、休める場所があるだろう。ちょっと状況から言ってカルロ殿の屋敷にいきなり連れて行くのは問題がありそうだしな」


 帰る途中、女性剣士からの助言を聞きながら、少し話をした。

 彼女はセレナと言い、年は今年で17との事だった。


「かなり腕が達者なようだが、騎士団にでも所属されているのか?」

「出来ればそうしたかったのだが、父の許可が下りず残念ながら叶わなかった。しかしその代わり高名な剣士からの教えを受ける約束を取り付けましてね」


 親を説得して教師を付けたのか。

 裕福な家庭に育ったのかも知れない。


「それにしてもその若さであのような動きが出来るとは、相当練習を重ねて来られたのでは?」

「そうかも知れぬ。まぁ今まで女らしい事を一切やって来なかった故にな!」


 そう言いつつも彼女は楽しそうに笑っていた。

 剣術が好きなのだろう。


「別に剣術は男性の特権というわけでも無いし、結構な事と思いますが」


 それを聞いた彼女は意外に思ったのか、真顔になった。


「貴殿は不思議なおのこであるな。親からも見合いの相手からも、剣術などせずに料理や家事の修業をするべきだと言われ続けて来たのに」

「しかしどちらにせよ、剣術の道を諦める気は無いのでは?」

「当然だ。そんな相手はこちらから願い下げじゃ!」


 なんとも気持ちがいい程の気風きっぷの良さだ。


「ヒース殿と言ったな? 貴殿もなかなかの剣士だとお見受けする。また機会があれば、お手合わせ願えぬだろうか?」

「タイミングさえ合えば喜んで」

「それはありがたい。それでは私はこれにて失礼させていただくとする。貴殿の奥方の視線が怖いのでな」


 奥方?

 そう言われてみると……



 右斜め後方から感じる、このプレッシャーは!?



「ヒースさん。随分楽しそうでいらっしゃいますね」



 振り向くとそこにベァナが。

 このパターンは……



 ここは『敢えて普通に会話を続ける作戦!』で行く事に!



「ああ。なかなか凄腕の剣士さんでね。多分今まで見た剣士で一番じゃないかな」

「私にも剣術教えてください!」


 そう来たか。


「あまりあれもこれも手を出すと、中途半端になってしまうよ。というか彼を自警団の詰め所に連れて行きたいのだが、場所を教えてくれないか」


 ベァナも俺の背中でぐったりしているブレットを見て気の毒に思ったのだろう。

 気持ちをすぐに切り替え、衛兵に場所を聞きに行ってくれた。



 詰め所はそれほど遠い場所ではないらしい。

 すぐに連れて行き、敷物の上に寝かせる。


 彼の回復を待ち、事情をたずねねたのだが……




 そこで聞いた内容は、俺の予想を遥かに超えたものだった。



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