隷奴

 この短かった旅も最終日の四日目。


 今日の午後には町に到着するようで、それは馬車から見る景色で実感出来た。

 広々とした耕作地が見えて来たのだ。

 ベンの話だと、この辺りでは麦や豆類を生産しているという話だ。


「ダンケルドは大規模な農園を営んでいる農家が何件かあって、多くの奴隷を抱えているんですよね」


 奴隷。


 アラーニ村に奴隷は居なかったが、この世界では極めて一般的な制度らしい。

 ベァナも特に驚いた様子は無かったので、常識なのだろう。


 しかし元の世界の常識が身に染みついている俺からすると、あまり気分の良いシステムではない。

 俺のそんな気持ちを察してくれたのか、ベァナが補足してくれた。


「奴隷の仕組みは元々生活に困窮こんきゅうした人を救済する目的で作られたと言われています。だからそのあるじは、彼らが労働して得た収入を得る代わりに、自分の奴隷達をしっかり養わなければいけない、という規則があります」


 ええと……

 聞いてる限りだと会社員みたいなもののように思えるが……

 なぜ奴隷という呼び名が付くのだろう?


「規則という事は、何かしらの罰則とかがあるのか?」


 ベァナも詳しい事は知らないらしく、その後の話はベンが引き継いでくれた。


「まぁヒースさんなので先にお話しておきますが、かなり抜け道の多い決まりなんですよね。結局の所、主となる方の人柄次第といいますか……」


 ますます会社組織を彷彿ほうふつとさせる仕組みだ。

 結局、金を握っている人間が一番強い。


「今通ってる街道沿いの農地の主は、とても良い農園主だと聞いています。普通の従業員と同じように扱ってくれるそうです」


 それを聞いて少し安心する。

 しかし良い人もいれば悪い人もいるのがこの世の中だ。

 きっとそういった仕組みや立場を悪用する奴らもいるに違いない。


 考えるだけで腹立たしくなってくるが、この辺りで働いている人々はベンの言う通り、その表情に暗さはない。働きぶりも一生懸命だ。

 一見すると彼らが奴隷かどうか全く分からなかったのだが、道のすぐ近くで働く農夫の首に魔法で描かれた模様がある事に気付き、驚くと同時に悟った。


(きっと彼が奴隷の身分にある人なのだろう)


 その模様は署名魔法オートグラフを使った時に出現したものとよく似ている。

 しかし署名魔法は生物相手には使えないと聞いていたが……


「ベァナ、あの模様はオートグラフではないのか?」


 俺は遠くまで外に声が届かないよう、控えめに聞いた。


「描かれている模様は同じものなのですが、魔法ではなくて魔法協会で手続きした際に発現する模様らしいです。管理者を識別する為のものだとか」


 人に刻印を施すとは、なんと悪趣味な!


 もしこれがこの世界の神による行いだとしたならば、よほど人間離れした感性の持ち主なのだろう。

 まぁ人ではなく神だから当然なのかも知れないが……

 俺とは全く分かり合えない存在に違いない。


 ただこれがこの世界のことわりなのだとしたら……

 少なくとも表面上ではそういうものだと受け入れるしかない。


 それに先程の農夫も含め、ここで働いている人達に悲壮感は感じられない。

 このシステムのセンスの無さは許せないにしても、この農場の経営者とは分かり合えそうな気がした。



 しばらく続いた田園風景の中、遠くに巨大な一枚岩のような人工物が見えてきた。

 ダンケルドの防壁だ。

 それほど高い壁では無かったが、ホブゴブリン等の侵入を防ぐには十分役立つであろう、石作りの頑丈そうな壁である。

 関所で聞いた話を裏付けるかように、町の入り口でも検問が行なわれていた。


「ここの検問も普段はかなり簡単なチェックだけで終わるのですが……やはり北の騒ぎのせいで長くかかりそうですね」


 検問待ちなのか、そこにはかなりの台数の馬車が並んでいる。


「えー、こんなに待つんですかー? チーズ売り切れちゃう!」


 先日別の行商人に譲ってもらったオリーブオイル漬けチーズがよっぽどお気に召したらしく、ベァナは町に入ったらまずその店に行くと決めているのだ。


 そうでなくても色々とやらなければならない事が多い。

 冒険者カードの発行、戦利品の換金、ティネさんへの挨拶、宿の確保……



 衛兵も大変だと思うが、ベァナの機嫌を損ねるほうがもっと大変だ。

 俺は少しでも早く、この行列が進むことを祈っていた。




    ◆  ◇  ◇




 そもそも無神論者の俺が、どの神に祈っていたというのだろうか?


 俺の祈りが誰かに届いたのかを確認する術は無い。

 きっとどこにも届かなかったのだろう。


 検問が全く進まなくなっていた。


 どうやらかなり前の馬車がトラブルを起こしたらしく、揉めているようだ。

 そちらで揉める分には一向に構わないが……

 火種はこちらでもくすぶっている。

 もはや発火寸前だ。


「……チーズ売り切れていたら……泣きます」


 そんな状況が続いていたので、ベンが機転を利かせてくれた。


「実はダンケルドには西門というのもあるのです。もしかしたらそちらなら空いているかも知れませんので、西側に回ってみましょう」


 ダンケルドの周辺は農耕が盛んで、町の周りには耕作地が広がっている。

 そのため町を取り囲むように農道が整備されており、俺たちは町を迂回うかいする形で西の門に移動する事にした。





 移動途中にも、まばらながら農作業をする人の姿があった。

 しかし町の北側で働いていた人々に比べると、この西側の人々はあまり活発そうには見えない。やる気が感じられないというよりも、生気を感じられなかった。


「大きな声じゃ言えないのですが……この辺の管理をしている農園主は、この町の中では一番奴隷の扱いが酷いという噂なんです。まぁ見れば分かる通りですが」


 そもそも着ている服からして違っていた。

 北の耕作地にいた奴隷達は、普通よりも優遇されていたのだろう。

 彼らは一般市民となんら変わらない服装だった。


 しかしこちらの奴隷達は……

 その身なりはまるで囚人だ。

 仕える主によってこうも待遇が違うとは……

 世の不条理というのはどの世界でも起こりうるという事か。


 とは言え、俺たちに何が出来るわけでもない。

 管轄する人間が上に立っている以上、そこへの干渉はトラブルの元だ。

 彼らはそういう契約を行っているのだ。


 自分の非力さを痛感している中……

 ふと畑の傍に横たわっている奴隷の少女が目に入った。

 その近くにもう一人、同じ立場と思われる少女がしゃがみ込んでいる。

 横になっている子の心配をしているらしい。


 回りを見渡すが、管理者らしい人間は見当たらない。

 管理者であればその身なりですぐに見分けられるはずだ。


 俺はベンに馬車を止めてもらって、その場に駆けつけた。

 ベァナも俺に続いて馬車から降りようとする。

 彼女たちの首筋には隷属を表す模様が描かれていた。


「どうしたんだい?」

「あの……ニーヴちゃんがうごけないです」


 どうやら横になっている薄水色の髪をした少女がニーヴというらしい。

 表情は苦しそうで、心なしか顔が赤い。


「ごめん、ちょっと体調を確認させてくれ」


 何かの感染症かも知れなかったが、構わずニーヴの額に手を当てた。


 熱い。

 俺は医者では無いので原因の特定は出来ないが、発熱の原因として考えられるものは菌やウイルス、各種毒素、体組織の炎症などによるものである。

 やけどや熱中症など、体の機能によって引き起こされるものもあるが、やけどはしていなさそうだし、今日はそれほど暑い日ではない。


「きみ、お名前は?」


 俺はしゃがみこんでいる薄桃色の髪の少女に、なるべくやさしく声をかけた。


「プリム……です」


 気付くと近くにベァナも駆けつけていた。

 横になっているニーヴを心配そうに見ている。


「プリム、ニーヴは何かの病気かも知れない。病気を直すための魔法をかけたいんだけど大丈夫?」

「おねがいしますです!」


 俺は右の掌をニーヴの額に近づけ、アンチドートの魔法を唱えた。




── ᛚᚨ ᛗᛏᚱᚨ ᛞᛖ ᛗᚨᛚᛒ ᚱᛖᛞᚴ ᛟᛗᚾᛋ ──




 魔法はしっかり発動した。

 しかし暫く様子を見ても症状の改善は見られない。

 アンチドートは解毒魔法なので、原因は別にあるという事か。

 となると……


「ベァナ、大変だとは思うがディスインフェクトの詠唱を頼めないか?」


 こういった時、ベァナの性格ならすぐに快諾してくれるはずだ。


「……」


 一瞬の間が空く。


「……わかりました……あの、念のためマナ供給をお願いできますか」


 彼女には珍しく即答しなかったが、そういう事か。


「もちろんだ。それで、どうやるんだ?」

「あの……て、手を……握ってもらえますか」


 彼女はそう言って自分の左手をそっと差し出した。


(なるほど、そういう事か)


 マナは基本的に体内にあるものを消費する。

 こうして体同士が触れ合う事でマナを融通できるという事か。


 俺は彼女を手をそっと掴む。

 自分の手とは違い、きめ細やかな感触がした。


「私の手にマナを送るイメージを思い浮かべてください。まだ明るいのでディスインフェクトなら、この方法でもマナ供給は間に合うと思います」


 外の明るさとマナ供給に何か関係あるのだろうか?


「それでは始めます」


 彼女は右手をニーヴにかざし、詠唱を始めた。




── ᛚᚨ ᛗᛏᚱᚨ ᛞᛖ ᛚᚨ ᛗᚳᚾᛟ ᚺᚨᛚᛏ ᛟᛗᚾᛋ ──




 呪文自体はアンチドートとかなり似ている。

 呪文の中身が少し違うだけだ。

 これもきっと何か意味があるのだろう。

 詠唱は無事終わり、しっかり発動したようだ。


 ベァナは少し疲れているようだが、動けないという程ではない。

 倒れていたニーヴの様子を見てみると、苦しそうな表情が和らいでいた。

 魔法が効いたという事は、風邪やインフルエンザのたぐいだったのだろう。


「ニーヴちゃん!」


 プリムが声を掛けると、ニーヴの目がうっすらと開いた。


「……あ……プリムちゃん……この人たちは?」

「ニーヴちゃんをたすけてくれたです」

「そうなんだ……お姉さんお兄さん、ありがとうございます」


 ニーヴはそう言うと、横になったまま俺とベァナを交互に見比べた。 


「プリムちゃんとわたしみたいに、お二人は仲良しさんなんですね」


 ん、どういう事だ?

 そう思っていた俺に、伏し目がちのベァナがこう言った。


「ヒースさん……手」


 マナ供給のために手を握ったままだった。

 ニーヴの容体ばかりに気を取られていて、すっかり忘れていた。

 しかもちょっと力み気味だったかも知れない。


「ごめん!」


 さっと手を放す。

 そんなやりとりを笑顔で見ていたニーヴだったが、その後すぐに困り顔で申し出をしてきた。


「あの、私たち何も持ってないので、お礼が……」

「心配しないで。君たちから何も取ったりしないよ」


 彼女たちはこれまでずっと、誰かに搾取され続けてきたはずだ。

 なのにそれでもなお、自分が受けた恩を返そうとしている。




 なぜだ?


 なぜこんなにも正しい人間が、このような仕打ちを受けているのだ?




 こちらに来たばかりの俺は、この未開の土地に対して色々な期待をしていた。

 しかし結局のところ、これが現実だった。


 正直者が馬鹿を見る世界。

 ここはその言葉が生まれた元の世界より、もっと非情で過酷な土地だった。






 この世界に、本当に神など存在するのか?






 どうしようも無い事実に悶々もんもんとしていた俺とは違い、ベァナは俺の出来損ないの返答に適切な補足をしてくれた。


「もし管理者さんに何か言われても、病気だった事とか黙っているようにね。私たちがあなたたちに勝手に話しかけていただけ。わかった?」

「はいです」

「ありがとうございます」


 ああそうか。

 彼女たちに何かを施すのも、危害を加えるのも、全ては管理者許可の元で行われなければならないのか。

 つまり非常に嫌な言い方をすると、他人の持ち物に勝手に触るなという事だ。


 少し疲れている様子の彼女達に、俺は修業がてらマナヒールの魔法をかけると、彼女たちは元気が出て来たと言ってはしゃいでいた。

 俺は二人に、効果は一時的なものなので無茶をしないように伝えた。


 しかしこんな姿が見られるなら、ひとまず安心という所か。




 そうこうしているうちに、彼女たちの管理者と思われる若者が歩いて来た。

 彼がこの子達の……


 若者はベァナのすぐ横を通ろうとしていたので、悪さでもしないか注視していた。


 しかし彼はベァナに全く興味を示さなかった。

 それどころか一瞥もせずに少女達の元に歩いていく。


 仕事熱心なのか他人に興味が無いのか……

 珍しい人もいるものだと思い、どんな表情をしているのかを確認してみると……



 彼には表情が無かった。



 人が持っているであろう、いかなる感情も感じ取れない。

 彼の応対はあくまで業務的だった。


「失礼します。うちの奴隷達に何かご用でしょうか」

「いえ、ちょっと彼女達に話しかけていただけです」

「仕事の邪魔をしないでいただけると助かります」


 管理人はあくまで無表情でプリムとニーヴを仕事場に戻し、そして他の奴隷の様子を見に行ってしまった。


 悪意が感じられたわけではない。 

 冷徹とも違う。

 他人にも奴隷にも仕事にも、何に対しても関心がないような態度。

 それは奴隷達よりも、更に心に余裕が無い人間の姿に見えた。



 慌てて持ち場に戻って行く二人の少女は、途中俺たちのほうを振り返った。 

 俺が手を振っているのを見た彼女たちは、お返しに手を振り返してくれた。


 まだまだ沢山遊びたい年頃だろうに……

 この世界は本当に理不尽で出来ている。





 こちらに来てから、色々な事に慣れてきたと思っていた。

 だが、まだまだそうではなかったようだ。



 奴隷達に対しても。

 管理人の彼に対しても。



 『仕方が無い』事とは済ませられない自分がここにいた。



 良かった。

 俺の本質は何も変わってなどいない。

 元の世界のままだ。


 俺はそう自覚し、心から安堵した。


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