episode11 第3話

 ゴクリと息を呑む。

 何度も瞬きをして、頭の『上の』耳を確認した。

 さらに依頼者がロングコートを脱ぐと、衝撃的な光景が飛び込んできた。

 Tシャツにハーフパンツ姿。衣服から伸びた手足は薄茶色の毛で覆われていた。手足どころか、全身、毛に覆われている。

 パッと見、全身毛だらけの人型の着ぐるみが目の前に立っている。

 その顔は、犬のように口が前方に突き出していて、頭にはピンと天に伸びた耳が左右に付いている。

 ハロウィンの仮装か? しかし、着ぐるみにしては小さく、依頼者の体にジャストフィットしている感じだ。

 特殊メイクの専門家がオーダーメイドで作れば可能かもしれないが、姿をカモフラージュするのに、わざわざそんなことをする意味がない。

 何より本能というか、人間の奥底にかすかに残った野生が、目の前の生物がヤバイものだと警鐘を鳴らしている。

 恐怖で足がすくむ。まるで猛獣の檻の中に入れられたような気分だ。

 思わず腰を抜かしそうになるのを何とか耐えた。が、無意識に、一歩二歩、後ずさる。ガシャンと、背中に鉄格子がぶつかった。

「どう……でしょうか?」

 そう問いかけると、依頼者なぜか恥ずかしそうに目線を落とした。

「何と言ったらいいか、言葉が上手く出てきません。念のためお訊ねしますが、それ、着ぐるみ、って訳では……?」

 依頼者が首を横に振るたびに、鼻の横に伸びたヒゲが揺れる。

 こんな生き物は今まで見たことがない。

 俺は夢か幻でもみているのだろうか?

 とは言うものの、映画やゲームなどの想像上、伝説上の生物だって、俺は見たことがないが、それらの絵や写真が存在している。一般的には実在しないとされているが、本当にいないと証明された訳ではない。つまり、可能性はゼロではないのだ。

 狼男、吸血鬼、雪女、人魚、ネッシー、ツチノコ……。あげればきりがないが、実は俺が知らないだけで、この世界にはそれらに類する希少な生き物が、人知れず存在しているのかもしれない。

「その……。旦那さんとお子さんも、何と言うか、あなたと同じような……」

「いや、二人は人間じゃ。旦那様は完全に、息子は私とのハーフになるので、純粋にとは言い難いのじゃが、それでも見た目と遺伝子的にはほぼ人間じゃ」

 さっき写真を渡したじゃろ? と依頼者は付け加えた。

 確かに写真の中の二人は普通の人間に見えたな。

 ん?

 依頼者の喋り方が急に変わったのに気付く。

「あの、喋り方が……」

「うむ。ここまで姿を晒したのじゃ? 普段通りの話し方に戻ってもいいかの?」

 首をやや斜めにかしげ、つぶらな瞳で見つめられる。

「え? ええ……」

 無垢な目が、俺を素直にうなずかせた。

「ありがとうなのじゃ。ええ~っと、そなたの名は……」

「近藤武蔵、です」

「ほぉ~。コンドームサシ。武蔵じゃな。了解した。しかし、慣れない喋り方じゃと肩が凝って仕方ないわ」

 そう言うと目の前の女性は肩を回してみせた。ふっさふさな毛が波打つ。

「私の名前はイネコ。犬山(いぬやま)イネコじゃ」

 イネコは口角を盛大に上げて笑顔を向ける。それから、鉄格子に背中を預けた俺の手を握って引き寄せてくれた。

「すまぬ。驚かせてしまったな」

「ええ」と言いかけて、とっさに「いえ」と否定する。見た目に驚いたなんて言われて、気分のいい人はいないからな。

 気分のいい人? 果たして彼女は、人、なのか……?

「よいよい。ビックリするのも無理はなかろう。服を脱いだら、こんな毛玉が飛び出して来たのじゃ。ワシなら逃げ出すレベルじゃ」

「ありがとうございます。犬山、イネコ、さん?」

 確かめるようにその名を呼んでみる。

 名は体を表すと言うが、イネコでいいのか? イヌコじゃなくて?

「ワシの尻尾が稲穂に似ているってご主人が付けてくれたのじゃ。ご主人は犬の次に米好きでな」

 そう言うと、お尻と一緒に尻尾を振って見せてくれた。確かに、風に揺れる稲穂のようだ。なるほど、文字通り名は体を表す、だな。

 ちなみに夫の名前は、犬尾(いぬお)。息子が太郎(たろう)だそうだ。



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