episode8 第15話
「なぜ、あなたはそんなに事情に詳しいの?」
彩音は、うつむいたまま自嘲気味に笑う。
「言ったでしょ。矢追教授の反対を押し切り、無理やり実験を推し進めたスポンサーがいたって……。そんな愚かな人間だって子供は作れる。親にはなれるのよ」
そうか、彩音はそのスポンサーの……。それでその罪滅ぼしをしようと、由愛のことを気にかけていたのか。
「子は親を選べない……。被害者も、加害者もね」
誰に聞かせるともなく彩音は、ポツリと漏らした。
「あなたはこれでもそんなものが矢追さんの目標だって、夢だって言うの!」
屋上を強い風を吹き抜けていく。
「それは……」
俺はいつの間にかフェンスの金網を握りしめていた。
見下ろすと、グラウンドには、元気な声をあげて陸上部が、額に汗して月末に行なわれる大会を目指して練習していた。もしかするとこの中には、将来オリンピックにいくような選手もいるかもしれない。
それはとても夢のあることだ。だが、彩音の言ったことが真実ならば、彼女たちがみている夢と、由愛がみている夢の本質は違っているだろう。
熱を持った鉄のフェンスが指に食い込んで痛んだ。それが俺を現実世界に引き戻す。全身が粟立つ。気が付くと、俺は寒くもないのに震えていた。由愛が夢だと口にしたもの。それは、たかだか15、6の子供が背負うには過ぎた重責だ。それを彼女はいつも涼しい顔で、あまつさえ夢なんて言葉で笑って話していた。
それなら、由愛にとって夢ってなんなんだ?
そんなことを考えたところで、夢のない俺には分かるはずもない。
「…………」
俺はうつむき押し黙ることしか出来なかった。
そうやっているうちにも夕日は落ちていき、足元の影が徐々に伸びていく。どんなに願っても、この影の先端には絶対に追いつくことが出来ない。それは絶対に叶わない夢だ。
その影が、由愛と話した、『アキレスと亀のパラドックス』のように思える。
「くっ!」
マイナスな気持ちに目を閉じた瞬間、不意に由愛の笑顔が脳裏に浮かぶ。
あんなに嬉しそうに自分の夢を話していた由愛。彩音の言うように、それを重荷に感じているならあんな風に笑えるだろうか?
そもそも、由愛は何と言っていた?
由愛は、母親が何をしたかったのか、見ていた世界を感じたいと言っていた。そして、その時間こそが母親と過ごす時間と同じ。夢のような時間だと言っていた。それは決してマイナスなものではなく、前向きなものだ。
そう……。由愛は両親を恨んでなんていない。そこには痛みや悲しみ、ましてや復讐心なんてない。いや、彼女は誰も憎んでなどいない。
そりゃ確かに、本当の意味で由愛の夢のことは分からない。だけど、彼女自身のことなら分かる。由愛は自らの不幸を嘆くような子でもないし、いつも自分のことよりも他人のために動いていた。
知り合って二週間も経っていないが、由愛は間違いを犯すようなことはしない。それに、もしも間違った道を進んだとしても、たとえその夢が叶わなかったとしても、後悔などする子じゃない。ましてや絶望なんてするはずはない。それだけははっきり分かる。
そうだ……。由愛にとって、大切なのは研究成果なんかじゃない。その足跡を辿ることこそが、由愛にとっての夢なんだ。
結果を恐れず、ひたむきに前だけを向いて進む。何があっても自分の決断を信じて、うつむくことなんてしない。
それが夢――。
それが夢をみるということ――なんだ!
俺は目から鱗が落ちたような心持ちになる。
「ユメ……」
そう口にするだけで、俺のもっとも深い部分が熱く燃えたぎるのを感じる。
「ユメ……」
その響きだけで、一人の少女の、無邪気であどけない笑顔が浮かんでくる。
「ユメ……」
――そう由愛は夢なんだ。
「何?」
意味不明な言葉を連呼している俺に痺れを切らしたのか、彩音に鋭い視線を向けられる。
「郷力さんは間違っているわ」
俺は真っすぐに彩音の目を見て言い放つ。
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