episode8 第13話
「好き……」
愛しい人へ囁くように呟く由愛。
薄桃色のぷっくりと丸みを帯びた唇をこちらへ向けている。長いまつ毛がツンと上を向いてる。整った顔のパーツが綺麗に整列をして俺を見上げていた。上気しているのか、頬がうっすらと赤みがかっている。
これは世に言うキス顔というやつではないのか?
ドキドキ――。ドキドキ――。
由愛の顔を見ているだけで、胸の鼓動が高まる。何だ、この気持ちは……。
そりゃ、由愛は綺麗だけど、それだけでこの子を好きになるなんてありえない。いや、由愛は外見の美しさだけでなく、自分の夢を堂々と言える強さと、女性らしい優しさも持っている。
そうだ……。由愛は、今まで俺が知り合った人の中で、もっとも魅力的な女の子だと言っても過言ではない。
ドッ! ドッ! ドッ! ドッ!
胸が早鐘を打つ。
意識すればするほど、想いはより明確に形になっていく。もしかすると、俺は由愛のことが……。
――好き――なのか。
そっと由愛との距離を縮めてみる。と、ほんのりと色づいた頬に自然と手が伸びた。そして、肌と肌が触れ合う刹那、
「イメージ出来ましたか?」
由愛の眼がぱちりと開いた。くっきり二重まぶたがキラキラと輝いている。
「イメージして、それに向かって頑張れば、きっと夢は叶うんだと思います。もちろん、願えば何でも叶うわけではないでしょうが、少なくともそこに近づくことは出来るはずです」
ニコッと笑うと、八重歯がチラリと覗いた。
「具体的には、夢が形になるには何が足りないのか。そのためには、いつまでに何をやって、そのためには何をやる必要があるのかを洗い出して実行するんです。そうすることで、こうぼや~っとしていた形のない夢が、より明確なビジョンとして自分の中に生まれるんですよ」
「なるほどね~。夢みれば、夢も夢じゃないってことね」
そういえば以前オヤジが、憧れにしている筋肉隆々の外国人俳優のポスターを見ながら、『イメトレよ、イメトレ!』って言って、筋肉トレーニングをしていたのを思い出す。何でも、理想としている美しい筋肉をイメージしてトレーニングすることで、自分が思い描いている筋肉を作り上げるのだと言っていた。その時は、オカマの戯言と思っていたが、あれにも意味があったんだなと今更ながらに思う。
試合前のスポーツ選手がよくやる、ある種の自己暗示みたいなものに近いのかもしれない。
「そのために今は沢山勉強して、大学に入学するのが当面の目標なんです。それから、母が所属していた研究室に入って、母の夢みていたものを私が叶えられたらなって思います」
そうか……。それが、由愛の夢。
「矢追さんは、本当にお母さんのことが好きなのね」
「はい。母にはもう会うことは出来ませんが、今も何となく誰かに見守られているような気がするんです。夢の世界とか、死後の世界とか本当にあるかはどうか分からないんですが、もしかするとそういう所から、母が見守ってくれているのかなって」
「そう……」
なんて素直で良い子なんだ。
自身の夢に向かって真っ直ぐなその瞳は、恋する乙女のもので、俺はそんな風に輝いている由愛を思わず抱きしめたくなる。
「夢……か……」
それが、彼女を輝かせているものなんだな。
「ゆめ……」
確かめるように、その響きを噛み締める。
「はい」
ニッコリと由愛が返事をする。
「え?」
「今、『ゆめ』って言ったじゃないですか。ユメは私の名前なんですよ」
「ああ~。そうだったわね。いい名前ね……。」
「はい。私もこの名前をとても気に入っています。何だか夢がありますよね」
由愛は生徒手帳に挟んでいた四角い紙のようなものを取り出す。それは一枚の古ぼけた写真で、かなり色褪せている。どうやらそこに彼女の両親が写っているようだ。
「ゆめ……。この名は、お父さんとお母さんがくれた私の最初の宝物なんです。たとえ離れていても、絶対に断ち切れない大切なもの。私と二人を繋ぐ絆なんです」
「絆……」
「なんて、そんなに大それたものじゃないですけど、二人が何を想ってこの名前を付けたんだろうな~って考えるだけで嬉しくなるんです」
そう言うと由愛は目を細めた。自分の名前だけでこれほど感動できるなんて、この子はやはりただものではないと思う。俺から言わせると、名前なんて、ただの呼称で特別な意味なんてないと思っていた。
それに、俺自身の名前を考えてみると違う意味で笑えてくる。『こんどーむさし』って何の冗談だよ。まっ、オヤジらしいと言えばそれまでだが、確かにそこに何か感じるものがある。そこにオヤジの意思と言うか、魂を感じられるような気がする。
親に捨てられ一人ぼっち。そんな、不遇にまみれていた俺に、いつもふざけて馬鹿ばかりやっているオヤジ。思えば、今までの人生、良くも悪くも笑いに溢れていた。落ち込む暇なんてなかった。この名前も、今までは下らない冗談に思えたが、よくよく考えてみるとオヤジはそういう願いを込めたのかもしれない。小さな不幸なんて笑い飛ばして生きろと、この名がいつも俺を励ましているようにさえ思う。
――こんどうむさし
そう心の中で呟くだけで、胸の奥が熱くなるのを感じる。
これが絆……?
「分かる……。分かるわ……」
俺は一人うなずく。由愛も、無言でうなずいた。
「ユメ……か……。綺麗で、とてもいい響きね……」
「ムツミ先生もそう思います? だったら、私のこと、名前で呼んで欲しいです」
「え……。それは……」
女の子を名前で呼ぶのは、何だか気恥かしい。だけど、由愛の期待した顔を見ると、そのお願いを拒否するのは不可能なようだ。
「それじゃあ……。ゆ、ゆめ……さん?」
由愛は声が小さいのが不満だったのか、「ん?」と、わざとらしく耳に手を当ててこちらに向けている。
「由愛……さん」
「はい」
おっかなびっくりでその名を呼ぶと、由愛はニッコリと微笑んだ。そして、手に持っていた写真を渡してきた。
「私の父と母、矢追悠人(ゆうと)と麻耶です」
これは、若かりし頃の矢追夫妻か……。寂れた狭い研究室に、白衣姿の二人がそこにいた。自然と互いの手を重ね合わせているその様子は、何だか幸せそうに見える。
「へー。由愛さんはお母さん似なのね」
写真の中の麻耶と目の前の由愛を見比べると、二人が間違いなく血の繋がった親子だと誰もが信じるだろう。
「あれ?」
唐突な違和感。既視感とでも言った方がいいのだろうか? 麻耶の姿を見るのは初めてなはずなのに、どこかで見たような気がした。よく似た顔がすぐ近くにあるので、明確に初見とは言い辛いが、どうにも妙な感じだ。
白衣の上からでも分かる膨らみ。ふわふわの髪……。やはり、由愛以外の誰かを連想させる。
「どうかしましたか?」
「ううん。何でもないわ……。何でもね……」
俺は由愛の言葉で我に返った。が、俺の中にある疑念は頭の片隅でムクムクと大きくなっていた。
*
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