触手は支える

「帰ろうか、人間くん」

「わかりました、シュレーディングさん……」



 外に出てもシュレーディングは触手を離さず、見えない俺を誘導しながらそこは右だよ、だとか、段差があるよ、だとか、補助めいたことを言ってきた。

 どうして外に出たのに視界を塞がれているのかとかはともかく、これが俺を手なずけるための策だとしても、随分とよくできているなと思う。

「さて……もう充分離れたね。そろそろ大丈夫だろう、視界を解放するよ」

「はい」

 シュレーディングが触手を解く。途端に入り込んできた日の光が俺の目をさして、頭がくらくらした。

「眩しいかい」

「眩しいですね」

「慣れるまで待とう。さ、そこの木陰へ」

 シュレーディングが触手を肩に回し、誘導しようとする。

「いえ、大丈夫です」

「無理はよくない。待ちたまえ」

「……はい」

 俺は頷き、素直に誘導された。


 木陰。

 何の木だかわからない大きな広葉樹が影を落としている。

「……さて」

「はい」

 何か言われるのだろうか。

 俺は身構える。

「大丈夫かね?」

 何を喋った、などと聞かれるかと思っていたのだが、聞かれたのは随分と悠長なことだった。

「何が、ですか」

「一応目を塞がせてもらったときに確認はしたが、どこか怪我など痛いところはないかね」

「ないですね」

 目を塞がれていたときやけにごそごそするなと思ったが、あれは怪我を確認していたのか。

「それはよかった。だが、脳が興奮して痛みを感じていない可能性もあるので、後で寮に医療班を向かわせる」

「いいですよそんなのは……」

「万が一のことがあったら怒られるのは私だからね。これは私のリスク管理でもあるのだよ」

 そう言われると断るわけにもいかなくなる。

「そういえば」

「何かね? 何でも聞きたまえ」

「どうして社員さんは来なかったんですかね」

 後から合流すると言っていたのに。

「…………」

 シュレーディングが黙り込む。

「シュレーディングさん?」

「……完全に隠すこともできる。だがそうすると君からの信頼を損ねてしまうからね。なので今回は、『往来で言えることではない理由だ』とだけ言っておこう」

「……」

「今回の件の後始末がついたら、また君にも伝える日が来るかもしれない。制限が多くてすまないね」

「いえ。社外秘なら仕方がないですから」

「そう言ってくれると助かるよ。無理を強い過ぎているかもしれないが」

「いえ……」

「すまないね」

 シュレーディングが触手を俺の方に伸ばす。

 頬に触手が触れて、すり、と滑った。

「な……?」

「おっとすまない……間違っていたか」

「な、何がですか」

「人間のコミュニケーションでね……本を読んでいたところ、頬を撫でるというのがあって、それを君にも実践してみようとしたんだが」

「ああ、なるほど……なるほど?」

「やはり実践は難しいか……すまないね」

「いえ……間違ってはないです、それで合ってます」

「本当かい!」

 ぱあ、とシュレーディングの雰囲気が明るくなる。

「嬉しいね。人権派の蛇としては、人間へのより良い接し方も覚えていかなければいけないからね。また君にも色々聞いていくと思うが、嫌がらずに付き合ってくれたまえ」

「ええと、はい」

 要は、俺はこれからシュレーディングが将来的に他の人間と接していくためのコミュニケーションの実験台にされていくということか。

 字義通りに取るならば、良い傾向だとは思う。

 だが少し、ほんの少しだけ。

 心を何かで引っかかれるような感覚を覚える。

 それが何かはわからなかった。

 しかしどうせ日頃から調子はよくないのだ、それが何であっても変わりはない。

「さて、視界の具合はどうかな?」

「もう随分よくなりました」

「そうか! じゃあ、寮まで送ろう。安心したまえ」

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