第170話 山頂での一夜

 三日が過ぎていた。一八と玲奈はカントウ連合国との国境線付近に到達している。

 峠越えと聞いていたけれど、その実は明らかに登山。長く使われなかったからか、街道は道なき道となっていた。


「これは骨が折れるな……」

「ルートは間違っていないはずだが……」

 切り立った崖になっていた。地殻変動が起きたのか、或いは崖が崩れて街道であった場所を完全に塞いでしまったのか。既にエアパレットで進むような道ではない。


「ちっ、雪が降ってきやがった……」

 季節は夏の終わりを迎えた頃だ。従って雪が降るなんて考えもしていない。


「かなりの標高だろう。思えば天軍が侵攻に苦労しているのも、こういった環境だからかもしれんな……」

 玲奈が返答する。二人は防寒具を用意していない。かじかむ手で岩を掴み、崖を登るしかなかった。


「いや、これはオークでも進める道じゃねぇな。タテヤマ連峰よりもキツいんじゃねぇか?」

「絶対に滑落するなよ? 貴様の巨体が落ちてきたら、私じゃどうにもできん……」

「何なら先に行くか?」

「行くか! 下から視姦されるくらいなら、滑落した方がマシだ!」

 そんな玲奈の返しに、まだ彼女には余裕があるのだと一八は察している。並の女子では不可能だ。このようなルートと分かって送り出したのかは不明であるが、人選は間違っていないと改めて思う。


 このあと三時間を費やし、二人は頂上らしき場所へと到着している。

 そこは一面の雪に覆われていた。夜中であったというのに、これでは野営もままならない。


「とりあえず飯にすっか。飯を食ったらまた進もう……」

「うむ。こんなところで一八と凍死とかシャレにならん。せめて雪が降っていない場所まで降りていくしかないな」

 一八は臨時の休憩場にしようと降り積もった雪の壁を掘り始めた。少しばかりは風雪を凌げるだろうと。


「よっしゃ、中に入るぞ……」

 風がないだけで、内部はかなり温かく感じられている。二人で入ると、かなり狭かったけれど、暖め合うという意味では正解であろう。


「むぅ、もう少し離れられんのか?」

「贅沢いうな。俺が掘ったものだし、嫌なら出ていけ」

「鬼だな、貴様は……。前世では妻になってやったのだ。もう少し労れ……」

「そんな記憶は少しもねぇよ……」

 言って二人は笑い合う。正直におかしく思えて仕方なかった。昨年までならば喧嘩になっていたはずなのに、今では前世の話も笑い話である。


 弁当を食べ出す二人。黙々と食べていたのだが、不意に玲奈が口を開く。

「なぁ、一八。私たちは女神殿の期待に応えられているか?」

 どうしてか玲奈は女神マナリスの話を始めている。二人は共に加護を与えられし者だ。であれば、少なからず彼女は期待しているはずと。


「問題ねぇよ。マナリス曰く、俺たちは美しい思い出を紡いでいるらしい。前世で遂げられなかったという思い出をな……」

 玲奈の疑問とは違ったけれど、一八の話には興味があった。恐らくは脳裏に降臨したときの話であろう。玲奈が知らない二人だけの会話に他ならない。


「やはり隣人であったのは女神殿の策略か?」

「そうだろうな。現状はあいつが望んだまま進んでいる。まあ同時に忌むべき未来も近付いているはずだ……」

 マナリスは明言を避けていたので真意は不明である。だが、彼女が一定の未来を望んでいるのは明らかであった。


「私はな、最近になって考えるようになった。貴様と隣人であって良かったと。オークキングの生まれ変わりが直ぐ近くにいたこと。私はそれだけで前世を忘れられなくなった。だからこそ、あの悲劇を回避しようと思えたのだ。自堕落に過ごすことなく、目的を持って成長を遂げられた……」

「ああん? それこそマナリスの思うつぼだぞ? 今頃、あいつは美しい思い出コレクションに今の会話を加えただろう……」


「茶化すな! 私は至って真面目に話している。全ては女神殿の思惑通りなんだ。私が成長したこと。誘惑が多いこのチキュウ世界において自己研鑽に邁進できたのは……」

 もしも一八が隣人でなければ、前世の悲劇など記憶の片隅に消えていったかもしれない。

 常に思い出せる環境であったことは、全て女神マナリスの思惑であったのだろうと玲奈は考えている。


「それな。あいつは確実にチキュウ世界の未来を憂えている。恐らく俺をぶっ殺したことで、ベルナルド世界は落ち着いたのだと思う……」

 一八は予想できる現状を語った。自分自身とはオークキングのこと。あのまま生きていたならば、間違いなく人族もエルフも根絶やしにしたはずだ。また此度の顕現はオークキングを排除したことでベルナルド世界が落ち着きを取り戻したからだと思えてならない。


「どうしてそう考える? 荒野の一戦で人族は私だけでなく、近衛騎士や姫殿下までもが失われているんだぞ?」

 どうやら玲奈はベルナルド世界の人族が盛り返したとは考えていないようだ。オークの軍勢は一八が考えるよりも人族にとって脅威であったらしい。


「いや、人族はそこまで弱くねぇよ。もしもベルナルド世界のバランスを俺が崩していたのなら、俺だけを神雷で焼けば良かったんだ。でもマナリスは俺たち二人に神雷を落とした。それってつまり、俺さえいなくなれば人族は復興できるとマナリスが考えていたからじゃないか? チキュウ世界のがやべぇから、お前にも神雷を落としてチキュウ世界に送り込んだんだ……」

 一八の意見は変わらない。神雷を誤爆したなんて嘘であり、彼女は考える通りに世界を誘っているのだと。


「てことは、やはり私もチキュウ世界の救世主を担うように命じられているのか?」

 誤爆が嘘であれば、結論を導くのは難しい話ではない。強者である魂を救済すべき世界に送り込むだけである。


「あいつには魂の具合が分かるんだ。絶対強者を望む俺の魂を人族とし、正義感に満ちた玲奈の魂もまた同時に送り込む。本当に女神として切羽詰まってたんじゃないか? ベルナルド世界よりもチキュウ世界は窮地にあったはず。俺たちが受けた神雷はまさに直接介入なんだからな……」

 一八の話す通りかもしれない。玲奈は頷いていた。女神マナリスが介入するしかないほど窮地であったのは明らかだ。また介入を最小限とするため、ベルナルド世界の災厄を利用したはずである。


「まあ貴様は自業自得だ。巻き込まれた私は大迷惑だぞ? 前世も現世も敗北勢力を宛がわれてしまうなんて……」

 台詞とは裏腹に玲奈は笑みを浮かべていた。明確に貧乏クジを引いたというのに、その笑みは全てを受け入れてしまったかのようである。


「じゃあ、玲奈はチキュウ世界が嫌いか?」

 ここで問いが返されている。その質問は愚問だ。ずっと幼馴染みであった者に問われるなど不本意だと感じるほどに。


「貴様は馬鹿か? 私がチキュウ世界を満喫していないとでも?」

 睨むような玲奈に一八もまた笑みを浮かべる。玲奈にとっては生まれ変わっただけかもしれないが、自身は種族すら異なっているのだ。


「俺はベルナルド世界よりもチキュウ世界が大切だ。癪な話だが、マナリスに踊らされて良かった。世界征服を考えていたあの頃より、俺はずっと楽しめている……」

 それは本心であった。玲奈が女神の加護の所有者であると気付いた頃には恨んでさえいたけれど、現状は一八にとって掛け替えのない時間となっており、失いたくない世界に違いない。


「だから俺はベルナルド世界なんか気にしない……」

 一八にとって前世はオークを統べる者でしかなかった。今のように家族や友人がいるわけではない。本能のままに世界征服を目指した事実しか残っていなかった。


「チキュウ世界こそが全てだ――――」


 一八の話に玲奈は引き込まれていた。全てと言い切った元オークキング。如何に前世が彼にとって価値がなかったのかを知らされている。


 フフッと笑ってから、玲奈は一八と視線を合わせた。隣に座るのは間違いなく元オークキングであったものの、その横顔には少しの嫌悪感も抱けない。


「不覚ながら、今のは少しばかり格好良い。やはり人は前を向かねばならん。また貴様なら全体をも前に向き直らせる力があると思う」

 そういって玲奈は黙り込んだ。遅い夕飯を済ませたあとは下山しようと話していたというのに彼女は眠り込んでしまう。


 寄せ合う身体に温かみを覚えたのか、頭を一八に預けるようにして寝息を立てている。

 ハンディデバイスから毛布を取り出した一八は、そっと玲奈にそれを掛けた。このような山頂で魔物が現れるとは思えなかったけれど、夜を徹して彼女を守ろうと思う。


 何しろ前世において、玲奈は妻であったのだから……。

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