第2節 花の書


[皆さま大変お待たせいたしました! いよいよ新人戦の開幕です!]


 開幕のファンファーレと共に、拡声された声が競技場の隅から隅まで響く。おそらく天球棟や学院内の他の建物にも届いていることだろう。


 アレンとアイリスは、フランにその場所を示されて、声の主がいる解説席を見下ろした。


 解説席からは、月白競技場ホワイト・フィールド全体を見渡すことが出来る。要人たちが座っている貴賓席近くに設けられている観客席の中で、最も競技場に近い特等席だ。


 解説席に座っているハツラツとした声の主は、明るいブロンドの髪を短い尻尾のように束ねた男子学生だった。その手には銀色の卵型をした拡声魔術具が握られている。

 そして、ブロンドの少年の隣には薄藍のブラウスを着た若い女性教師が座っていた。真っ直ぐに砂色の髪を下ろした優しい雰囲気のその女性教師のことは入学してから何度も見掛けていたため、アレンもアイリスも知っていた。


[第九十九回新人戦、注目の第一戦目は――――例年ご観戦頂いている皆様はご存知の通り、始まりにしてクライマックス! 第三学年・研究棟種目!」

 ブロンドの少年は観客を煽るように拳を突き上げる。

[そしてこの試験の解説を務めさせていただきます、私は学生解説員、騎士棟二年チャールズ・メイヤー・ウォークスです! よろしくお願いいたします!」

 チャールズはその場所から観客席に向けてぶんぶんと大きく手を振っている。元気一杯なチャールズの声に、観客は拍手と「がんばれー」という歓声で激励を贈る。

[そして、そして! 本日解説を一緒にしていただきますのは、一年生・ハーゲン教室クラスの担任教師であり、研究棟教師のレイシー・ハーゲン先生です! ハーゲン先生、よろしくお願いいたします!]

 チャールズはバーゲン先生の方に腕を振り、盛大に紹介する。しかし、聞こえてきた声は落ち着きつつも可愛らしい声だった。

[ご紹介にあずかりましたレイシー・グリンデリア・ハーゲンです。よろしくお願いいたします]

 丁寧な女性の声に、観客は再び拍手を送る。ハーゲン先生はその声と音に解説席からゆったりと頭を下げて応えた。

 声の張りに高低差のある二人の解説者の会話は続いていく。

[いやはや、ハーゲン先生とご一緒できるなんて光栄です!]

[え、ええ。ありがとうございます、チャールズ君。私も元気いっぱいなチャールズ君とご一緒できて光栄ですよ]

[いやあー。元気いっぱいだなんて褒めていただけて嬉しいですね!]

 ハーゲン先生はチャールズの勢いに少し気圧されているようだった。そしてそれを見た雅治が、少し前方の席で苦笑いをしているのが、アレンとアイリスの席から見えた。

[実は先程僕も聞いたばかりなんですが、今回の試験、実はハーゲン先生が出題責任者だそうですね! いやーまだ着任して二年目なのに凄いですね! よっ! 出世頭!]

[え、ええ、あのアウエルマイヤー学院長に「やってみろ!」と言われまして……]

[いやー、これは色々とお話聞けそうですねー。楽しみですね!]

[え、えっとお手柔らかにお願いします]

[でも今回は例年以上に皆が注目していましたよ! 今年はどうにも研究戦の毛色が違いそうだと!]

 チャールズが前のめりで言うと、バーゲン先生はこくりと頷く。

[はい。皆さんが予想している通り、今回は例年と少し趣向を変えたものになっています。少しこれまでと変えてみようというお話でしたので]

[うんうん。なるほどー。これまでと言いますと、ハーゲン先生は学院の卒業生ですよね? 教師陣で言えば、同じ一年生を担当しているジェダイト先生の二期下でしたね]

[良く調べていますね、そうです。私は雅治先ぱ……いえ、ジェダイト先生の二年後輩です]

 隣の教室の担任教師から出た身近な人物の名前に、アレンたちはぐりんと首を回す。

 後方に座っている雅治はその視線に、感情が分からない笑顔で応えた。そしてなぜかハーゲン教室の学生たちが雅治の方を何とも言い難い嫉妬の視線で眺めていた。

 ハーゲン先生はどうやらとても人気があるようだ。

[おや? ……おやおやおや! 雅治先輩って呼んでいたんですね! そしてそれが今も抜けきらない様子! 青春の面影を感じるなあ!]

[と、当時もそれが、学院の慣習でしたので!]

[ハーゲン先生照れていますねー。可愛いですねー]

[チャ、チャールズ君! からかうのはやめてください!]

 二人のやり取りに会場から笑いがこぼれる。

[いやあーいいなあー。俺も一年に戻ってハーゲン先生の教室の生徒になりたい!]

[だ、だから! からかうのはやめてください!]

 ハーゲン先生が真っ赤な顔でチャールズを叱ると、チャールズは先程までの緩んだ笑顔をすっと収める。

[まあまあ、ハーゲン先生。そろそろ皆が焦れてきていますので、そろそろルール説明に入りましょうか]

 急にチャールズに置いてけぼりにされたハーゲン先生はしばし硬直した後、「ふう」という小さな溜息を吐いた。


 再び落ち着いたハーゲン先生の声が会場中に響いた。

[それでは、研究棟種目『庭園図書館ライブラリー・ガーデン』の試験内容およびルール説明を行いますーー]


 その瞬間、月白競技場には巨大な花のアーチが現れた。


 ――それを潜れば、もうそこは、此処ではない場所どこか





    ◇ ◇ ◇





 三年生の手元には、一冊の本が配られていた。

 茶色い革の表紙。

 金色に刻印された五つの花。

 薔薇ローズ木春菊マーガレットヴィオラ牡丹ピオニー百合リリー

 その書の題名は『花の書ブロムスト・ブック』――



[この試験でやること自体は単純です]

 この試験の出題者の声に、三年生は花の書から顔を上げる。

[皆さんのお手元にお配りした『花の書』の中にある書物を、へと収めていただきます]





    ◇ ◇ ◇





 試験の説明が終わる。

「「「つまり――――」」」


「早い者勝ちということでしょう」

「早い者勝ちということだろう」

「早い者勝ちということだな」


「私の得意分野ですわ」

「俺の得意分野だ」

「僕の得意分野だな」

 

 三年生の成績序列第一位から第三位までが口を揃えて言う。残った三年生はピリッとした空気を醸し、常に上位に君臨する者たちを『追う者』の視線で見つめた。





    ◇ ◇ ◇    





 クラーラはローブの裾を翻し、月白競技場に現出した花のアーチを潜り、スタートを切る。

 その瞬間。歩きながらも自身が空間を移動していることを感じる。

 アーチを潜り抜ければ、一瞬の暗闇の後、クラーラは見知らぬ温室庭園に現れた。

 クラーラは眩しさと緑に目を細める。 


 ――そこにはクラーラ以外に誰もいなかった。


「私専用の庭園だなんて、素敵ですわね」

 クラーラは近場のベンチに座り、渡された花の書を膝の上に乗せた。

 クラーラはその一番最初の頁を爪弾くように開いた。


 黒い紙に繊細に綴られた金色の文字。

 それが問題文だった。


『――探し求める書は書架には在らず、書の中に在り。おのが知に従い、在るべき場所に収めるべし』


 更にめくれば、その花の書は五章に章立てされていた。

 薔薇の章。木春菊の章。菫の章。牡丹の章。百合の章。


 それぞれの章を開くと、仕掛け絵本のように章題を飾る花が幾つも起き上がって咲き誇る。

 それはまるで、花束のように。


 おそらく魔術によって造られたその花は、見た目も香りも生花そのものだった。


[花の書の各章に刻まれた書の数は二十冊。花の書全体では、百冊の本が収められています]


 クラーラは出題者による解説を思い出しながら全ての章の頁を開く。頁を閉じれば花は消え、頁を開けば花が咲く。

「なるほど。そういうことですのね」

 クラーラは浮き出た花を順番に見つめる。

 その花弁や茎や葉に、様々な書の題名が刻まれていた。


「授業で扱ったものや関連の本の題名ばかりね」

 クラーラは誰に見せるわけでもなく微笑む。

「ここに刻まれた『ほん』を正しい場所に戻すことが、この試験の課題なのね」

 周りを良く見渡せば、植物と通路の間を縫うように大きな書架がいくつも置かれていた。


 蔦や葉、花に囲まれた図書館。


「――そう、ここは『庭園図書館ライブラリー・ガーデン』なのね」





    ◇ ◇ ◇





[試験の制限時間は百二十分。時は花が教えてくれるでしょう]


 シンは花の書の頁を捲り、捲った頁に現れた本物と何一つ変わらない花をじっと見つめた。

 その後に、シンは胸のポケットから懐中時計を取り出す。針の位置と花から放たれる魔力から察するに、その花には時間経過とともに花が老いて枯れる術が施されている。

 おそらく百二十分が経過したところで完全に枯れてしまうのだろう。


[すべての書を元の場所へと戻すことが出来れば、残り時間に関わらず試験終了となります]


 シンは花の書の表紙を撫でる。

「流石は名家ハーゲン家のご令嬢、面白い術だな。……これで研究戦の仕掛けか。魔術戦の試験も是非作って欲しいくらいだな」


 そして他にも複雑な術があった。

 シンは一番近くにあった蔦に巻かれた書架に近付く。その書架にある本は、そのままでは題名が背表紙に刻まれていた。

 そこから本を何冊か抜き取って確かめるように開いた。

「なるほど、そういうことか。本文はそのままで、題名だけが暗号化されているんだな。本文を読めば解けるだろうが。……ここは惜しまず、全力でやらせてもらおう」


[この試験では、魔術・魔法・武器の使用が許可されています]


 シンはローブのポケットから、銀鎖に銀縁の装飾のルーペを取り出す。そのルーペは、シンの出身地である東大陸の装飾をどこか思わせる意匠だった。

 それはシン自身が造った解読と翻訳が出来る魔術具だった。


[ただし、試験課題解決のための魔法と魔術の使用は合計三回までとなります。なお、魔術具の発動は魔術の使用と見なされます。魔術具および武器の持ち込みは、本人が持てる量までが許可され、空間収納関連の術は使用禁止となります]


 シンはこの庭園図書館にあるの本の題名を解読する時間を短縮するため、魔術具を発動した。





    ◇ ◇ ◇





 カエルムはとある温室庭園の中を歩いていた。


 課題の百冊の本は、これまで学院で学んできたあらゆる知識に関わる書物ばかり。授業で取り上げられた書もある。

 学院の大図書館に通い詰めているカエルムは、それらを良く知っていた。

 本の題名と内容をしっかり把握していれば、書架番号からすぐに探すことができる。


 五章に章立てすることで、ヒントも与えられている。

「一冊あたり一分少々と短い時間だが、僕にとっては無理難題ではないな」

 カエルムは百合の花が咲く一画に入り、立っている書架を見上げる。カエルムは真鍮製のプレートに刻まれた書架番号を確認し、目的の書架の前に立った。


 素早く書架全体に目を走らせたアエルムは、時間で言えば一瞬の静止の後、一冊の本を抜き出した。


 ――その本を開けば、そこには『空白の花』があった。


 それはちょうど『花の書』の中の、百合の章に咲いている花の形をしていた。ただし、色を奪われた透明の花がいくつも咲いていた。


[一冊につき与えられる点数は一点。最高得点は百点。ただし上位十名には特別点として、一位から順番に、十点から一点までが加算されます]


 ここに収めるべき本の題名が刻まれた花を、カエルムが花の書から抜き出したちょうどそのとき――『クラーラ・マクレール・フロールマン』と名の刻まれた百合の花が咲いた。


 ――その花はただ唯一その書の中で色付いていた。


 透明な花に、花の書から摘んだ正しい花を収めれば、帰る場所として正しい場所で花が色付く。

 正しくなければ色付かない。

 これはそういう仕掛けだ。


「――成る程、こういう心理戦も仕掛けに含まれているのか」


 自分より先にいくつもの『色のある花』が咲き誇っていれば焦るだろう。

 カエルム自身も今クラーラに遅れを取ったことに、少なからず忌々しい気持ちが浮かんだ。


[百冊全てをあるべき場所に収めた学生が複数名いれば、試験終了順で順位が割り振られます]


 ――これは知識と技術の競争。早いものが勝つ試験だ。

「あいつらに負けるわけにはいかないんだよ、僕は――」


 カエルムは花の書から百合の花を摘む。そして最大の好敵手の名が刻まれた花の横に、色のある花を咲かせた。


 カエルムは灰色の髪を揺らし、空色の瞳を素早く走らせ、次の書架へと急いだ。

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