第2節 目覚めの時を待っている


 マーレ皇国おうこく皇帝は眠り続ける皇妃を見つめていた。


 冬の長いマーレ皇国の雪を思わせる白銀の髪の美しい皇帝の最愛の女性。

 今は閉ざされている瞳は、夜明けの海を思わせる群青色に輝いていた。

 しかし、十五年もの長い時の間、その群青は光を灯していない。


 皇帝は窓辺に寄り、窓を開け放つ。

 レースのカーテンが風に揺れ、皇帝の明るい黄金の髪が流れた。

 眼前に広がるのは皇妃のために造られた庭園から室内に花の香りが広がった。

 振り返った皇帝は、深い眠りの中にいる皇妃を再び見つめる。

 彼女の髪の色と同じ白銀の雪が溶けたマーレ皇国を旅立った、彼女に良く似た双子を想った。





    ◇ ◇ ◇





 ――――糸が絡まるような呪いだった。


 『双生』の呪い。

 この古い魔法の国において、双生児は呪われた忌むべき存在とされていた。

 そんな呪いを生まれる前から背負った彼らは皇宮の奥深くに隠された。

 彼らは皇族としてどころか、人として自由を奪われた。


 『交差』の呪い。

 それは二つの存在の中で、生命力と魔力の在り方が狂ったこと。彼ら双子の間で生命力と魔力が交差したこと。

 兄のアレンは魔力がほとんど定着しない身体になったこと。妹のアイリスは生命力がほとんど定着しない身体になったこと。

 アレンは生命力が定着しやすい身体になったこと。アイリスは魔力が定着しやすい身体になったこと。


 ある魔術師が言った。

 【全てが奪われなかったのは、おそらく――――】

 その呪いが発動した時点で『生命力を全く持たない一方』が死してしまうため。

 それはつまり、交差の呪いが成立しないことを意味する。

 その矛盾をなくすため、アイリスは僅かながらも生命力を残され、アレンは僅かながらも魔力が残されたのだと。


 時には生きること、生きていることの方が人を苦しめることもある。

 実際に彼らを含め、多くの人間が苦しんだ。


 『交差の呪い』の証としてのオッドアイは、彼らにとっても周りにとっても苦しみの象徴だった。呪いを可視化したような双眼は、彼らの自由を余計に奪った。

 それは彼らを皇宮の奥深くに縛り付けた。


 そんな、糸が絡まるような呪いだった――――





    ◇ ◇ ◇





 皇妃が眠りについたあの日――双子がこの世に生まれ落ちた日。

 皇妃はアイリスの身体から溢れる魔力を生命力に還元させ、生命を繋いだ。

 生命力が魔力になれば、それはとてつもなく大きな力になる。

 それはアイリスのまだ小さな魔力の器には収まりきらないほどに。

 膨れ上がった魔力は毒となり、アイリスの身体は拒絶反応を起こした。

 アイリスはその存在ごと、世界にマナとして取り込まれ、消える寸前だった。

 双子の母である皇妃は、出産を終えたばかりの弱った身体を酷使して、アイリスの身体に術式を刻んだ。

 アイリスが成長し、魔力の器も成長するまでは、皇妃が刻んだ術式の残滓を使ってアイリスは生命を繋いだ。


 皇妃の懸命の処置で命を繋いだアイリスにはまだ辛い運命が待っていた。

 アイリスには月が巡り満ちるごとにその体内で膨れ上がった魔力を使い、それを生命力に還元させる『儀式』が必要になった。

 成長したアイリスは薄れていく皇妃の術式を少しずつ上書きすることで日常生活を送っている。


 ――アイリスの繋がった命と引き換えに、魔力と生命力を極限まで使い果たした皇妃は長い長い眠りについた。


 現在いまは、目覚めの時を待っている――





    ◇ ◇ ◇





 あの時までは、アイリスと自分は同じだと思っていた。

 悲しいこと、苦しいことは全部、アイリスと同じはずだと――そう思っていた。



 アレンは夢を見ていた。

 まだもう少し自分と妹が幼かったときのことを――――



「アイリス、どこにいるんだー!」


 幼いアレンは短い手足を懸命に動かし、廊下を走っていた。

 少し目を離した隙にベッドを抜け出していたアイリスを探していた。


 アレンは双星宮にある彼らのための書庫の前に辿り着くと、その扉を押し開く。

「アイリス、ここにいるのか?」

 アレンは扉から中に入りながら声をかける。

 そしてすぐに気が付いた。部屋の中央の床に積まれた本の山の隙間から、薄紅色のドレスの裾と小さな足が見えていることに。

 幼い子供はこの宮にはアレンとアイリスしかいない。その足はアイリスのものだ。

「……アイリス!」

 アレンは慌ててそれに近付いた。その足は倒れ込むように重なっていたから。

 バタバタと駆けたアレンは本の山を覗き込む。

「アイ……リス?」

「――すぅすぅ……」

 アレンの心配をよそに、寝間着姿の妹は積み上がった本を枕にして、静かに寝息を立てていた。アイリスは座ったまま眠っていたのだ。

「アイリス……? 寝ちゃってるの?」

 アレンは妹を起こさないように、その横に静かに腰を下ろした。

 アレンはアイリスの足元に視線を向ける。妹の足元には一冊の日記が広げられていた。

 そこには拙い文字が並び、細かい図式や魔法陣のようなものが共に刻まれていた。その中に『呪い』という文字があり、自分たちの呪いのことが書かれていることが、すぐに分かった。


 ――ただ、幼いアレンは呪いのことを漠然としか理解していなかった。


 『双子』も『オッドアイ』も存在すること自体が許されないということ。

 存在が許されない自分たちは皇宮から出てはいけないこと。

 決められた人間以外に姿を見られてはいけないこと。

 アレンは呪いのせいで魔力がほとんどないこと。

 アイリスは呪いのせいで体力がないこと。

 自分たちの行動次第で自分たちは殺されてしまうこと。 


 分かっていたのはそれくらいだったと思う。


 まだ幼かったアレンは、拙い妹の字で書かれた『呪い』について、一生懸命に読んだ。その時、なにかで滲んだインクを見ながら、アレンは思ったのだ。

 ――そうか。アイリスから自由を奪ったのは自分なのだ――と。


 それからは、償うための日々だった。

 アレンは動けない妹の分まで、許される限り宮殿を動き回り、『狭い世界』を見て回った。

 ――季節を告げる花が咲けば、それを摘んで見せた。

 ――流星群が見える夜は窓を開け放してアイリスが横になったまま見られるようにした。

 ――紅や黄に染まった葉が庭に落ちれば、それを拾って見せた。

 ――初雪が降った日の朝は、庭で雪兎を作ってアイリスの枕元まで運んで見せた。


 ベッドから出ることもままならないアイリスはそれをとても喜んでくれた。アレンはその笑顔を見るたびに、嬉しさと一緒に、罪悪感を覚えた。大声で泣き叫びながら、誰かに懺悔したい気持ちに駆られた。

 しかし、きっとそんなことをしても慰めてくれる相手はいない。甘えたかった母は、自分たちを護るために深い眠りについてしまった。

 呪われた自分たちは、この皇国の大事な皇妃である母の顔を見ることも、部屋に近付くことすらも許されない。


 そんな日々の中で、アレン自身も楽しみを見つけた。それが『剣術』だった。 

 アイリスを護るためだと自分自身に言い訳をしながら、アレンはそれに没頭した。


 ――俺はちゃんとアイリスを護れているだろうか。

 ――この先もちゃんと護れるだろうか。

 ――母のように。

 いつもその問いを頭の中で反芻する。アイリスを護ることが、アレンにできる唯一の償いだった――


 そう、思っていた。





    ◇ ◇ ◇





「ん……」

 寮の中庭の木の下で目覚めたアレンは、そのまま空を見上げる。雲がやけに動かず、やけにはっきりと雲同士の階層が見える。

 きっとそれは、夕陽がやたらと眩しいせいだ。

 優しく鋭い光が雲を貫いて、まるで降るように透過しているせいだ。

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