第3話 曼珠沙華
会話の流れであるような、そうで無いような、コオリノの唐突な質問。
「え?」
「最近、デート。何時したか覚えてる?」
変な質問だと杏子は思った。
いや、変な質問ではないかも知れなかった。
「杏子さん。○月27日に何をしたか、覚えてる?」
「え?」
「8月○○日よ」
「○月、○○日、ですか?」
「8月27日」
固まってしまった杏子に向かって、コオリノがゆっくりと口を開く。
「にねんまえの8がつ27にち」
コオリノの言葉に杏子の目が泳ぐ。
「思い出して、深山杏子。アナタが何者か」
「何のことか……」
短い沈黙。
空間に流れるのは静かなジャズの旋律。
「二年前の8月27日、アナタは、伊藤さん……彼氏のうちに遊びに行こうと隣町に行くためにバス停に居た。そこで、暴漢に襲われたのよ」
「うそです!」
叫び、立ち上がった杏子の真っ白なワンピース。
その脇腹を中心に破裂したように真っ赤な鮮血が浮かび上がっていた。
それは、まるで、大輪を咲かす、曼珠沙華の花のようだった。
ジャズの旋律は、杏子の中で戦慄へと変わる。
思い出した。
自分は、2年前の8月27日、無念と、失意のうちに殺されたのだ。
「座って、深山杏子さん」
杏子はその言葉に従うように、ふらふらと席に着き、力なくコオリノを見つめる。
「マスター、アイスコーヒーをひとつちょうだい」
コオリノの言葉に、マスターは小さく頷く。
「好きなんでしょ?アイスコーヒー」
コオリノが杏子の顔をのぞき込む。
「少し、お話ししましょう?深山杏子さん」
虚ろな目でコオリノを見つめ続ける杏子に彼女が語りかける。
「普通はね、死んだ場所とかに思いは残るのよ。でもね、アナタはここへの思いの方が強かったみたい。このお店に取り憑いてしまったよ」
コオリノはそう言ってカウンターの花束を指さした。
「あれは、お勤め2周年のお祝いじゃ無い。アナタの三周忌の弔いの花束」
コオリノが微笑む。
「アナタは、まだこんなに愛されている。誰もアナタを怖がったりはしていないわ。マスターもね、ホントはずっとここに居て欲しいんだって。アナタがそれを望むなら……ね」
虚ろだった杏子の瞳がきょろりとコオリノに向いた。
「聞こえてるみたいね」
ほっとしたようにコオリノが息を吐く。
「マスターさんね、アナタが心配なんだって。もし、この店が無くなったら、アナタの行くところがなくなっちゃうんじゃ無いかって。アナタは、何処に行くんだろって」
はっとしたように、杏子の瞳に光が戻る。
「アナタ、このお店のここから見える風景が大好きだって言ってたわよね」
コオリノが窓の外の黄昏に目を落とす。
「でもね、この世のすべては移ろうものよ。いずれこの風景も変わっていくわ」
コオリノが再び杏子と視線を合わせたとき、彼女はしっかりとコオリノを見つめていた。
「ねぇ、深山杏子。アナタの大切な物。それらが変わってしまう前に、思い出として持って行ったら?アナタのあるべき世界に」
「おまちどおさま、杏子ちゃん」
そう言ってマスターがアイスコーヒーをテーブルに置き、辺りをきょろきょろと見渡す。
多分彼には彼女の姿が見えていないのだろう。
「大好きなアイスコーヒーをどうぞ、深山杏子」
コオリノがそう言うと、杏子は微笑み、その姿が徐々に薄くなり、ついには消えてしまった。
店の雰囲気がほんの少し、さみしさに包まれる。
「杏子ちゃん、行っちゃったんですね」
その気配を感じたのか、マスターが呟いた。
「はい。逝っちゃいました」
「なんだか、やっぱり寂しいなぁ。たまには帰ってきてくれるかなぁ」
汗をかいたアイスコーヒーのグラスを見ながら、マスターが独り言のように言う。
「そうですねぇ……お盆には帰ってくるんじゃ無いですか?深山杏子はここが大好きだから」
そう言ってコオリノは微笑み、マスターと顔を見合わせた。
アイスコーヒーのグラスの汗が、水玉となって一筋、スーッと流れ落ちた。
それはまるで、深山杏子の流した涙のように見えた。
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