アイスコーヒー
漆目人鳥
第1話 徒花(むだばな)
「私の名前はコオリノマコト」
喫茶店『かかぽ』の四人掛け窓際の席。
アイスカフェラテのグラスを前に座っていた、ベリーショートの黒髪ボブがよく似合う女性が、アルバイトの
とても綺麗な人だと杏子は思った。
だが、彼女はそんなコオリノの微笑みに、何故か胸騒ぎを覚えた。
どこか冷たい感じが印象的な瞳のせいかもしれないし、彼女の着ている漆黒に近い黒いワンピースのせいかも知れなかった。
或いは、そこだけ別の生き物の様に紅い、知的な唇のせいか。
何か、不安を感じずには居られない、魅力と紙一重の禍々しさを感じていた。
「アナタ、お名前は?」
コオリノが尋ねる。
「ミ、ミヤマキョウコで、す」
気後れしたようにおずおずと杏子が答えた。
「そう。それじゃキョウコさん、私と少し、お話ししない?」
「えっ?」
困惑の表情。
それはそうだ、常連さんならいざ知れず。
今日初めて会う一見のお客さんと、しかも今は……。
「今は、ちょっと。仕事中ですから」
「マスター!」
突然、コオリノが、窓際の席とは反対側にあるカウンターの中で食器の手入れをしていた、グレイヘアを短髪に整えたマスターに向かって声をかける。
「バイトのキョウコちゃん。少しの間借りるわね」
マスターは、一瞬戸惑ったような顔をしたが、すぐに笑顔になり大きく頷いてみせた。
「私、ここのマスターとは古い知り合いなのよ」
コオリノは、そう言って杏子に自分の向かいの席を勧める。
杏子は、カウンターで上機嫌にグラスを磨くマスターをチラチラと気にしながら、ためらい気味に席に着いた。
「私ね、3日前にこの町に越してきたばかりなの。だから、何もわからなくて。いろいろ聞いてもいいかしら?」
コオリノが話し出す。
話がおかしい。
確か、マスターと古い知り合いと言ったはずだった。
そんな杏子の心情に気づいてか、コオリノが口を開く。
「ああ、マスターさんとは引っ越してくる前からの知り合い。まあ、その辺は追々に……ね」
「付き合ってた……とか」
杏子が熱を帯びた瞳で尋ねる。
「ナイナイ」
コオリノが自分の顔の前で手を振りながら真顔で否定した。
「ですよねぇ」
この女性と、どちらかと言えばお爺さまのマスターが、恋人同士だったという妄想はちょっと考えにくい。
「ビジネスでね。昔、ちょっと」
コオリノはそう言って軽くウィンクして見せた。
「ここのアイスカフェラテ、おいしいわね」
コオリノがそう言ってストローに口をつける。
「アイスコーヒーも美味しいんですよ。マスターこだわりの味で、フレンチローストの粉で、作り置きはしません!一杯一杯入れていくんです。私も大好きで!」
「詳しいのね」
コオリノがそう言うと杏子は、恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「このお店のお勤めは長いの?」
「えっ、と。ちょうど昨日で2年目になります」
彼女はそういうと、カウンターの一角に置かれた、沢山の花束に視線を移した。
気づいたコオリノが同じ場所に視線を向ける。
「え?ひょっとして、あのお花」
「はい」
杏子が嬉しそうに返事をする。
「お店の常連さん達がお勤め2周年にってお祝いしてくれたんです」
そういって杏子がはにかむ。
「えー、なになに、それって。なに!あなた、ひょっとしてYouTuberか何か?」
「そ、そんなんじゃないです!」
杏子が耳たぶを真っ赤にしてぶんぶんと首を振った。
「此処の常連さん学生さんが多いんです。で、すごくノリがいいんです」
「学生?ああ、そういえば近くに割と有名な大学があったわね。駅までの通学路になってるわけね」
「……それもあるんですけど」
杏子が小さく笑い、楽しそうに話し出す。
「ここの日替わりランチ、開店当初からボリュームが凄かったらしいんです。それで、運動部の学生さんが集まるようになって。それがうれしくて、マスターさんがどんどんサービスしていっちゃたら、今はランチのボリュームが物凄いことに!」
彼女はそう言って笑い「この前、テレビにも出たんですよ」と言ってまた笑った。
「それで」
杏子が続ける。
「それで、運動部の学生さんのみならず、学校中の大食漢さん、その彼女さんたち、等々の溜まり場ってわけです」
そこまで言って、ふと、杏子は違和感を感じた。
夏のたそがれ時。
エアコンの適度に効いた快適な空間にマスターがお気に入りの静かなジャズが流れる。
喫茶店の中の客は目の前のコオリノだけ。
普段は、こんなに静かな時間ではないはずだった。
だが、考えてみると今日はずっとそんな感じだった気がする。
大体、コオリノはいつからここにいたのだったか?
「このお店が好きなのね」
コオリノの声に、はっと我に返る。
「ええ、大好きです!」
そう言って杏子は窓の外のセピア・オレンジに染まる町の風景を、いとおしそうに眺める。
「私、このお店も、ここから見える風景も大好きなんです」
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