エモいをめぐる小戦争 ~ THE WAR OVER 'EMOI'

あきまり

無敵の父

 もうすこしだった。


 あとちょっとだった。


 のどもとまで出かけて飲みこんだのだ。


「うっせえこの禿おやじッ」を。



 私は怒り心頭だ。お父さんにだ。


 いちいち腹が立つ。ウザいしキモい。


「言葉遣いがなってない」って。は? なに言ってるんですか。言葉を知らないお父さんのほうがよっぽど問題でしょ。言葉は変わる。流行り廃りがある。現代の日常会話で「いとをかし」とか言う人います?


 年末になると流行語大賞をよろこんで見てますよね。「エモい」は流行語大賞とってないからダメなんですか? まじイミフ。いや、まじ意味不明ですね、お父さんにはそう言わないとダメですかね。


 ごじぶんは「わけわかめ」とか寒すぎる言葉を吐きまくっておいて、どのくちが言うのでしょう。「わけわかめ」ってなんですか? ワカメの一種ですか? 「言葉は相手に響いてこそ言葉なんだ」って偉そうに仰ってましたけど、まったく響いてきませんよ。ワカメばっか食ってるからおかしくなったんですかね? ほんとキショい禿おやじだ。



 私はお父さんにむかって心のなかで罵詈雑言をげろげろ吐きつけてやった。お父さんは新聞を読んでいる。背すじがぴんと伸びているお手本のような美しい姿勢でブラックコーヒーをたのしむ優雅な朝のひととき。私に見えないゲロを吐きかけられているとは気づかずにね。ざまあみろ。


「禿おやじ」と心で暴言したけど、お父さんはイケメンだ。キリリとした顔立ち。禿げてない。むしろふさふさだ。背が高くてほどよい筋肉。そして東大卒。英語が堪能。高収入。趣味はスポーツ全般と投資。中年っぽい悲壮感がない。ハイスペックすぎる男子。ちがう意味で無敵。ぜんぜんキモくない。


 欠点がないから「禿おやじ」と心で呼びつけている。人間はみんな平等と言った人がいるみたいだけど嘘だ。平等なわけがない。不平等だから禿げるオッサンがいるのだ。そしてお父さんがふさふさなのだ。



 私がK-POP好きなの知ってますよね、お父さん。「エモい」って言ってなにがいけないんですか。私は覚えてるんです、鮮明に。家族でレストランに行ったときのことを。お父さんは懇意にしているシェフに「えもいえぬおいしさですね」って褒めてましたよ。


 それって「この料理エモいですね」って言ってるのと同じじゃね?「えもいえぬ」って、正確に表現できてないですよね。もうイミフですよ。「おいしいですね」ってフツーに言えばよくね? そういう矛盾してるところが「わけわかめ」なんですよ、お父さんは。


 あの余裕の表情。そして穏やかさ。それでいて隙のない眼差し。打ち負かしてやりたい。論破してやりたい。どうすればやっつけられるのか。私はお父さんの弱点をさがしてきたけど見つからない。探せば探すほど無敵さがあらわになるからだ。


 打ちのめすどころか打ちのめされたのはリモートワークを覗き見したときだ。大雨で休校になった日があった。邪魔するつもりはなかったけど「リモートワーク」なるものが気になっていて書斎をこっそり覗いてみたのだ。


 完全なる英語だった。冗談を言い合っているのか、あのお父さんがモニターを見ながらたのしそうに笑っている。笑い方がなんか英語なのだ。そして笑い終わると熱っぽく手ぶりを加えながら流暢に話す。何人だよ。無敵ですよ、お父さん。無敵すぎて私は戦意をうしなうんです。


 ある朝、こっそり起きて忍び足でキッチンに近づいてお母さんとお父さんを驚かそうとしたとき、お父さんがお母さんに「株価が落ちてきたから預金から一千万買い増しするよ」ってジュース買うみたいな感覚で話していたのを覚えています。あなた方いったい資産いくらお持ちなんですか。朝から隠れて親を驚かそうとしていたじぶんが哀れな生きもののように思えてきます。


 挙げていくとキリがない。無敵です。無双です。お父さんの光のヴェールをどうやればはぎ取れるのか。どうすれば心にダメージを与えてやれるのか。無力な私は眩しすぎるあなたに目をほそめながらムカつくことしかできないのです。

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