第6話 夜の宴

 なるだけ豪華に、という依頼の通り羽は魚を中心とした献立を考えた。手の込んだ料理はあまり自信はなかったけれど、宴で出される料理なら一通りの知識はあった。

「もう少し塩を足した方がいいかもしれない。あと、この肉には生姜の液をつけて……、ひしおには少し果汁を混ぜた方がいいかな」

 てきぱきと料理が出来上がっていくのを、雛は不思議そうな顔をして見つめていた。雛はというと、食後のおやつを作っているようで、砂糖が焦げる良い匂いがした。

「御曹司は何でもお出来になるのですね」

「いいえ、まだまだです。俺は楽士ですから、楽を極めることの方が大事です」

「そう、ですわね。変なことをお尋ねして申し訳ありません」

「そんなことないです」

 くるくると鍋をかき混ぜて羽は深く息をついた。

「俺は今まで周家のために楽士になると思っていました。俺はずっと人前で奏でられなかったんです。楽人として致命的な欠点は、ずっと俺の中で重たくのしかかっていたんです」

「…………」

「でも、策叔父上や澄、福大叔父上や子牙兄ちゃん、いろんな人の楽に触れて、俺はやっぱり楽が好きなのだと思い知ったんです」

 策の伸びやかさ、澄の繊細さ、福の深さ、子牙のすがすがしさ、それのどれもが羽の心の中で鳴り響いている。

 では、自分の音とは?

「俺は、俺の音を出してみたい。どんな音になるかは分からないし、父上やおじい様に叱られてしまうかもしれない。けれど、俺自身の音が分からないのはいやだと、そう思うんです」

 自分にできることといえば、せいぜい正確に楽譜をなぞるだけ。それだけではいけないというのが、これまでで分かってきた。

「御曹司は御強いですね」

「いえ、ただの強情なだけです」

「ふふっ、そういう方を知っています」

「…………」

「ひたすらに真っ直ぐ。あたえられた道を歩みつつも、己のしたいことをまっすぐに手に入れていく方です」

「与えられた道、ですか」

「人はそれを天命と呼びますが、天命に従いつつも己の成すべきことをなす方をあたしは尊敬します」

 天命、か。羽は心の中で呟いた。天命というのはなんだかあいまいで、羽にはなんだか遠いところの話の様で、あまり好きではなかった。

 でも、もし天命があるのだとしたら。

 なすべきことがあるはずで、それはきっと近くにあるはずで。見えない、届かない子の気もちがもどかしい。

 でも、今は。

「雛さん、すみません砂糖はどちらですか?」

 羽は似たような入れものを指さし、雛に尋ねた。手のひらほどのひょうたんには、赤と青のひもが巻かれている。

「この青い方が塩、赤い方が砂糖ですよ」

「そうですか……家とは違うので迷ってしまいますね」

「あら、それは申し訳ありませんわ。御曹司」

「あの、雛さんがよろしければこの紐、入れ替えてもよいですか?」

「え、ええ? それは構いませんわ。御曹司が使いやすいようにしてくださいな」

 その言葉に羽はほっと胸をなでおろした。

「では、お言葉に甘えて、と」

 羽は早速ひょうたんの紐を入れ替えた。

(明英には怒られてしまうだろうな)

「では、あたしはこれで。あとで嶺にも声をかけます。出来上がりましたら、嶺に運ばせますね」

「ありがとうございます、雛さん」

 羽はぺこりと頭を下げ、料理に向き合った。雛が立ち去るのを見届け、羽はひょうたんを手にした。


「おいしじゃない。やるわね」

「やっぱり、俺達の中では羽が一番うまいよなぁ」

 もぐもぐもぐ、と友人達が食べ進めていく。二人とも呑気なもので、羽は緊張を悟られないよう、気を配っていた。

「ところでお前、結婚するの黙ってたろ。さっき雛さんに聞いたぞ」

「ま、まぁね。別にお前に知らせなくても、明英が知ってるかと思って」

「あのね。私を伝令みたいに使わないでよ。そんなこととっくに知っているかと思っていたわよ」

 そうきたか、と羽はため息をついた。なんでもしゃべる人間でないのは知っていたけれど、人生の大事な岐路を知らせないのは少し違うのではないか。

「お前なぁ。俺達は友人だろ」

「数少ない友人だからこそ、言いたくないこともあるんだよ。だって、そっちだって婚礼の日取りなんていつになるか分からないだろうが」

 何気ない淳の一言に羽の顔が沸騰した。

「ば、ばか! そんな事言うなよ! まだ楽士になって一年も経ってないんだぞ! 正統後継者になったとはいえ、俺には」

「……」 

 じとぉ、と明英が睨んできた。その顔は真っ赤になっていて、八つ当たりと言った色合いが強かった。その顔をみて、羽もまた顔を赤らめる。

「姉上、こんなんだから言いたくなかったんです」

「淳、それまでにしておきなさい。食事中ですよ」

「はぁい」

 そのまま無言で食べ進めていると、淳の手が止まった。

「姉上、この魚塩が足りないような気がします」

「そうですか? 塩は……持って来ていないわね。すこし席を外します」

「嶺さん、俺が行きます」

「いいえ、御曹司にそのようなことはさせられません。料理を作ってくださっただけで十分です」

 立ち上がりかけた羽を嶺が制する。そのまますたすたと食卓から離れ、しばらくしたのち嶺はひょうたんを持って戻ってきた。


 ―― 赤い紐をかけられたひょうたんを。


「持ってきましたよ、淳」

「ありがとう姉上!」

「あんたねぇ、淳が行けばいいじゃない」

「俺は食べる専門だからいいのー!」

 そう言ってひょうたんから白い粉をかけ、思いっきり淳は魚を口に入れる。とたん、むせ始める。

「ほら! 言わんこっちゃない! そんなに塩をかけたら辛いに決まってるでしょ!」

「いや、これ砂糖じゃないか!? 姉上? 姉上らしくもない」

 淳の言葉に例がはっとして口元を押さえた。目を見開き、動揺を隠そうとしている。けれど、その瞳は揺らぎ、何が起こったのかと思案しているようであった。

「まさか……御曹司……? どうして?」

「……」

「御曹司?」

「申し訳ありません。俺は策叔父上からあなたを都に連れ戻すと約束してきました。あんな人ですが、俺にとっては恩人です。だから、恩には報いたいのです」

「そう、ですか……っ!」

「嶺さん!?」

 嶺はそのまま立ち上がると、部屋から逃げるように走りだした。羽も慌てて彼女の後を追う。

「な、何が起こったのよ……ねぇ、淳」

 明英が淳に答えを求めようとすると、淳は机に突っ伏した。

「あの馬鹿……義兄上ですら触ってこなかったことに足を踏み入れやがって。罰として今度の古文書の虫干しに付き合わせてやる」

「……羽。今度は何をやらかしたのよ……」

 明英がため息をついた時、門のあたりで物音がした。その音に心当たりがある二人は目を合わせて強く頷いた。



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