第45話 “古き声の入り江”海戦①

 逃げ場のない湾の奥で、東からの風に船首を向けた状態で錨を下ろし、帆を畳んで完全に停船しているスループ船は海賊たちにとってまさに襲ってくださいと言わんばかりの願ってもいない獲物に見えた。乗っている人数も少なく、容易く制圧できることは火を見るより明らかだった。


「ラウザ、どうするよ?」


「船長と呼べ! 決まってんだろぉ。この船は海賊船としては使い辛ぇ。あの船を奪って新たな旗艦にするぜ」


「ひゃはっ! 早くも2隻を率いる提督様ってわけだ」


「提督か! いい響きじゃねぇか! 海賊提督ジョージ・ラウザ!」


 部下におだてられて気を良くしたラウザが停泊中のスループ船を指差して号令を下す。


「よぉーし! タッキングだ! あの船に向かえぃ! 奴らは湾の奥で船首を風に向けて立ち往生している袋のネズミだ! 風下から近づいて逃げ道を塞いで追い詰めろぉ!」


 タッキングして湾内のスループ船に向かえば、襲撃に気づいたスループ船の船上がにわかに慌ただしくなり、船内から武器が運び出され、船尾の迎撃砲の準備が始まる。しかし、スループ船が動き出す様子はない。それを見てラウザと海賊たちがわらう。


「くはっ! 逃げればいいものを、あの人数で健気にも抵抗する気らしいぜぇ」


「ははっ! よく言うぜ! 逃げ道が塞がれたから戦おうとしてんだろうが」


「おおジーザス! 抵抗しなけりゃ生かしてやってもよかったのによぉ! 抵抗するなら殺すしかねぇよなぁ! 神よ、罪深き我らをお許しくださいってな」


「ひゃはっ! アーメン!」


 徐々にスループ船との距離が縮まるにつれて海賊たちは気づく。


「おいおい見ろよ! 若い女が乗ってるぜ! しかも3人もだ!」


「お嬢サマの道楽かぁ? こんなところで遊んでたら悪い奴らに団体で拐われちゃうぜぇ!」


「ちげぇねえ! 最高じゃねぇか! 男は殺せ! 船と女を奪えぇ!」


「「「うおおおおおお!!」」」


 期待以上の獲物を前にますます昂った海賊たちが一斉にカトラスを握った手を振り上げ、雄叫びを上げながらダンダンと足を踏み鳴らす。彼らの目の前で哀れなスループ船はようやく錨の巻き上げを始め、ノロノロと逃げ出そうとしていたが、彼らの目からすれば全くもって無駄な抵抗でしかなかった。





 海賊船が近づくにつれ、海賊たちのわめき声もはっきりと聞こえてくる。特にこちらに女が乗っていると分かってからは聞くに耐えない下品な罵声がひっきりなしに聞こえている。そんな中【バンシー】の舵輪を握るサミエラが凄みのある笑みを浮かべる。


「ふぅん。男は殺して船と女を奪え……ねぇ。随分と好き放題言ってくれてるじゃない。……おじ様、距離は?」


「そろそろ100ヤードってところだ」


「OK! 奴らに真の絶望を味わわせてあげるわ! ショーゴたちは錨の巻き上げ開始! おじ様は砲撃用意!」


 待ってましたとばかりにショーゴたち4人が巻き上げ器キャップスタンを回し始める。


──カタン、カタン、カタン、カタン……


 海底の錨に引かれて【バンシー】がまっすぐに風に向かってゆっくりと前進し始める。それは1ノットにも届かないほどの微速前進。

 それが海賊たちにとっては無駄なあがきに見えたようで、メガホンを使って降伏を呼びかけてくる。


「今さら逃げようったって無駄だぜぇ! さっさと降伏して船と女を寄越せぇぇ! 抵抗しなければ男は見逃してやってもいいぜぇ!」


 動き始めた【バンシー】に海賊船が追いすがる。舵効速力が出ていない【バンシー】は方向転換が出来ないのでただ錨を巻き上げる力によってゆっくりと前進することしかできない。


 100ヤード……90ヤード……80ヤード……70ヤード……。


 船同士の相対距離がじわじわと狭まっていき、海賊船の船首付近に集結している海賊たちが両船を繋ぐためのかぎのついたロープを構え始める。


 60ヤード……50ヤード……40ヤード……30ヤード……。


 海賊たちのニヤついた表情がはっきりと分かる近距離まで海賊船が迫ったその時、切り上がりの限界に達した海賊船の帆が風を捉えられなくなって激しく波打ち、帆走ができなくなって船足が落ち始め、海賊たちが一様に焦りの表情を浮かべる。


「ちくしょうっ! 帆走限界だとっ?」「くそったれめ! ここまで追い詰めたのに!」「まだ諦めるのは早ぇ! 舵戻せ! 仕切り直しだ! 一度奴らの船の後ろをすり抜けてからタッキングでもう一度近づけ!」


 海賊船の帆走不可能範囲デッドゾーンに入ってしまった【バンシー】は、目と鼻の先にいるというのに海賊船はもうこれ以上近づけない。急減速する海賊船を尻目に【バンシー】は長い錨綱ケーブルを巻き取りながら帆すら使わずに悠々と風上へ逃げていく。

 しかし諦めきれない海賊たちは、一度【バンシー】の後方をすり抜けて彼女の右舷後方に出て、そこからタッキングして【バンシー】の右舷側から改めて斬り込むことにプランを変更した。だがそれこそがサミエラの狙い通りだった。


 【バンシー】の後方を海賊船がすり抜けようとした瞬間、ロッコが迎撃砲の発射ロープを引く。撃鉄の火打ち石が打ち金に叩きつけられて火花を散らし、それが点火薬に引火して砲控内の装薬を爆発させる。


──ドォンッ!!


 轟音と共に砲煙を噴いて台車ごと激しく後退する迎撃砲。砲と船体を繋ぐ太いロープがビンッと低い弦音を鳴らすのと着弾はほぼ同時だった。


「ぎゃあっ!」「ぐはっ」


 海賊たちが密集していた場所に撃ち込まれた対人用の散弾は数人の海賊たちを死傷させ、帆布にも幾ばくかのダメージを与えた。


「すぐに再装填! ゴンとナミ! 錨が上がったらすぐにマストに上がってスパンカーの展帆用意にかかりなさい! アニーは今すぐジブを展帆! ジブをドライバーにして左旋回するわ!」


 ロッコとアボットが砲控内をブラシで手早く掃除して、1発分の装薬と散弾を砲口から押し込み、点火口から尖棒スパイクを刺し込んで装薬の袋を破り、その上に点火薬を流し入れ、撃鉄を起こし、二人で迎撃砲を砲門から押し出す。


 サミエラの指示を受けてアネッタは直ちに船首に走り、ジブセイル展帆用のロープを引っ張って、降ろしてあったジブセイルを引き上げていく。船首は未だに風上に向いたままなのでジブセイルは風を捉えることができずに波打っているが、サミエラが舵取りドライバーとしてジブを使うと言うので、展帆後は操帆用ロープを握って次の指示を待つ。


 アネッタが抜けたあともショーゴとゴンノスケとサザナミが3人でキャップスタンを回し続けてついに錨が上がる。錨の固定はショーゴに任せ、ゴンノスケとサザナミはマストに上がり、サミエラからのスパンカー展帆の合図を待つ。


 錨が上がったのを確認して、サミエラが次の指示を出す。


「アニー! ジブを風の抵抗にして左旋回開始! ゴンとナミはスパンカー展帆! 帆走できるまで船が回ったら直ちに帆走開始!」


 アネッタが船首右側でジブセイルをピンと張れば、真正面からの風が斜め方向に力をずらされ、その場で【バンシー】の船首が左側に横滑りしていき、ゆっくりと船体が左に旋回し始める。


 一方、【バンシー】からの迎撃砲の攻撃を受けつつも軽微な損害にとどまった海賊船の戦意は未だ失われておらず、錨の巻き上げによる行き足を失ってほぼ停船状態でその場でゆっくりと旋回している【バンシー】に再接近するため、タッキングしようとしていた。




~~~




【その時、歴史を動かしたCh 考証解説Vol.7 パーソナリティー:Sakura&Nobuna】


Nobuna「なるほどのぅ。あの長く出しておった錨のケーブルにはこういう目的があったんじゃなぁ」


Sakura「停船しとっても錨で船ば引っ張って有利な位置に移動できるったいね?」


Nobuna「そういうことじゃな。帆船には帆走出来ないデッドゾーンが必ずあるからのぅ。相手の船の切り上がり限界を見極めて、それよりほんの少し相手のデッドゾーンに入ってしまえばそれ以上は近づけなくなるんじゃな」


──ギリギリなようでいて、サミエラはすごく冷静に計算してるよね

──帆船での独特な戦闘なんだなぁ

──いくら相手が近付けないと分かっててもここまで敵を引き付けるには勇気いるよね

──ハラハラするわ

──船のスピードが遅いからこそ駆け引きが大事なんやな

──海賊船は一度離れて仕切り直すつもりだな

──サミエラ様頑張れぇー!

──……


 

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