第20話 空と海の境を支配せし薄明の王


 夕方になり、ようやく雨は上がった。

 ラータは結局、その日の講義を全てさぼった。

 ディアはアルバ族の民話に出てくる扉を探して東大陸からやってきたこと、途中で出会ったシオンやソロと一緒に旅をしていたこと、ゼベルに到着してソロが罪人として捕らえられてしまったこと、そして魔族から扉にまつわる真実を聞かされたことを順に話していった。

 ラータは同情するでもなく、また迷惑そうにするでもなく、ただ黙ってディアの話を聞き、時折考えるように視線を動かすことがあった。

 マルダは客が来れば店に出ていき、また時間ができるとテーブルに戻ってディアの話を聞いていた。

 すべてを話し終えると、ラータが言った。


「要するに問題が山積みってことだよね。それとディアはちょっと考えがなさすぎ」


 改めて言われて、ディアは頭を抱える。

 話しながら気づいたことがある。旅をする中で、自分はすっかりシオンに頼り切ってしまっていたらしい。

 そもそも自分は考えるよりも先に動いてしまう性質で、それを補ってくれていたのがシオンだ。困りごとがあれば解決策を導き出してくれたり、さりげなくディアのしたいようにさせてくれたりしていた。

 今回シオンがいなくなって、そのことがよくわかった。


「まあもう今さら言っても仕方ないけど。何にしてももう少し情報がほしいな」

「情報?」

「君の仲間が今どうしてるのかとか、本当に操られてるのかとか、役人たちの動きとか。助けるにしても、その辺気になるとこだろ?」

「そりゃまあそうだけど」


 どうやってと思ったが、それでまた考えないとか言われそうなのが嫌で、ディアの返答は尻すぼみになる。

 そんなディアを特に気にも留めずに、ラータは溜息と共に零した。


「よしじゃあちょっと訊いてみようか、めんどくさいけどそれが一番手っ取り早いし」


 ラータは言って椅子から立ち上がると、わずかに首を傾けて考え、それからディアを振り返った。


「ここじゃまずいな。場所を変えよう」


 ラータについて移動した先は街の外だった。街道からも離れていて、人や物のない広い場所だ。

 ラータは近くにディアを呼び寄せて、離れないように言い置く。そして両手を体の前にかざすと、指を折り曲げ、重ねて、ひとつひとつ魔法文字を象っていく。


「Sierla el tilm billevy ant mg yr greee, mmaw ox fiwal grew ye」


 唄うように紡がれる、耳慣れない言葉。

 身の内から湧きだす魔力の波が風となり、髪を、ローブの裾をはためかせる。

 ラータの身体が強い光を発している。緑の瞳まで輝いていて、星か宝石のようだ。


「Crhk mg ll oxy rejiwea」


 頭が、全身が痺れる。

 ディアは圧倒されて、膝をついてしまう。声が出ない。呼吸がうまくできなくて、胸が苦しい。地面に倒れて、胸を押さえ縮こまる。


「白日より宵闇へ、夜闇より黎明へ、流れ移ろう時の狭間。紅の地平、空と海の境を支配せし魔力の源或いは薄明の名を冠する魔族の王よ。我が声、我が願いを聞き入れ、今ここに降臨せよ。我が名はラータ・ラティアータ、北方の一族トルトゥガの民にして、御身と契約を結びし者なり」


 ラータは全身で息を吐き出すと、自身もその場に座り込み、顔中から噴き出す汗をローブの袖で拭う。汗に痛む目を瞬かせ、顔をあげる。

 幼い少女が、その見た目に似つかわしくない泰然たる態度で佇んでいた。

 草の上に落ちるほどの長さの、ゆるく波打った髪は白のような、それとも淡い金色のような銀色のような不思議な色をしていた。瞳がこれもまた奇妙で、瞬きをするごとに異なる色へと変化する。


「あーあ、ダメだろお前。魔力を持たない者がいる場所で」

「あ……」


 鼻息と共に言われて隣を見やれば、胸を押さえて苦しむディアの姿がそこにあった。

 少女が軽く手を動かす。


「まったく結界くらい張ってやれば良いものを。そら、これで少しは楽になったろう」


 途端に、ディアの身体から息苦しさや痺れが消えた。呼吸も普通にできるし、寧ろそれまでよりも元気になったようにさえ感じられる。


「言っておくが儂の責任ではないぞ。おぬしの魔力が原因だ。儂の魔力にまともにあたればこの程度では済まないからな」

「簡単に言わないでくれ。結界張りながら魔王召喚とかできるわけないだろ。ともかくごめんディア、だいじょうぶ?」

「うん、なんとか」


 ラータがディアの手を取り、助け起こす。

 少女はあぐらをかき、にやにや笑って、その様子を見ていた。長い髪を指先でもてあそびながら言う。


「でぇ、何の用よ」

「訊きたいことがあるんだ」

「言うておくが、恋の行方とかなら儂の専門外だぞ。占い師でも訪ねるんだな」

「真面目な話してんだけど」

「恋愛事は真面目な話ではないとでも?」

「クレピスキュル」

「わかった、わかったよ。あーあー、これだから最近の若いもんは」


 ラータの怒気を含ませた声に、クレピスキュルと呼ばれた少女はうるさそうに手を振る。


「若いもん?」


 二人の会話を傍で聞いていたディアが首を傾げる。

 少女はどう見ても十にも満たない子供だ。ただ態度や口調だけが、もっとずっと年嵩の者のようではある。

 ラータが少女に人差し指を向けながら言った。


「このひと魔王だから。何億えー……気が遠くなるような時間を生きてるお年寄りなんだよ」

「この姿は仮のものでな。まあ見た目はどうとでもなるもんだから、あまり気にせんでくれ」


 微笑むクレピスキュルを、ディアは驚きの目で見つめた。

 はっきりと聞こえていたのだが、思わず聞き返してしまう。


「魔王?」

「うん」

「ってあの、魔族の王様?」

「それ」


 ラータは平然と肯定し、ディアはますます驚く。


「魔王って、えええええ」

「はいどうもー魔王様ですよー、握手でもする?」


 なんとなく流されて、ディアは前に出された手を握る。


「それでなんだ? 恋愛相談とは違うにしてもラティアータ、おまえが儂に聞きたいのはこの娘絡みのことだろう?」

「そう、この子の旅の仲間のこととか、あと世界の扉に関する話とかその辺。説明する?」

「あーいい、いらん。その代わりしばし待て」


 そう言ってクレピスキュルが目を閉じると、身体が明滅し始める。

 ラータがすかさず説明してくれる。


「この王様、ほとんど寝てるからさ。こうやって世界と同期して、寝てる間の情報を取り込むんだ」

「ごめん、全然わからない」


 ディアは掌で額を押さえて、顔をしかめる。


「うーん、要するにまあ自分が寝てた間に、世界で何が起こっていたかってことを知るための作業? 自分と世界を繋いで共鳴させるみたいな。世界に色々教えてもらう、あー、いや違うな……」

「あ、なんとなくわかった気がする」

「なんとなくとか、気がするって大抵の場合理解してないんだよね……」


 ラータが胡乱な目つきになって独り言のように漏らすが、ディアの耳には届いていなかった。


「ねえ、ところでラティアータっていうのは?」

「ああ、それ僕のもうひとつの名前。クレピスキュルと契約を結んだ時にもらったものだよ。僕を識別するためのコード、うーん魔法を使うための名前って言う方がわかりやすいかな」

「そういうものなの?」

「魔法は誰でも扱えるものじゃないだろ。いわばその人が持つ魔力とそれを制御するだけ能力はもちろん、使用許可みたいなものがいるんだよ。いわゆる許可証、それが名前なんだ」


 そんなことを話しているうちに、作業を終えたらしいクレピスキュルの瞼が開く。身体からは光が消えていた。

 ラータが言う。


「早かったね」

「今回は二年分だからな」

「前は結構長かったもんね。五百年だっけ?」

「そうねー、これちょくちょく起きて更新しとくもんだな」


 やれやれと肩をすくめて、クレピスキュルはディアに向き直った。


「ということでディア・アレーニ。事情は理解したぞ」

「あ、名前……」

「それで、知りたいというのは仲間のことと言っていたか。シオンとソロとかいう名だな」


 ディアは驚きながら、何度も頷く。


「その二人についてなんだけど、ええとシオンって人だったよね。あの大学にいた人」


 ラータが確認するように振り向いて、ディアはまた頷いた。


「そのシオンって人、ディアが最後に会った時、様子がおかしかったみたいなんだけどさ。傀儡の魔法とかかけられてたりする?」

「いや」


 クレピスキュルは迷いもなく否定する。ディアが何か言おうとしたが、ラータは手をあげてそれを制した。


「それじゃあ彼は本人の意思でゼベルについたってこと?」

「まあそういうことだな。そのシオンとやらの能力を買ったゼベルの誘いに、彼は乗ったらしい」

「それじゃあ、もう一人の、ソロって人は?」

「無事だよ、牢獄で囚われているけど」


 ディアはそれを聞いて、ほっと息を吐いた。


「あの、わたしから聞いてもいいかな?」

「ああ」


 クレピスキュルは笑って短く返答する。


「ソロのことだけど……人を殺して宝石を盗んだって、それで捕まったの。それは本当のこと?」

「半分は真実だが、半分は嘘だ。宝石を盗んだことは間違いない。だが、その持ち主を殺したのは別の人間だよ」


 ディアは顔を強張らせたまま、胸を押さえる。ラータが尋ねた。


「その別の人間って?」

「ヤックハルスというゼベルの研究機関を取り仕切っている男さ。ヤックハルスは商人に命じて宝石を探させ、商人はオストリカの遺跡で宝石を手に入れた。だが連絡を受けたヤックハルスが来る前に、君の仲間が宝石を奪い去り、怒ったヤックハルスが商人を斬ったとそういうわけだ」

「なるほどね」


 それを聞いて得心がいったというように、ラータは呟いた。

 クレピスキュルはわずかに体を揺らしながら言う。


「ちなみに研究所の奴らは明日、北の地に向かって出発するそうだ。扉を開くカギが揃って、本格的に動き出したんだろうよ。あ、ラティアータ、お前の故郷に立ち寄るようだぞ」

「そうなの?」

「トルトゥガは遺跡にいちばん近い人里だからな、調査の拠点にしやすいんだろう」

「ああ、そうか」


 ラータがクレピスキュルの言葉に相槌を打ち、思い出して言う。


「ディアから聞いたよ、扉を開いて繋ぐと互いの世界の均衡が崩れるんだって?」

「そうだな、正確にはこの世界と対の世界を繋げると、というべきだが」

「一部の魔族がゼベルのその計画を阻止しようとしてるみたいだけど、魔族の王様的にどうなのその辺?」

「あー……といわれても二年程寝てたしな、その間のことは儂のあずかり知らぬところなわけで」

「白々しいな」


 芝居じみた仕草で両手を開くクレピスキュルを、ラータは冷めた目で見やった。それから隣を振り返る。ディアは唇を引き結び、地面に視線を落として何か考え込んでいる様子だった。

 そろそろ完全に日が暮れる頃だ。寮には門限があるが、ラータはどうでもいいかと思う。どうせ今から街に戻ったところで間に合わない。

 当然ながら外泊許可なんてとっていない。おそらく後で注意を受けることになるだろうし、なんなら単位に影響するかもしれないが、それでも今は目の前の出来事の方が気になった。

 遠く山の稜線が、沈みゆく太陽の光で輝いている。

 その壮烈な光の下。足元から伸びる色濃い影。

 こんな時、今までだったらディアが考えるまでもなく、シオンが最善の道を示してくれた。

 シオンがいない以上、ディアは自分で考えなくてはいけない。

 自分がこれからどうしたいのか。それは、はっきりしている。


「ソロを助けて、もう一度シオンさんと話がしたいの」


 誰に向けたものというわけではなく、ディアは思いをそのまま口にする。


「それから、それから扉を開くのをやめさせて……なんの権限も力もないわたしが、大きな国の偉い人たち相手に、そんなの無理かもしれないけど」

「それはどうかの。未来のことなど誰にもわからんよ」


 クレピスキュルが茶でも飲みながら世間話でもするように、のんびりした声で言う。

 ふと、彼女の足元を見て、影がないことにディアは気がつく。

 自分や、他の生き物たちとは異なる存在なのだと、改めて実感させられる。

 魔族の王。

 世界のすべてを知る存在。


「儂は過去に起こったすべて出来事を知り得ることができるが、未来のことはそうではない。それがたとえ一寸先のことでもな」


 クレピスキュルは大きく伸びをし、さてと呟く。


「せっかくだし儂はこれから久々に、あちこち見て回ってこようかの。まだしばらく起きておるから、用があればまた呼んでくれ」


 ラータが頷き、クレピスキュルは音もなく消えた。

 太陽は殆ど山の影に隠れてしまっていて、紺色の空には月と星があった。

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