第5話 説得
果たして二人の予想は当たっていた。
王家の象徴たる鷲と王冠を描くように配置された青のタイルは、そこだけ罠が発動しないようになっているらしかった。
だが最後まで気を抜くことはできない。慎重な足取りで、やっとの思いで扉の前まで辿り着く。
白く薄い石でできた両開きの扉には柊の木と蔦模様が描かれている。
顔を見合わせ、頷きあってから、慎重に押し開く。
「あ」
声が重なる。
これまでと比べ、広さも煌びやかのない部屋だ。それどころか朽ちかけた壁や床の色は古めかしく、ずっと昔からある場所のように感じられた。
そして壁にはやはり松明が設置されていて、扉を開くと同時に火が灯る。
中央には石の台座が据えられていた。
「あれは」
フェルディリカはゆっくりと台座に近づくと、両手で壊れ物を扱うようにそっと持ち上げる。
薄い円形のそれは何か金属でできているようで、光沢のある表面は白銀色に輝いている。とても古い代物だとは思えない。
ディアはフェルディリカの隣に立つと、なんだか気の抜ける思いでそれを見つめた。目当ての物を手に入れて、後は街に戻って、シオンとソロを探して。
ひとまず休みたいななんて、そんなことを考える。
だがフェルディリカは鏡を胸に抱え、硬い声で呟いた。
「これさえあれば、きっと……」
その言葉を聞いて、ハッとする。
そうだ。フェルディリカの目的はまだ達成されていない。寧ろ彼女にとってはこれから、なのだ。
フェルディリカがディアを振り向いて言う。
「街に戻りましょうか」
***
アリンガの町。
時は少しだけ遡る。ディアが謎めいた少女と路地裏に消えた後、ソロとシオンは手分けをして街の隅々まで探して回った。だが、どこにも二人の姿は見当たらない。
仕方なく一旦宿屋に戻ることにして、話し合うことにする。
ベッドに座ったソロが背後に倒れ込んだ。
「あ―――! たく、どこまでいきやがったんだ。あの野生児。まさか街の外に出たんじゃねえだろな」
「そうかもしれませんよ」
シオンはそう言って、グラスの中身を飲み干す。
そういやあちこち走り回って喉が乾いてるなと思って、ソロは言った。
「オレにもくれよ」
「どうぞ」
手にあるグラスを渡され、そこに瓶の中身を注がれる。
ふわりと漂ってくる強い香りに、ソロは顔をしかめた。
「これ酒じゃねえか」
「そうですが」
「そうですがって……」
「ちょっともう疲れたんで。あと多分街の外に出てしまってるなら、無暗に探し回っても無駄だと思うんですよね。ひとまず休んでもう一度、朝に聞き込みした方がいいかと思って。まあそんなこんなしてるうちに帰ってくるかもしれませんけど」
「まあな」
「ところで水が良ければもらってきましょうか?」
「ああいや、これでいいや。てかちょっとひと眠りするわ、さすがに疲れたしよ」
「はい」
一気に酒を煽ると、ソロは再びベッドに横になった。
「俺も寝とくかな、とその前に……」
シオンはベッドに腰かけ、荷物の中から大陸地図を取り出す。
宿場町アリンガ。周辺には小さな森と、海。それからその近くには王家の墓を表す印が描かれているばかりだ。
まさかなと思う。
浮世離れした雰囲気の少女。そしてその少女を追ってきたと思しき連中。
まあここで考えていても、それはただの推測でしかない。灯りを消そうと棚に手を伸ばしかけて、隣のベッドで眠る男の姿が目に入る。
「子供じゃないんだから、布団くらいちゃんと自分で着てくださいよ」
掛布団の上に転がる大の男に、余っているベッドから持ってきたそれを掛けてやる。
エビのように丸めた背中。
「そういや、宝石探してる理由聞いてないな……」
あの時ちょうど食事が運ばれてきたというのもあるが、上手くはぐらかされた気もする。
何となくだけど。
全て包み隠さず言えとは言わない。
出会って一日かそこらの、信頼関係などないに等しい間柄の人間に。ただ、旅路を共にするというなら、それなりに打ち明けてくれたっていいんじゃないかとは思う。
都合のいいように使われるのはやっぱり気分悪いし。
明日また聞いてみよう。
そんなことを考えながら、シオンはランタンに灯る火を吹き消した。
***
風に漂う塵が白い陽射しに輝き、散っていく。
賑々しい夜と比べて、早朝の宿場町は静かで冷たい空気に包まれていた。人の少ない通りには鳥たちが降りてきて、地面をついばんでいる。
そんな通りの影に潜む少女が二人。ディアとフェルディリカだ。
ディアがそっと表通りを窺って、隣のフェルディリカに頷いてみせる。
「うん、大丈夫そう。あのお爺さんたちはいないみたい」
「そう、どこかへ行ってしまったのかしら?」
「どうかな。わたしはとりあえずシオンさんとソロを探さないと」
「彼らもあなたを探しているのではないですか?」
「そうかも」
置いて行かれてたらどうしようなんて悪い考えが頭をよぎるが、昨日は夜だったし、あの後出発したということはないはずだと思いなおす。
「ディア」
呼ばれて振り返る。
フェルディリカは出会った時と同じように、外套を羽織り、フードを目深に被っていた。
「あなたには本当にお世話になりました。このご恩は一生忘れません」
「フェリカ……」
「一緒にお仲間を探してあげられたらよかったのだけど、わたくしは一刻も早く城に戻らないといけません」
「待ってフェリカ。わたし、」
「見つけた、この野猿!」
頭上から怒りの声が降ってくると同時に首の後ろを掴まれて、ディアは小さく悲鳴を上げた。
首を捻って背後を確かめると、そこには眉尻を吊り上げたソロがいた。
「お前な、今までどこいたんだよ! 行くぞ、宿であの坊っちゃんが戻ってくるの待って、準備ができたらすぐ出発するからな!」
「ま、待ってソロ」
「あン?」
首根っこを掴む手を振り払い、ディアは言う。
「わたしフェリカの力になりたいの」
「は?」
「フェリカは、たった一人でここまでやってきて、それでこれからまた一人で戦おうとしてるのよ。そんなの放っておけないじゃない」
「何言ってんだお前」
そうだ、ソロはなんにも事情を知らないんだった。
どこからどう話すか。疲労と眠気でうまく回らない頭を、ディアは必死に働かせる。
「ああーだからその」
「ひ、ひひひ、姫様ああああああ!!」
朝一番の鶏にも負けぬ程のけたたましい叫びが響き渡って、ディアの声を遮った。振り返ると、遠くからディアの半分ほどの身長の老爺が駆けてくるところだった。
老爺はぎょろりとした目を剥き顔を真っ赤にしている。
「見つけましたぞ! 今度こそ! 観念なさいませ!!」
「コザ」
「周辺へ捜索に出した兵たちも、じき戻って参ります! そうしたらすぐにでも城に……て、そこにいる娘は昨晩姫をかどわかした者ではありませんか! つまりそちらの男も悪党の一味というわけですな! ええい、王家に仇なす肝賊どもめ!」
「え―――――やっぱり―――――――ちがいますちがいます誘拐とかそんな!」
「ほれみろめんどくせえ! だからお前言ったじゃねえか余計なことに首突っ込みやがってこのドアホウ!」
「問答無用! 貴様たちはこのまま城に連行し、ラトメリア王家の名に置いて成敗し」
「コザ・トラゴス!」
フェルディリカの鋭い叱責に老人の曲がった背筋がピンと伸びる。
「ディアは、彼女はわたくしを助けてくれた恩人ですよ。悪党だなどと失礼な物言いは許しません!」
「恩人ですと? まさかそのような」
「いい加減にして、あなたの言うとおり、わたくしは城に戻ります! それで良いのでしょう!? だからこの人達には何もしないで!」
「致し方ありません。ただし姫様、その言葉に二言はありませんな?」
「ありません。あなたと共に帰ります」
フェルディリカがきっぱりと言い放つと、老人は渋々納得する。
最後に彼女はディアに顔を向けた。
「さようなら、ディア。あなたの旅が良いものでありますように」
「あ……」
祈りの言葉を最後にフェルディリカは行ってしまう。
追いかけようとしたディアは、しかし再び首の後ろを掴まれて引き留められる。
「シオンを置いていく気か? あいつはお前を探してんだぞ」
「………」
「いい加減にしろよ。お前の感情や都合で周りの人間振り回すんじゃねえ。昨日だってオレとあいつがどんだけ探し回ったかわかってんのか?」
ソロの言葉は辛辣だった。
だが尤もなことでもあったから、怒られて当然だとも思った。
考えてみれば、まだ謝ってもいない。
「ごめんなさい……」
「わかりゃいい、行くぞ」
ソロの後を、しょげるディアがついて歩く。
歩きながら考える。
フェルディリカのこと、シオンやソロのこと、それから他にも色々。
宿の前でちょうどシオンと出くわした。
「ソロさん。よかった、見つかったんですね」
「おう、どうする? すぐ準備して出発するか?」
「いや……ディア、君随分疲れてるように見えるよ。服もボロボロだし汚れてる。少し休みなさい。それから後で話を聞かせてもらうからね」
昨夜は一睡もしていない。
それにずっと歩きとおしで、気を張り続けていたから、実のところ体はかなり疲弊している。
頭は上手く回らないし、ぼーとしていて重かったが、まだ眠るわけにはいかない。
「しかし驚いたぜ、あの昨日の、こいつと一緒にいたの、この国の姫さんだってんだから」
「そういえば聞いたことがあるな。月の光を束ねたような銀の髪と北の海の水底を思わせる深い青の瞳。ラトメリアの宝石とかって」
「ふーん? けどそんなコーキなお方が何だってこんなとこにいるんだろうな」
「さあ、少なくともお忍びで遊びに来たって様子ではなかったけど」
宿の中、階段を上がりながらシオンとソロが話している。
後ろを歩いていたディアは、突然ぴたりと足を止めた。
「シオンさん、ソロ」
二人も足を止めて振り返る。
「迷惑をかけたことは本当にごめんなさい。でももう少しだけ、勝手なことを言うようだけどお願いがあるの」
ソロが顔をしかめて何か言いかけ、シオンが止める。
「わかった話を聞こう。ひとまず部屋で」
まずはソロがベッドに片膝を立てて座り、シオンはその前に椅子を二つ持ってくる。ディアに座るように促すと、棚の上の盆にのせられた水差しとコップを取り水を注いで、渡してくれた。
それから空いた方の椅子に腰を下ろす。
「話っていうのはあの王女様のことかな?」
「うん……」
「それでお願いっていうのは?」
「わたしフェリカの力になりたいの。フェリカはお父さんの、王様の様子がおかしいことを心配してて、傍にいる魔法使いに操られてるんじゃないかって考えて、それでお父さんを助けるために魔法の鏡を取りにきたって」
「魔法の鏡?」
「映した者の本当の姿を現すんだって言ってた。それがこの近くの、王家のお墓にあるって知って、昨日はそれを二人で取りに行ってたの」
「なるほどね。で、それは見つかったんだ?」
「うん、でもそれを手に入れて、解決ってわけじゃない。フェリカはこれからお城に戻って、お父さんと会って、鏡を使ってそれで元に戻ればいいけど………もし元に戻ったとしてもその魔法使いのこととかまだ不安はあると思うし、だからそのフェリカと一緒に行って何かできたらって」
「事情はわかったよ」
シオンは腕を組んで、眼鏡の奥で目を眇める。
滅多にない厳しい目つきだった。
「でもディア、君に何ができる? ことは国家レベルの問題だ。魔法使いが関係しているなら君、そんな知識だって持ってないだろう?」
「それはそうだけど………」
「それにお城には兵士だってたくさんいる。姫君のことは彼らが守ってくれるだろう」
それはそうだ。
城にはディアなどよりずっと腕の立つ人間がたくさんいる。魔法に詳しい人だっているかもしれない。
ただそれは彼らがフェルディリカの味方になってくれるならの話だ。
「でも、だったらどうしてフェリカはここまで一人で来たの? 頼れる人が誰もいなかったからじゃないの?」
鏡を取りに行く道中、フェルディリカが言っていた。
王の様子をおかしいと感じている人はいるかもしれない。でも、彼らは王に仕える身だから、主に対して疑念を抱くことが許されない。
どうにかできるのは自分しかいないんだって、見ているこちらが胸苦しくなるような顔で。
「うーん。何となくわかっていたけど、君なかなか頑固だよね」
「あと後先考えなさすぎる」
シオンとソロそれぞれに言われて、ディアは唇を尖らせる。
「でもそうだな。考えてみてくれ、君は俺たちと一緒に旅をしているんだ。一人で行動しているわけじゃない。君は姫君と仲良くなって彼女の助けになりたいって思ってるけど、俺とソロさんはそうじゃない。リスクはあれどメリットがないからね」
「それは……そうかな? メリット全然ないかな? だって一つの国を救うんだよ?」
「というと?」
シオンが苦笑し、先を促してくる。
ソロがぎょっとして、シオンを睨んだ。
「おい」
「まあまあ。で? ディア」
「ご褒美くらいもらえるんじゃない? お城にはきっと高価なものもたくさんある」
「それはソロさんが喜ぶやつだね」
「ああ? 別に今金に困ってねえよ」
「俺に借金してるくせに」
「うるせえ」
「多分一括で返せますよ。この先の旅費にも困らなくなるし」
「お前な」
「はいはいそれでディア、他に何かいいことある?」
「ええと」
ディアは頭を捻って考える。
二人にとってのメリット。
ソロがお金なら、シオンは……
「お城には大きな書庫があるわ。ひょっとしたら珍しい本もたくさんあるかも」
「うんうん。それは確かに魅力的だ」
「でしょ!」
ディアはパッと表情を輝かせる。
予定外の流れにソロが慌てて身を乗り出す。
「待てよ、オレは納得してないからな」
「まあまあそういう権利主張するのはお金返してからにしてくださいよ。これで報酬もらえたら万事解決なんだからいいじゃないですか。今回だけ今回だけ」
「おっまえ昨日の晩飯代と宿代だけでえらく強気に出るな」
あくまで穏やかに、だがかなり強引に説き伏せてくるシオンにソロは頬を引きつらせる。
「だってこれだけ言って聞かないならもうテコでも動きませんよ、このタイプ」
「だからって甘やかすとロクなことにならねぇぞ」
「やーでも俺どうせ保護者じゃないんで、この先この子がどう育とうが責任ないし」
「うわムカつく」
ソロがけっと吐き捨てるように言う。
シオンは再び腕を組んで、真面目な顔つきになる。
「それはともかく何も手を打たないまま行くのは流石に危険だな。それにどうやって国王陛下に目通りしてもらうか、会わせてくれって言って簡単に会えるような相手じゃないし」
「あ、そこはフェリカにお願いするのは?」
「姫君を保護した恩人ですーって? ああ、まあいいんじゃない? だとしたら姫について城に入らないとだけど」
「お爺さんと一緒に行っちゃった……他の家来の人たちが戻ってくるまではこの町にいるみたいだったけど………」
家来たちが戻ってくるまで、どこかの宿で休んでいるのか。
それかもう出発してたらどうしよう。
「この町で一番ランクの高い宿屋」
言ったのはソロだ。
立てた膝に頬杖をつき、仏頂面で窓の外を眺めている。
「一時的とはいえ、一国の姫君を安宿に連れて行くと思うか?」
「冴えてる」
「ちょっと考えりゃわかるだろーがよ」
おおーと感嘆の声をあげて、ディアとシオンが拍手する。
「で、それどこ?」
「いや、知るか。探せよ自分で」
「えー」
「その辺で聞きゃすぐわかんだろ、さっさとしろよ。のんびりしてる暇ねぇんじゃねえか」
「ですよねー。じゃあ俺がちょっと行ってくるから、二人はここで待っててください。特にディア、昨日寝てないんだろ? ちょっとでいいから睡眠取りなね」
「なんだ、オレ行かなくていいのか」
「あーはい、俺だけで話付けてきますんで大丈夫です。ソロさんはディアのこと頼みますね」
早々に立ち上がって、シオンは部屋を出て行った。ディアは布団に潜りこみ、今度こそ安堵して目を閉じる。
眠気はすぐに訪れた。
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