第3話 宿場町アリンガ
西の大陸、南東部一帯を占めるラトメリア。
エテジアはラトメリアの中で二番目に大きな街なのだという。
王都はもっと大きくて賑やかだから、きっと驚くよ。
そう言ったのは、相変わらず何でもよく知っているシオンだ。
目指すゼベルはエテジアよりもずっと北、山を越えた場所らしい。まだまだ先は長いようだ。
港町エテジアを出立して半日が経った頃、三人はアリンガと呼ばれる宿場町に着いた。
空は深い藍色と紅色が溶けあうようになっていて、熟した果実を思わせる太陽は遠く連なる山の影に消えかかっている。
立ち並ぶのは石造りの建物で、その殆どが宿屋であったが、中には酒場などの飲食店や衣服や薬草といった品が並ぶ商店も見られる。エテジアと首都を結ぶ宿場の賑わいは中々のものだった。
「まずは腹ごしらえしようか」
「だったらオレいい店知ってるぜ」
「ソロ、来たことあるの?」
「いんや。エテジアにいた時、王都から来たって奴がいて、そいつから聞いた。確か海猫亭って店」
狭い路地を進んだ奥。
カウンターと、四人掛けのテーブルが一つだけという小さなその店は知る人だけが知る隠れ家的存在らしい。
偶然空いていたテーブル席に座って、ソロが壁にあるメニューを見ながら店主に声を投げる。
「酒とこの嬢ちゃんには果実水、それから名物の鹿肉料理と後は適当に持ってきてくれ」
「……ソロさんお金あるんですか?」
黙って様子を見ていたシオンが目を細めて言うと、ソロは頬杖をついてニコリと笑う。
「ないね。悪いがしばらく宿代も含めて貸しといてくれや、シオンちゃん」
「しょうがないですね……後でまとめて返してもらいますからね」
軽い口調は全く悪いなどと思っていなさそうで、対するシオンの声には大して期待などしていないような響きがあった。
「それよりもソロさん、エテジアで言った話ですけど」
「あーハイハイ。オレの話ね。あの石はアレだ。ここからだともっと西の、森の奥にある古い神殿にあったもんだよ」
「神殿って?」
「どういう場所かは知らねぇよ。多分もう、何十年……いや何百年前かな? 昔は結構立派な建物だったんだろうけど、今はもうただの廃墟だよ。建物だって半分くらい崩れててさ、そこに隠し部屋があって」
「その神殿って西のどのあたりです?」
「オルグだよ、オレは昔そのあたりに住んでて」
「オルグっていうと、あれですよね。隣の、オストリカの」
「そう」
オストリカはラトメリアの西隣にある国のはずだが、オルグというのがどこにあるのかわからない。
ディアが鞄の中からエテジアで買った大陸地図を取り出し広げると、隣に座るシオンが大陸の左側の一点に人差し指を置いた。
「この辺でしたよね」
「そうそう、で森がここ」
「結構広い森ですけど、よくそんな廃墟見つけましたね」
「まあ偶然な」
「他に残ってるものとかなかったんですか?」
「かなり荒らされてたからな。例の石は隠し部屋にあったからか無事だったけど、金目の物なんて全部持っていかれちまってたよ」
「あ、そういうことじゃなくてですね。その隠し部屋に文献とかそういう何か」
「あったら一緒に持ち出してる」
「それもそうか……というかそもそもどうしてソロさんはこんな場所に」
店主が飲み物と料理を無言でテーブルに置き、カウンターの奥に戻っていった。
照りのある肉の塊と甘辛い匂いのソース、具沢山の野菜のスープ、こんがり焼いたパンとチーズに芋を蒸したもの。
見た目にも食欲をそそられる料理の数々にディアの目は釘付けで、ソロが肩を竦める。
「先に飯食おうぜ、ディアが今にも涎垂らして齧り付きそうだ」
揶揄の言葉にも、ディアからの反論はなかった。
「お、おいしー。これ、このソース、パンにつけてもいける」
「流石隠れた名店だな。おい、 そんなお行儀よくちまちま食ってたら、あっという間になくなんぞ」
「そう言うなら、ちょっとは遠慮してくださいよ」
「何言ってんだ、飯は奪い合うもんだろ?」
一人落ち着いた佇まいでゆったりと食べていたシオンだったが、二人のすさまじい食べっぷりを前に、終いにはパンでチーズと切った肉を挟んで食べるという荒業に出た。
この二人の前でのんびりしていたら、食べ損ねてしまうと悟ったらしい。
しばらくしてスープの器はもちろん、ソースの付いていた皿などは拭き取られた後かのように綺麗になっていた。
「おいしかった! ごちそうさま!」
幸福そのものの顔で言ったディアに、終始不愛想だった店主がちらりとこちらを見た。
「まいど……」
代金を置き、店を出て、宿を探す。
表通りはやはり人で溢れていて、呼び込みの声があちこちで飛び交っていた。
宿の良し悪しの見分け方や相場をディアは知らないから、二人に任せきりにしてしまっているが、できればこの旅の中でそういったことも覚えていけたらと思っている。
ディアの質問の一つ一つに、シオンは丁寧でわかりやすく答えてくれるし、シオンとは違った意味で世慣れているソロからも学ぶべきところは多かった。
「ぼーっとしてんなよディア、また財布盗られても知らねぇぞ」
「言う? それ。盗った本人が」
「本人だから言うんだよ、お前なんてあちこちに気を取られて、いかにも盗ってくださいって言わんばかりだったぜ?」
ぶつぶつ言いながらも、ディアは体の前で荷物をしっかり抱え直す。
「あの!」
「はい?」
涼やかな声に呼び止められて、ディアは立ち止まった。
傍に駆け寄ってきたのは頭から外套をすっぽり被った少女だ。
フードで目元は隠れてしまっているが、滑らかな頬の輪郭と整った鼻筋が綺麗だと思った。
「あなたに折り合ってお願いがあります」
「おい、妙な勧誘ならお断りだぞ」
「い、いえ。決してそのような」
前を歩いていたソロとシオンが引き返してくると、少女は慌てて首を横に振る。
「わたくしはただ、あなたのその上着と帽子を譲っていただけないかと」
「え?」
「お願いします、どうか……」
少女は祈るように胸の前で手を組み合わせる。
ディアの着ているそれは特段いい代物というわけではない。手作りだし、もちろん手間はかかっているが、こんな風に懇願されると正直戸惑う。
しかし少女はディアの戸惑いを違った意味で捉えたらしい。
「もちろんお礼は差し上げますわ。わたくしが着ているこの上着と、そうだわ。足りなければこれで」
少女は被っていた外套を脱ぎ、金貨三枚と共に差し出してきた。
外套の下から現れたのは思ったとおり、美しい顔立ちの少女だ。
年はディアと同じ頃だろうか。
まっすぐな銀灰色の長い髪と濃い青色の瞳。長い睫毛に意思の強そうな弓なりの眉。唇は淡い桃色で、肌は荒れたところ一つなく、白く透明感があった。
シオンはディアの隣に来ると、少女の手にある外套を観察するように手に取る。
「いい生地だよ、これ。絹じゃないかな?」
ディアはますます驚いて、少女を見やる。
少女の翳りを帯びた表情はどこか不安げで、それでいて落ち着きがなく、周囲を気にするような素振りがあった。
ソロが突き放すように言う。
「やめとけ関わるな。厄介ごとの匂いがする」
「でも……」
少女の思い詰めたような様子になんだか放っておけない気がして、ディアはソロを見上げた。
だが彼は取りつく島もなく、踵を返して行ってしまう。
「ディア、行こう」
シオンが言い、ソロに続いて歩き出す。
「ま、待って」
肩を落とし立ち去ろうとする少女の服の袖を、ディアは掴む。振り返ろうとした少女は、しかしその途中で顔を強張らせた。
視線の先を追うと、そこには旅人に混じって明らかに様子の違う男達が見えた。
中心には矍鑠とした老人がいて、彼が何事か指示を出し、男達は四方に散っていく。
「あ」
後退る少女が身を翻して走り出すのと、老人が彼女の姿に目を止めたのは、ほぼ同時だった。
老人はその場で蚤のごとく飛び跳ね、大きな声で叫んだ。
「いた! いらしたぞ! こっちだ! お前たち戻って来い!!」
ディアは咄嗟に少女の後を追う。
走り慣れた足はすぐに追い付き、ディアは腕を伸ばしてその華奢な手を掴んだ。
びくりと体を震わせた少女にディアは言う。
「こっちよ! 大丈夫、わたしはあなたの味方だから」
***
「あのバカ……」
遠ざかる二つの影を離れた場所から見守っていたソロは眉間に皺を寄せて呟く。
いかにもいわくありげな少女。言葉遣いや所作からしてもそうだが、金貨を軽々しく見せたり、物の相場もわかっていなかったり。
どこぞの令嬢といったところか。
まあ、こんなところで首を捻っていても始まらない。
「おい、どうするよ」
「どうするもこうするも……どうにかして二人を見つけないと」
そう言いつつも、路地裏へと消えてしまった二人をどう探せばよいものかと考えあぐねるシオンにソロが言う。
「あんたさ、別にあの嬢ちゃんの保護者でも何でもないんだろ? 責任ないんだしほっときゃいいじゃねえか」
「でも、俺約束したんですよ。一緒にゼベルに行こうって、それで一緒に世界を繋ぐ扉を探そうって」
「バカが付くほどの律儀さだな」
「そういうソロさんは、どうするつもりです?」
顎に手を当てて、思考を巡らせるシオンの問いかけにソロは大仰に肩を竦めた。
「あんたが行くってなら、オレも行くさ。何せオレの目的にはあんたが必要なんでな」
「助かります」
隣に並ぶソロに見えないよう、シオンは口元にこっそり笑みを浮かべる。
この人も大概お人よしだよなあなんて思いながら。
***
入り組んだ道をどこをどう通ってきたのか、もう覚えていない。
背後から追ってくる男たちを振り切るので精一杯だった。
気が付けば町の外に出てしまっていて、それでもディアはまだ走り続けた。
ある程度町から離れたところで、草むらの上に二人で倒れ込む。
流石にここまでは追ってこないだろうと思ったのと、足がそろそろ限界だった。
「つっ、かれたねー」
「はい。あの、わた、わたくしは」
「まって、話、あとに、しない?」
「そう、ですね」
しばらく二人でぜえぜえ言って、やがて互いに落ち着いた頃にディアが起き上がり、少女の前に座った。
何からどう話すべきか迷って、とりあえず名乗ってみることにする。
「えーと、わたしディアって言うんだけど」
「わたくしは……」
少女は胸の前で手を握り、少しだけ宙に視線を彷徨わせたが、決意したように唇を引き結ぶとまっすぐにディアを見た。
「わたくしは、フェルディリカ・ハトゥール・ラトメリアです」
「フェ、フェルデリカ、ハトゥ?」
「どうぞフェリカとお呼びください」
「フェリカ、さん?」
フェルディリカはにこりと微笑む。
笑顔に見とれながら、妙に立派な名前だな、なんて思う。
あれ?
というか、ラトメリアって。と考えかけたところで、フェリカが言った。
「もうお気づきかと思いますが、わたくしはこのラトメリア王国の王女です」
「えええええ、お、お姫さま!? え、本当に!? でもじゃあなんでお姫様が一人でこんなとこに」
「実は、訳あってこの近くにあるラトメリア王家の墓に向かうところなのです」
「そしたらさっきの人たちは」
「わたくしを追ってきた城の者です」
ひょっとして逃げたのはまずかっただろうか。
でもそんなことを考えても、今更どうしようもない。もう逃げてしまった後なんだから。
それよりも気になることは、まだ他にもある。
「お墓に一体何をしにいくつもりなんですか?」
まさかこの状況で墓参りだなんて言わないだろう。
「鏡を取りに……映し出した者の真の姿を現すという魔法の鏡を。そうすればお父様も……」
フェルディリカの表情があの時のように思い詰めたものになる。
彼女がその細い肩に何を背負っているのかディアには皆目見当もつかなかったが、一国の王女が城を飛び出し、追手から逃げてまで何かを為そうとしているとなると、きっと何かそれなりに事情があるのだろうことは容易に想像できた。
王女様だなんてディアにとっては遠い存在で、そんな人たちの考えていることなど途方もない話だと思っていた。
でも今目の前で悩みを抱えている少女は、自分とそう大きく変わらないような気がした。
何か力になれることはあるだろうか。
ディアにとってこの旅は初めてのことで、戸惑うことばかりだった。旅立ってから、まだそんなに時間も経っていないけれど、そんな中で親切に声を掛けてもらったり、助けてもらったりした。
嬉しかった。
ほんの小さなことだけれど、自分もいつかそんな風に少しでも誰かを助けることが出来たらと思った。
ただ一概に助けるとはいっても、何をどうするのかがわからない。
こういう時、シオンがいたらどうするだろうかと考える。
そうだ、シオンはまず相手の話を聞いていた。
「フェリカ姫」
胸の前で握りしめた彼女の手が微かに震えているのに気づく。
ディアはそのか細い手をそっと包み込むようにして、言った。
「わたしもできることはお手伝いします。だから、事情を教えてください。どうしてその鏡を取りに行こうとしているのか、その鏡を手に入れて何をしようとしているのか」
今回、シオンは一緒にいない。
ソロも。
ディアは彼らのように知識があるわけではない。
でも自分だって、誰かの助けになりたい。一人でもできることがあるんだって、そう思いたい。
そうだ、わたしだって旅に出た時は一人だったんだから。
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