カタリナさんの願い事 04

 カタリナとサティの飲み比べが始まって30分ほどが経った。


 俺の予想では、すぐにこのくだらない勝負は終わると思っていた。


 だって、どこからどうみてもサティが酒に強いとは思えないし。


 しかし、蓋を開けてみればカタリナとサティが空にしたジョッキの数は、ほぼ互角──いや、互角どころか、少しサティがリードしていた。


「次……お願いします」


 サティが6杯目を空にした。


 俺はすぐに隣のテーブルから酒を運ぶ。


 サティは仮面をつけているのだが、目元だけを隠しているハーフマスクなので口元はしっかりと見えている。


 6杯目を飲み干したその口元は、だいぶ赤くなっていた。


 これはそうとうキてるかもしれない。


 ヤバそうならストップをかけるべきか──とか言っているうちに、サティのジョッキは空になっていた。


「次、お願いします」


「お、おい、大丈夫か?」


「……え?」


 ふと、こちらを見たサティの口は不満げに曲がっていた。


「何が……ですか?」


「いや、ちょっとペースが早いかなって」


「大丈夫ですよ。ちょっと顔が熱いくらいですから。ちょっと脱ぎましょうかね」


「……え?」


 サティが仮面を脱ぎ捨てた。


 彼女が加入して、一度も脱いだことがなかった仮面を。


 俺はまるで石化魔術を食らったかのように固まってしまった。


 え? そんな理由で簡単に取っちゃうの? という驚きもあったが、何より、仮面を脱いだサティの素顔がメチャクチャ可愛かったからだ。


 酒のせいで少しとろんとしている大きい瞳は、彼女の髪の色と同じで宝石のオニキスのように黒く輝いている。


 少しミステリアスな雰囲気があるのは、彼女が東方の国出身だからだろうか。


「ああ、涼しい。早く次、持ってきて」


「お、おう」


 酔いが周ってきているのか、サティの口調はいつもとは違って刺々しい。


 目も座ってるし、なんだか怖い。


「……ピュイくん」


 と、今度はカタリナの声。


 彼女は空になったジョッキを俺に差し出していた。


「ちゃんとこっちも見てよ。ほら、空になってるわよ?(なによ。サティちゃんばっかり気にして。わたしだって……サティちゃんに負けないくらい可愛いのに)」


 意表を突いた自己主張に、鼻水が出そうになってしまった。


「というか、ふたりとも勘違いしてるみたいだけど、俺は酔いつぶれたお前らを介抱するとは言ったけど、酒を運んでくる係じゃないぞ」


「ごちゃごちゃ言わないで、早く持ってきて」


「……はい」


 唇を噛み締めながら、隣のテーブルに並んでいる酒を手に取る俺。


 ここはぐっと我慢しろ。今はこんな生意気だけど、すぐに「ピュイたん、ぎゅってして」なんて言ってくるはずだから。


 しかし、と隣のテーブルに残ったジョッキの数を見て思う。


 相当な数を頼んでしまったはずなのに、もう数えるくらいしかない。


 これはもう少し追加で頼んでおいたほうがいいかもしれない。


「すみません給仕さん、こっちに追加で酒を──」


 と、挙げかけた俺の手がピタリと止まった。


 カタリナがおもむろに、チュニックを脱ごうとしていたからだ。


「……ん、と」


 袖から手をひっこめて脱ごうとしているけど、胸当てが邪魔して上手く脱げないでいる。


「……お前なにやってんだ」


「何って、熱いから脱ごうとしてるんだけど?」


 カタリナは「それがなにか?」と言いたげに首をかしげると、もぞもぞとチュニックの下で手を動かして胸当てを外した。


 なんか、服の上からブラジャーを外すみたいな、すごい特技を持ってるな。


 ──なんて感心していたら、チュニックを脱ぎ捨てた。


「ふぅ、これですっきりだわ」


 胸元がガッツリ開いたワンピースの肌着姿になったカタリナが気持ちよさそうに髪をかきあげた。


 これはちょっとヤバい。


 何がヤバいって、モロに見えてる谷間が深すぎる。


 デカイだろうなとは思ってたけど、胸の大きさもAAクラスじゃないか。


 カタリナが少しだけトロンとした目で俺を見る。


「何よ、じろじろ見て。変態」


「へっ、へっ、変態はお前だろっ! とりあえず胸元くらい隠せよバカ!」


 直視できないカタリナの胸の谷間から視線をそらしつつ、彼女が脱ぎ捨てたチュニックを拾って、胸元に押し付ける。


「おい、こらぁ! ぴゅい!」


 今度は別の席から声が上がった。


 何事だと思ったら、サティが座りまくった目でジョッキを振り回していた。


 その光景に、目をひん剥いてしまった。


「なにしとんじゃい! はやくつぎ、もってこんかぁい!」


 サティのその姿に、ガーランドも軽く引いている様子だった。


 うん、誰だこの酔っぱらい。


 さっきまであんなに可愛かったミステリアスなサティちゃんはドコに行った?


「あぁ? なにみてんだぁ? てめぇ?」


「い、いえ、何も見てません」


 サティにじっとりと睨まれて、思わず目をそらす。


 てか、柄悪っ!


 なに? サティって酔っ払ったら豹変するタイプなの? 


 一番タチが悪いヤツじゃん!


「いまおまえ、わたしのことよっぱらいだとおもっただろ」


 ジョッキを片手に立ち上がったサティが俺ににじり寄ってくる。


「このくらいでよっぱらうわたしじゃねぇっつーんだよ、わかったかばかやろ〜」


「はい、わかります……」


「わかりますじゃねぇだろぉ、おい。おまえものめよ〜」


「はい、いただきます……」


「よし、いいこころいきじゃねぇか、がはは」


「……」


 サティが楽しそうに俺の肩に腕をまわしてくる。


 体をくっつけてきたサティから、ふわっといい香りが漂ってきたけど、柄が悪すぎるので全然興奮しない。


 俺は「この酔っぱらいをどうにかしてくれ」と、ガーランドに視線で助けを求めたが、「俺はモニカを介抱しているから無理だ」と真顔で首を横に振られた。


「……わたしなんて、どうせガサツな女ですよ」


 サティから体を揺さぶられている俺の耳をなでていったのは、カタリナの声だ。


「わたしって、きっと誰にも相手にされずにひっそりとひとりで死ぬんだわ……くすん」


 声のほうを見たら、肌を赤く火照らせたカタリナがしくしくと泣いていた。


 発狂しかけた俺は、テーブルに頭突きをかましたくなってしまった。


 ああ、もう! なんだよお前ら! 次々とめんどくさいな!  


 少しは静かに飲めないのか!


「何よ。どうせピュイくんも、めんどくさいとか思ってるんでしょ?」


「……っ」


 カタリナが潤んだ瞳で俺を見る。


 その表情に、爆発しかけた怒りは瞬く間に鎮火していく。


「そ、そ、そんなこと思ってるわけないだろ。な、なぁ、ガーランド?」


 ガーランドに救いの眼差しを送ったが、今度は視線をそらされた。


 こ、この野郎!


 自分だけこいつらのウザ絡みから逃げるつもりか……っ!


「ねぇ、ピュイくん」


 カタリナがずいっと身を乗り出してきた。


「わたしと一緒にいてくれるよね?」


 頬を赤くして艷やかに吐息をもらすカタリナに、ドキッとしてしまった。


 表情だけでエロいのに、肌着姿なのでさらにエロい。


「ええと……」


 俺は煩悩を振り払い、しばらく「一緒」の意味を考えた。


「うん、まぁ……同じパーティだし、一緒にはいられるんじゃないかな、多分」


 そして、当たり障りの無い返答をする。


 だが、カタリナの返答は、ガッツリ当たり障りがあるものだった。


「ホント? じゃあ……わたしのことギュってしてくれる?」


「……っ!?」


 カタリナが物欲しそうな目で俺を見る。


 その色っぽい視線に、俺の心臓が破裂しそうなくらいに跳ねた。


 そして──脳裏に浮かんだのは、酔いつぶれる前のモニカの話だった。


 これが、甘えん坊モードのカタリナなのか!?


「……ギュってしてほしいって、誰に?」


「ピュイたん」


 俺は飛び跳ねるように立ち上がる。


 キタキタ! 来ました!


 チャンスタイムが来ましたよ!


 ウザ絡みしてくる酔っ払いどもを見捨てなくてよかった!


 軽く涙が出そうになった俺は、両手を広げる。


 さぁカタリナよ、俺の胸に飛び込んでこい。


 そんな俺の心の声を聞いてか聞かずか、カタリナはゆっくりと立ち上がり、ふらりと俺に身を預けるようにやってきて──


「……うっぷ」


 小さくえずいた。


「え? あ、あの……どうしました?」


「もうだめ。吐く」


「……っ!?」


 俺の背中に冷たいものが走った。


「ちょ、ちょっと待て、カタリナ! ここでやるのは色々マズいぞ!」


「だめ。待てない」


 カタリナが口元を手で押さえて、弱々しく俺に体を預けてくる。


 あ、カタリナさんの胸、大きい。


「……じゃなくて!」


 天国に飛びかけた俺の理性は、秒の速さで地上に舞い戻ってきた。


 いやいや、カタリナさん! 


 確かに甘えてくるキミを見たいとは思いましたけれども、そういう感じでくっついてくるのはご遠慮いただけますかね!?


 相手がカタリナさんでも、そういうのは流石にキツいですってば!


「……ピュイくん、わたしを一人にしないでね……うぷっ……」


「いやいやいや、ソレはひとりでして! 絶対ムリだから! 給仕さんっ! 桶っ! 今すぐ桶を持ってきてっ!」


 楽しそうな笑い声に包まれた金熊亭に、俺の悲痛な叫び声が響き渡ったのだった。




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