31.狭間の場所

 御橋神社のある山を登り始め、一つ目の温泉街がある駅の周りはひっそりと寝静まっていた。

 深夜のことなので当然だ。そう考えてふと、私は首を傾げる。


(…………あれ?)


 隣に座るシロが目ざとくそれを見つけ、訊ねてきた。


「どうしたの? 瑞穂ちゃん」

「うん……」


 別にたいしたことではなかったのだが、ちょうど会話が途切れたところだったので、私は心に浮かんだ疑問を言葉にしてみる。


「出張所の周りの温泉街は、真夜中になってもけっこう賑やかなのに、この辺りのお客さんは、宿に帰って寝てるんだなって……考えてみれば、夜なんだから、それが当たり前なんだけど……」

「ああ……」


 理解したというふうに頷いたシロは、うしろのクロに目を向ける。

 何か説明しようとしてくれたのか、クロが口を開きかけた。


「それは……」


 しかし私はそれを待たず、大きな声を上げてしまう。


「うわあっ、すごい!」


 ちょうど車が、道を挟むようにして建っている大きな鳥居の下を潜り抜けたのだ。

 上りと下りの二車線を跨いで立つ鳥居は、出張所前の赤い大鳥居よりも更に大きい。灰色の石製で、重厚感がある。


「大迫力!」


 うしろに小さくなっていく鳥居を、バックミラー越しに見送っている私に、クロが呆れたように呟いた。


「この道を往復する時に、いつも見ているだろう」

「あ……そうか」


 言われてみれば確かにそうなのだが、昼間にこの道を走っていて、今のような興奮を覚えたことはなかった。

 むしろ鳥居の存在すら印象に残っていない。

 そう話すと、「今の時間は、これ以上進まないほうがいいという人間ヘの警告が含まれているからな」と答えられた。


「警告?」


 隣のシロが付け足す。


「あやかしが活発に動き回っている時間だから、狭間の空間に足を踏み入れるなら、それ相応の覚悟をしろっていう脅しでもあるね」

「脅し!?」


 ずいぶん物騒な話だと思ううちに、前方にもう一つ鳥居が見えてきた。


先ほどのものより若干小さいが、真っ白で荘厳な雰囲気がある。しかも微妙に、鳥居自体が光っているようにも見える。


(ん?……んん?)


 近づけば近づくほど、発光しているようにしか見えず、思わず助けを求めるように、後ろに座るクロをふり返ると、目を吊り上げて怒られる。


「馬鹿! 前を見て運転しろ! ハンドルを握りながら後ろを向くな!」

「だってぇ……」


 迫り来る鳥居が、まるで異世界か何かへの入り口のように、妙に恐ろしく感じるのだ。

 半泣きの私の顔をのぞきこみながら、シロがくくくと笑う。


「脅しが効いてるってことは、瑞穂ちゃんはちゃんと人間なんだね……最近、妙に馴染んでるんで、どっちなのかわからなくなりそうだったけど……」

「どっちって?」

「人間なのか、あやかしなのか」

「ああ……」


 そういえば今車内にいるのは、私以外はシロもクロもあやかしなのだと思うと、確かにおかしな気がする。

 首筋がぞわぞわするような感覚があり、それをごまかすように、わざと明るい声を出す。


「もちろん人間よ。狭間の時間の宅配屋の手伝いもするし、あやかしから人間への荷物も届けるけど……」

「そうだね」


 ちょうどその時、白い鳥居の下を潜った。

 続いて大きなカーブを描く橋を渡ると、急に道幅が広くなり、私が初めて山の上出張所へ来た時に、抜け道を通ってたどり着いた場所になる。

 やはり右手に道などなかった。


「うっ……」


 再び背筋がぞくりとする私に、クロがため息を吐きながら語る。


「今さら怯えてどうする。とっくに狭間の住人のくせに……」


 狭間の時間の宅配屋を手伝ってはいるが、その認識はなく、私はバックミラーの中のクロへ疑問の目を向ける。


「そう……なんですか?」


 説明はやはり、クロではなく私の隣に座るシロがしてくれる。


「さっき瑞穂ちゃんが怯えてた二の鳥居から宅配便出張所がある大鳥居までの間は、人とあやかしが入り混じる場所だからね……そこにある家に住んでいる瑞穂ちゃんは、立派に狭間の住人だね」

「知らなかった……!」

「だろうね」


 折しもちょうど参道前の温泉街にさしかかったところで、麓の温泉街と違い、真夜中だというのに多くの人がそぞろ歩いている。

 浴衣を着て夜道の散策を楽しんでいるのが、よく見れば頭に角が生えていたり、目が一つだったりする異形の者ばかりで、私はハンドルを握る手に、力がこもらずにはいられなかった。


「ううう……」

「お前はここへ来るのに、ありもしない近道を通らされて、みや様に直接招かれた人間なんだ……諦めろ」


 クロの言葉は厳しかったが、声音はそうでもなく、私は神妙に頷く。


「はい……」

「ほら、もう家だよ」


 シロに促されて目を向けた出張所裏の古い小さな家を、私はとてもほっとする思いで見つめた。


「よかった……」

「夕食は宣言したとおり、ちらし寿司と鰹のたたきだからな」

「今から⁉」


 思わず叫んだ私に、クロが偉そうな声で返事をする。


「俺たちの時間はまだまだこれからだからな……なんの問題もない」

「そんなぁ……」


 こんな夜中にクロの美味しい料理など食べたら、太ること間違いなしと情けない声を上げる私を、シロはけらけら笑っている。


(まあいいか、明日は休みだし……昼まで寝ていよう……)


 そう思うとお腹が空いてきた私は、先ほどまでの狭間の場所への恐怖をすっかり忘れることができた。


(狭間の住人か……)


 山の上出張所へ出向になってから、毎日信じられないような出来事ばかりだが、これまで知らなかった世界に足を踏み入れ、人間ではないものたちの存在を知り、一緒に仕事をしたり、生活したりする日々は、決して嫌ではない。むしろ――。


(明日はいったいどんなことがあるんだろうって……ワクワクする)


 バックミラー越しにちらりとクロの様子を窺うと、敏感に察知して鋭い目を向けられる。


「なんだ?」

「……! なんでもないですっ!」


 まだ謎の多い彼のことも、隣で屈託なく笑っているシロのことも、一緒に暮らすうちにますます理解が深まっていくのだろう。


(きっと……)


 宅配便出張所横の空地に停めた車から降り、私は大きく伸びをする。

 営業時間外の営業所は真っ暗だが、その斜め前に立つ大きな赤鳥居は、月の光が当たってぼんやりと輝いているように見える。

 お札の力で、今日も車を山の下まで一瞬で移動させてくれた御橋神社の神様――みやちゃんに頭を下げて、私は営業所裏の小さな社宅へ帰った。


「ただいまー」

「夜中に大声を出すな」

「あやかしたちが集まって来ちゃうかもよ?」

「ええええっ⁉」


 多少の不安はあるが、シロとクロと暮らすその場所が、私にとってほっとできる、新しい『家』なことはまちがいなかった。

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