16.人間とあやかし①
翌日。
いつものように出張所を開店する準備をしたが、体が重かった。
「あいたたたた」
昨日往復四時間もかけて、田中さんの家へ行き来した間、ずっと車のハンドルを握りっぱなしだったことがいけなかったのかもしれない。
家へ帰るとすぐに昼食を食べて、大学へと行ったシロを見送り、私自身はずっと午後からだらだらしていたのに、疲労は抜けなかった。
もちろん、そんなことを態度に出そうものなら、「余計なことをするからだ」とクロに冷たい目を向けられるとわかっていたので、昨夜も今朝も必要以上に溌溂と、元気にふるまった。そのツケを感じる。
「もう今日は、ここでずっと座ってていいかな……」
回転椅子に座って机に突っ伏していると、いつものように多香子さんがやって来た。
「あらー、今日は朝からお疲れ? 休みの日に遊びすぎちゃったんじゃないのー?」
押してきた台車からテキパキと荷物を下ろして、代金の入った封筒をさし出す多香子さんに、私は慌てて椅子から立ち上がり、準備していた領収書を渡す。
「遊びじゃないんですけど、ちょっと前任の田中さんのお家へ車で行ったら、思っていた以上に遠くて……」
「ええっ!? 田中のお爺ちゃんの家へ行ったの? それはくたびれ果てるはずだわ……」
多香子さんは驚いたように目を見開いて、それからすぐ同情するような顔になる。
「すごーく遠かったでしょ?」
「はい」
「でも田中のお爺ちゃんは、毎日あそこからここまで通ってたのよ」
「そ……うなんですか……」
聞き取りやすいはっきりとした声で、多香子さんは朗々と語る。
「ええ。出張所の裏の家も掃除はしてたみたいだから、いっそそこに住んだらって何度も言ったんだけど、自宅のお仏壇を放っておけないからってね……十年前くらいに、奥さんが亡くなったから……毎日お線香を上げて、自分が食べるのと同じ料理を供えて、まだ一緒に暮らしてる気分なんだって言われたら、もう何も言えないわよね……」
「そうですね……」
まるで自分のことのように胸が痛み、自然とうつむきがちになる私の肩をバシンと叩いて、多香子さんはガラス扉を押し開けた。
「訪ねて行ったら喜んだでしょう? また行くことがあったら、私からもよろしくって伝えておいてね、じゃあ!」
忙しく店を出ていく多香子さんを見送り、私は昨日の帰り道に感じたような、寂しさをまた感じていた。
午後になると、いつものように千代さんがやって来た。今日は都会に住むという娘さん宛ての荷物を持っての来店だったので、私はカウンターから出て、小さなダンボールをカートから下ろしてあげる。
「ええ、庄吉さんの家に行ったの……それは喜んだじゃろうねぇ」
多香子さんと同じことを言って、千代さんは私が準備した椅子に座る。
「これ、田中さんから千代さんにって預かってきました。お菓子です。手揉みのお茶ももらったから、今日はそれを淹れますね」
「庄吉さんのお茶がまた飲めるとは嬉しいねぇ……甘くて美味しいんじゃよね」
「そうですよね」
二人でお茶の準備をしていると、ガラス扉に小さな人影が映った。みやちゃんだ。
「いらっしゃい、みやちゃん」
扉を開けてやると、ぴょこんとお辞儀をして出張所へ入ってくる。
千代さんの隣に置いた椅子によじ登って座ったので、みやちゃんにも田中さんのお菓子をわけてあげた。
「はい、みやちゃんもどうぞ。田中のお爺ちゃんのことは知ってるんだっけ?」
千代さんに負けないくらい頻繁に顔を出してくれるので、てっきり前任の田中さんのことも知っているのかと思っていたら、肩までの黒髪をさらさらと揺らして首を横に振られた。
「ううん、知らない」
「そうじゃったの?」
千代さんに聞き返されて、今度はこっくりと頷いている。
「うん」
みやちゃんが焼き菓子を袋から出して、食べる手伝いをしてやりながら、千代さんが顔を近づけて、小さな声で訊いている。
「さては、みや様……瑞穂ちゃんのことは呼びなさったな……?」
みやちゃんは、まるで悪戯を見つかったかのように笑う。
「へへ」
同じような顔をして千代さんも笑っていたので、私は聞こえてしまった二人の会話を聞かなかったふりをしてお茶を淹れていたが、本当は気になっていた。
(呼ばれた? 私が? みやちゃんに……?)
そのあと二人は何食わぬ顔をして、美味しい美味しいとお茶とお菓子を楽しんでいたので、私も特に尋ねはしなかったが、心にひっかかった。
夜になり、いつものように閉店準備を終えると、私は意を決して壁に突然現れた扉を開く。
残念ながら今日も、扉が出来る瞬間は見逃してしまった。
日暮れが近づいたあたりから、目を離さずにずっと何もない白壁を見つめていたはずなのに、気がついたらそのど真ん中に扉が出現している。
(いったいいつ……まさか瞬きしている間にとか? それじゃいつまでも『その瞬間』は見れっこないよ……)
残念に思いながらも、田中さんから預かった豆太くん宛てのお菓子は忘れなかった。
(今日来てくれるかはわからないけれど……)
扉を押し開けて踏みこんだ先は、薄暗くなった木造建築の宅配屋で、クロからの声が飛ぶ前に、私は急いでカウンターの中に走りこむ。
「おっ、瑞穂ちゃん。今日は早いね」
シロはにかっと笑いかけてくれたが、クロは何も言わなかった。黙ったまま私に近づいてくる。
「え、なに……」
特に怒られることはしていないはずなのに、思わず及び腰になってしまうのは、忙しさのせいなのか、クロの全身からピリピリとした雰囲気が感じられるからに他ならない。
表情の変化に乏しいので、感情の移り変わりもわかりづらいが、少なくとも料理を作っている最中はもっと機嫌がいいと、一緒に暮らしている私は知っている。
クロは長い前髪のせいで片方しか見えていない目を光らせて、私に木簡と印章をさし出した。
「代われ、瑞穂。この間は勝手にできたんだ。もう受付のほうもできるだろう」
「あっ、そうか。そうだね」
シロは明るく言っているが、クロは私の返事を待ちもしない。さっさと奥へ行き、先日まで私がやっていた荷物を積む作業のほうを始める。
「え? できるかな……」
不安に思いながら窓口に立つと、クロがこの場所から逃げ出したかった理由がわかった気がした。
「えー、クロ様行っちゃうのー」
残念そうな声を上げる首の長い女性や、残念そうに俯く目鼻口のない女性。
「ほ? 宗主様!? まだ私めの話は終わっておりませんぞ?」
烏天狗の姿になった時のクロと同じように、背中に黒い翼、頭に四角い帽子のようなものを乗せた、限りなく鳥に近い顔をした背の低い男性。
クロが担当していた窓口には、単純に宅配を頼みに来ただけではないような客ばかり並んでいる。
「宗主様って?」
シロくんに尋ねると、眼鏡越しににかっと笑われた。
「んー、クロのあだ名みないなもの?」
「……そうなんだ」
多少納得できない思いを残しながらも、私はクロが丸投げしていったお客さんを受け付けることにした。
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