5.ふしぎな間借り人

 それはなんの変哲もない、普通の古い一軒家だった。

 ドアではなく、引き戸の玄関の鍵を開け、がらがらっと開くと、靴箱があって三和土がある。

 壁に電灯のスイッチを見つけたので、試しに押してみると、外灯も玄関灯も点いた。


「電気、通ってるんだ……」


 ほっとしながら靴を脱ぎ、廊下を進む。

 廊下を中心に左右に二つずつ部屋があり、突き当たりがトイレとお風呂と洗面所。右奥が台所。どこも綺麗に掃除されており、窓にはカーテンもかかっていて、今すぐにでも住めそうだった。

 点けれるだけの電灯を点けると、とても明るく、山の上にいることを忘れてしまいそうになる。真新しい畳と漆喰の壁のリラックス効果なのか、どこかほっとする。


「今夜はここに泊ろうかな……夜が明けてからのほうが運転も危なくないだろうし、道も探しやすいし……」


 決心しかけて、だったら玄関の扉をしっかり閉めておかなければと、玄関へ向かった。

 三和土に下りて、鍵をかけようと扉に手を伸ばした瞬間、それががらがらっと勢いよく開く。


「ひええええええっ!」


 悲鳴を上げてうしろにとびすざった私の前に、見たことのある人物が現われた。


「あれー、電気が点いてると思ったら瑞穂ちゃんじゃーん。あ! 今日からここに住むの? じゃあ、よろしくー」


 驚きのあまりに座りこんでしまった私に手をさし伸べ、その場に立たせてくれながらニコニコ笑っているのは、白いパーカーに細めのジーンズを穿いた白髪の青年だ。

 耳朶で揺れる赤いピアスを凝視しながら、私は乾いた唇を動かす。


「シ、シロくん……?」


 彼はにっこりと嬉しそうに笑って、ぽんと軽く私の頭を叩いた。


「そう、シロでーす」


 赤いスニーカーを脱いで彼が家の中へ入っていってしまうと、買い物袋を下げた背の高い男が私に迫る。


「邪魔だ、どけ。こんなところにつっ立ってないで、さっさと中へ入れ」

「は、はいっ!」


 威圧感のある声に、思わず反射的に返事をしてしまってから、私は黒シャツ黒パンツのやけにスタイルのいい男に、おそるおそる問いかけた。


「……クロさん?」


 彼は若干目に被りぎみの前髪ごしに、ギロリと私を睨む。


「そうだ」


 さもあたりまえというふうに家の奥へ入っていく背中を、私は慌てて追いかけた。


「ここって、お二人が住んでる家なんですか?」


 だとしたら勝手に上がりこんで申し訳なかったと、謝ろうと思ったのだ。

 しかし、台所から続いている右奥の部屋で、畳に座って大きなクッションを抱きしめ、卓袱台に広げた雑誌をぱらぱら捲っているシロは、それから目線を上げずに、軽く答える。


「違うよーん」


 提げていた買い物袋を台所のテーブルの上に置き、椅子にかけられていた紺色のエプロンをつけているクロは、呆れたように言い捨てた。


「お前の家だろう。何言ってるんだ」


 さも当然というふうに言われても、私はわけがわからない。


「え? でも……なんで? どうして?」


 完全に混乱して頭を掻きむしる私に、ようやく雑誌から顔を上げたシロが、すっと真っ直ぐな視線を向ける。

 それは、吸いこまれてしまいそうなほどに綺麗な、薄い金色の瞳――。


「確かに俺たちは、この家ができた五十年前からここに住んでるけど、あくまでも間借り。正式な住人じゃないよ。その間ここに住んだ正式な住人は、俺たちが居るってだーれも気づかなかったけどね……居るんだけど、居ないのと同じ……瑞穂ちゃんがさっき入ってきた、狭間の時間の宅配屋と同じようなものだよ」

「…………」


 どうやら説明をしてくれたらしいのだが、ますますわからない。

 沈黙する私に、台所で何か作っているらしいクロが、振り向きざまにびしっと菜箸の先を向けた。


「すぐに嫌でもわかる。それより俺たちと一緒に晩飯食べるのか、瑞穂。食べないのか」


 いきなり呼び捨てにされて戸惑いながらも、台所から漂ってくるいい匂いに、お昼から焼き芋一つしか食べていないお腹が敏感に反応してしまい、私は素直に頷く。


「食べます……」

「よし」


 再びこちらへ向けられたクロの背中は、これまで見た彼のどんな表情よりも、嬉しそうに感じた。


しばらくして出来上がった料理は、炊きたてのご飯に煮物にお浸しに味噌汁という、完璧な家庭料理の和食の定番だった。


「おいしい……!」


 思わず呟く私に、クロは何も言わないが、少し得意げに眉が上がっていることが、長い前髪越しにうっすらとわかる。

 代わりに、自分もがつがつとご飯を口にかき込みながら、シロが自慢する。


「だろー? クロの料理はなんでも美味しいんだ。洋食も中華もいけるけど、やっぱり和食が一番だなー。作ってる歴が違うからなー」


 手作りと思われる漬物をぱりぱりと食べながら、シロは三杯目のご飯を食べ終わり、ポットと急須と湯呑みを持ってきて、熱いお茶を淹れている。

 私もそれを分けてもらい、ほっと一息ついた。


(あー落ち着いた……)


 初対面の若い男性二人と食卓を囲んでいるというのに、場所のせいなのか、建物のせいなのか、不思議と祖母の家にでも遊びに行った時のような安心感がある。

 それも普通の人間ではないかもしれない二人なのに――。

 食べ終わった二人は、台所で並んで洗い物をしている。私も手伝おうとすると、いいから座っていろと言い渡された。


「俺たちが勝手に作って勝手に食ってるんだから、お前は気にするな」

「わかりにくいかもしれないけど、これでもクロはとっても喜んでるんだよ。俺たちがいるってわかる人に、自分の料理を美味しいって食べてもらえて……」

「っ……余計なことを言うな」

「えー、だって本当じゃーん。まったく……照れちゃって」

「シロ!」


 二人のやり取りをうしろから眺めながら、なんとも不思議な気持ちだった。

 こうして見ていると、二人とも普通の若い男の人にしか見えない。服装のせいもあるのだろうか。営業所の奥の部屋で宅配の受付をしていた時は和服だったのにと思い出し、あの部屋についてもう少し詳しく説明してはもらえないだろうかと思った。


「あの……」


 しかし、台所の片づけが終わったらしい二人は、私がいる部屋を素通りし、さっさと玄関へ向かい始める。


「どこか行くんですか?」


 訊ねた私を、クロが苛立たしげにふり返った。


「仕事に決まってるだろ」

「仕事って……」


 詳しい説明もせず、行ってしまおうとするクロに代わり、シロが笑って私をふり返る。


「俺たちの場合、預かった荷物を自分たちで届けるまでが仕事だから、さっき預かった荷物を全部、今夜中に配り終わらなくちゃいけないんだ」

「え? 夜にですか?」


 説明のために足を止めてしまったシロの肩を掴み、玄関へと向かわせながら、クロが吐き捨てるように私に答える。


「あやかしから預かった、あやかし宛ての荷物なんだから、夜に届けるのが当然だろう」

「あやかし!」


 夕暮れ時の営業所の奥の部屋に集まっていた異形の者たちは、やはりその類のものだったのだと、私は今更ながらに背筋がぞっとした。

 玄関を出ていこうとしている二人の背中に、慌てて問いかける。


「シロくんとクロさんは? 二人もあやかしなんですか?」


 見た目は普通の人間にしか見えないことに一縷の望みを託し、訊いてみたのだったが、一瞬顔を見合わせて同時にこちらをふり返った二人の瞳が、怪しく煌めく。


「「さあ、どうでしょう(だろう)?」」


 その顔の造形が人間離れして整っていることと、思わず目を奪われる不思議な魅力に溢れていることを鑑みて、私は自分で自分に返事をした。


(人間じゃない! きっと人間じゃないわ!)


 私の表情がよほど面白かったのだろう。

 シロが笑顔で誘う。


「よかったら瑞穂ちゃんも一緒に行く? そしたら答えがわかるかもよー」

「シロ!」


 咎めるようなクロの声に、「いいじゃん、いいじゃん」とシロはバンバン彼の肩を叩く。

 二人のやり取りを見ながら、私は自然と一歩を踏み出していた。


「行きます」

「そうこなくっちゃ」

「…………っ」


 笑顔で頷くシロと、不機嫌そうにそっぽを向くクロ。どこまでも対照的な二人のあとをついて玄関を出た。

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