第10話

 翌日、約束通り港町に行くことにしたのだけれど、町娘を装ってみても昨日の今日ではさすがに気付かれてしまい、道行く人々に囲まれる。それに、人気のあるヴィルヘルム様も一緒なのだ。私がいてもいなくても囲まれるに決まっている。よく考えたらすぐに分かることだった。

 町の入り口を塞いでしまっていては後がつかえてしまうので、人々を引き連れたまま開けた場所になんとか移動する。この数分だけで、力を使い切ったような感覚が襲ってくるけれど、まだここに着いたばかり。仕事に戻ってと護衛に急かされた人々が捌けて行くと、港町の中央にある噴水の淵に腰掛け、私たちはようやく一息つくことができた。


「久々です、この感じ」

「ああ、舞踏会などで囲まれるのに似ているな」

「ええ、でもこちらの方がずっと楽しいです」


 ご機嫌伺いで集まってくる人々より、感謝の言葉に溢れるこちらの方が数倍心地よい。私が気分良く辺りを見渡していると、ヴィルヘルム様と目が合った。


「どうだろう、この町は」


 活気にあふれた港町は、昨日空から眺めた時も思ったけれど良いところだと思う。実際に歩いてみても人々の顔には笑顔があるし、ひどくくたびれた様子の者は少ない。定期的に竜で空から巡回もしているため、人目につきにくい細い路地での犯罪も少なく治安も良い方だろう。


「私は好きです」


 私は素直にそう告げた。パッと見ただけでは分からないところも多く、見逃していることもたくさんあるだろう。けれど、私はここに住む人々の心がとても温かいことを知っているし、歓迎を受けたことを嬉しく思っていた。

 ヴィルヘルム様は私の返事に優しく笑い、立ち上がると手を差し出す。


「では、行こうか。もう囲まれることはないだろう」

「はい」


 潮風を感じながら、私はヴィルヘルム様と手を繋いだまま歩き出した。

 建物に入っている店も多いけれど、港に近い方は露店が多い。昨夜、イーナ嬢らしき人物を見かけた港の方から確認する。

 目新しいものはまずここから発信される。異国の品物も多くあり、目を惹く品々が所狭しと並べられていた。


「あら、これは……」

「いやー、なかなかお目が高い! 仕入れたばかりの品ですよ」


 ガラスに美しい模様を刻んだ、前世でいうところの切子グラスに目を奪われ立ち止まる。グラス自体は昔からあるものの、割らずに美しく彫るのには高い技術が必要だ。良い客を見つけたと思ったのか、頭がツルッとしている店主は切子についての説明を始める。大人しく聞いていると、作り方は前世の方法とあまり変わりはないらしい。違うのは彫る技術が魔法というだけだ。


「では、こちらにあるお揃いのグラスを包んでくださいな」


 そう言って、私がお金を差し出すとヴィルヘルム様が慌てた。ヴィルヘルム様から山のように贈られたものには到底及ばないのだから、気にしなくても良いのに。

 それに、無駄遣いではなくこれは投資なのだ。良いものを、それに見合った値段でやり取りする。新しく仕入れた品が売れれば、またそれとは違う新しい品を持ってこようとするだろう。ここには良い品が集まり、経済も動く。

 町にお金を落とすことは、人々の暮らしを豊かにすることへも繋がるのだから、やらない選択肢はない。 

「私がヴィルヘルム様にお渡ししたいのです」


 一緒に使いましょうね、と声をかければ、渋々頷いてくれる。少し残念そうなのは、プレゼントしたかったからなのかしら。でも、私も同じ気持ちだったので、ここは譲ってもらえてよかった。

 その後も屋台で串焼きなどをいただきながらイーナ嬢を探していると、ふわりと揺れる金髪を目の端にとらえた。金髪なんていくらでもいるけれど、昨日の人物だと確信する。


「あそこ!」


 人混みをかけ分け進もうとするけれど、人が多くあまり進めず、そのうちにまた見失ってしまう。賑わっているのは良いことだけれど、人を探すのには不向きだ。

 彼女は探されていることに気付いていたのだろうか。一度も目が合わなかったところから、気付いていないのかもしれない。


「この辺りで見失ったと思うのですけれど」

「俺もそう思う」


 目の前にあるのは教会だ。私達は顔を見合わせ、教会へと入る。もし居なくても駄目元だ。

 私達が婚約式を行った教会よりもこじんまりとしているけれど、手入れの行き届いている明るく美しいところだった。

 その床に跪き祈りを捧げているのは、イーナ嬢とそっくりの人物だ。祈りの邪魔をするのは気が引けて、私たちはそのまま腰掛けて待つことにする。数分後、帰ろうとするところを私たちは引き止めた。



「イーナ・ロユッテュ?」


 その名前を聞いた瞬間、顔をこわばらせると少女は震え出した。この怯え方は尋常ではない。この人はイーナ嬢ではないと確信する。

 いいえ、いいえ、と左右に顔を振りその場から逃げ出そうとするのを、私たちは必死に止めた。


「私たちはあなたに危害を加えたりしません。落ち着いて」

「だめ、だめなのです。私、私は……」


 そのままガクガクと痙攣を起こし、白目を向いて倒れてしまう。痙攣を起こしているときは、横向きに寝かせて気道を確保するのが大事だと前世で教わった。

 私は前世の知識で、胸元を緩め痙攣が収まるのを待つ。緩めた時、胸に花の形をした痣があるのが見えた。何かの書物で見たことがあったけれど、それが何だったか思い出せない。

 それよりも、今はこの目の前の少女のことが心配だ。イーナ嬢の名前を出してこうなったのだから、関わりがあるに違いない。それも、恐怖を呼び起こすような何かが。

 私が少女の様子を見ている間に、神父様に事情を話したヴィルヘルム様が控室を借りてきてくれた。頼りになる。

 そちらに少女を運び、私たちは彼女が目覚めるのを待った。

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