第1話
力強い羽ばたきで舞い降りた竜に乗った人物を、侯爵家の末娘である私──エステリ・パルヴィアイネンはにこやかな笑みで迎える。
私の猫っ毛で緩く波打つ真っ赤な髪が、竜の起こした風でふわりと舞い上がる。それをそっと抑えながら、失礼に当たらない程度に目の前の人物を観察した。
竜から降りた男は、山に数週間こもっていたような風体だ。服装だけは貴族らしい上質なものを纏っていたけれど、伸びっぱなしの髭と顔を覆う黒髪が野暮ったい。もし、元の顔が良いのだとしても、このままでは貴族令嬢に会える姿ではない。今回の用件である婚約式を考えれば尚更だ。どれほどこの姿が婚約式にそぐわないものかは、想像に難くない。
細身に見えてしっかりと鍛えられていると分かるスタイルの持ち主だけれど、顔もよく見えず年齢不詳で竜に乗って現れた得体が知れない人物だ。連絡もなくやってきたならば、確実に門前払いを食らっていたに違いない。
でも、私はこの人物をこの世界に生まれる前から知っているし、どうしてこの状態なのかも分かる。魔獣が暴れる季節で、辺境伯である彼はここのところ大忙しなのだ。その合間に無理して私の元へ来てくれたのだから、この状態なのも理解できる。
なお、生まれる前から知っているのは私が転生者だからだ。彼は生前遊んでいた乙女ゲームの攻略対象者である。
私は死ぬ直前に、彼が攻略対象となる一番楽しみにしていた隠しルートを解放した。しかし、序盤をプレイしたところで命が尽きてしまった。それが悔しくて心残りで、この世界に根性でたどり着いたのかもしれない。
前世で恋い焦がれていたとはいえ、ゲーム内の彼について私が知っていることは少ない。
辺境伯で名前をヴィルヘルム・ペルトサーリという。今の私より一周りほど年上の三十五歳で、高身長でスタイル抜群。でも、立ち絵も目の前の人物のままだったから、山男のようなこの姿以外知らない。
他の情報はほとんど開示されておらず、プレイ終了した人の嬉しい悲鳴を聞く前に自分で攻略したかったため、ゲームを購入してからずっとネット断ちをしていた。だから、ゲーム内の彼に関しては本当に情報を持っていない。
それのどこに惚れたのかといえば、まず私のいた環境的に年上好みになってしまっていたというのがある。他のキャラは彼以外、年下か同い年ばかりだった。顔が見えなかったけれど、乙女ゲームだし顔は良いに決まっている。でも顔よりも性格重視だから、山男がデフォルトならそれでも構わないんだけど。
何よりも重要だったのは、どのルートでもだいたい不幸にしかならない私のお気に入りのライバルキャラを、彼だけが幸せに導くと言われていたからだ。その一番楽しみにしていたルートをプレイしてないから、その過程は分からないけれど。
どのルートでも何故か皇太子に婚約破棄をされて惨めな人生を歩むことになる彼女。悪役令嬢なんて言われていたけれど、特にひどいことはしていなかった。ただ、皇太子に対して至極真っ当な助言しかしていなかったのに嫌われた。なんで出したんだ、さすがにあんまりだろとプレイしながらずっと思っていた。
でも、そんな彼女を幸せにしてくれる人なら、きっととても優しいに違いない。ほとんど知らない彼の高感度は私の中で爆上がりだった。
そう、私がやりたかったのは彼によってライバルの悪役令嬢が幸せになるルート!
推しキャラと推しキャラが同じ空間にいるだけで嬉しい。推しキャラ同士をくっつけて幸せにしたい。
隠しでライバルハッピーエンドルートを作ってくれたスタッフありがとう! 悲しいかな、私はあんなに楽しみにしていたのに、最後までプレイできなかったけど!
私は『
まぁ、でも腹立つなと思うのはゲーム中のヒロインの話であって、この世界のヒロインにはそこまで興味がなかった。興味がないというか、ゲームと同じ性格ならお近付きになりたくないタイプだなーって思ったから、極力関わらないようにした。
でも、なぜかすごく嫌がらせされたけれど。途中からは相手をするのも疲れたので、完全無視を決め込んだ。そうしたら、あれよあれよという間に何故か皇太子殿下の中で、私は嫌なやつ認定されたらしい。
ヒロインって皆が皆、性格が良い子じゃないのか、そうか。
思わずヒートアップしてしまったけれど、落ち着こう私。ヒロインに対する愚痴ではなく、今は私の置かれている状況説明しよう。
魔獣の討伐を終えたその足でやってきた山男のようなヴィルヘルム様は、婚約式のために現れた新たな私の婚約者である。
新たなというのは、つい半月ほど前まで私の婚約者はこの国の第一王子であるヨエル・ケッロサルミだった。現在、金髪で青い瞳の皇太子殿下はゲームで言うところのヒロインであるイーナ・ロユッテュに夢中。どうやらイーナ嬢は逆ハーレムルート突入のようで、イケメンたちに囲まれる生活を送っていた。彼女が逆ハーレムルートに入ったことで、ライバルである私はお払い箱となり、めでたく婚約破棄をされて辺境伯の彼が婚約者に抜擢されたのだ。拍手拍手ー!
そうです、私が前世で幸せにしたかったライバルキャラが今の私。なぜライバルキャラを見守る侍女とかに転生させてくれなかったのか。自分が推しになってもあまり嬉しくない。幸せになって微笑んでいる彼女を客観的に見たかった!
なんでこの配役なのか未だに不満があるけれど、私が色々と頑張ればきっとエステリは幸せになれるはず。そんな気持ちで過ごしてきたけれど、私はエステリをなんとしてでも幸せにしないといけない。もちろん、ヴィルヘルムルートは未プレイだからなにが正解なのか分からないし、どのルートにしたってすべては選択する私にかかってる。だからといって、尻込みなんてしていられないので突き進むしかないんだけれど。そもそもルートとは言ってみたものの、ルートなんてこの世界にあるんだろうか。
だって、これは私にとってすでに転生前に遊んでいたゲームではなく私が生きる世界で、間違えたとしてもやり直しはきかないから。
そんな訳で、ヨエル様はおそらく婚約破棄した私に嫌がらせとして、一周り歳が違う男を紹介してきたのだ。
何らかの事情で貰い手がなくなった令嬢に、年の差婚を勧める話は多い。加虐思考や特殊プレイで嫁の貰い手がない男にあてがわれることも多いから、それに比べたらヴィルヘルム様ならきっと天国だ。前世から恋い焦がれていたこともあるし、私にはご褒美だった。
まぁ、私がそうなるように仕向けたんだけど。
まんまと策にはまったバカ王子に私は胸の内で盛大な拍手を送っておいた。元婚約者の働きに感謝するのはこれで二回目だ。もちろん、一回目は婚約破棄のときである。
今でこそバカ王子と胸の内でだけ呼んでいるけれど、私はヨエル様のことが初めから嫌いだったわけでも苦手だったわけでもない。
幼い頃は聡明で思いやりもあって、家同士の決めた婚約者だったけれど、このまま結婚しても幸せになれると思っていたのだ。記憶が蘇った時はヴィルヘルム様のことが気になったけれど、ある事情から私は私のできることをしようとヨエル様の隣で妃になることを目指した。
ゲームだったら迷わずヴィルヘルムルートを目指したけれど、ここは現実で私以外の人々が生きている。私は未プレイで先の分からないその道を進む勇気が無かった。私のワガママを通すことで死ぬ人が増えるのは、私が耐えられない。そんな重荷は背負えない。
まあ、皇太子殿下と婚約してもゲームと同様に婚約破棄されればエステリ的には悲しい結末が待っているんだけれど、そんなことにはならないようにと色々と手を打っていた。
あと、ゲームでは語られていなかった自分の持つ力を有効活用するには、ヨエル様の隣に居ることが重要だった。その力を巡ってこれから起こるであろうことを考えると、妃になるのが一番だと家族も了承してくれた。だから、選択肢は三つほどあったけれど、その時の選択を後悔はしない。
実際、ヨエル様と仲良く過ごしていたし、金髪の巻毛が愛らしく澄んだ青い瞳も良いなと私は幼いながら気に入っていた。恋心も確かにあったし幸せだった。今はもう消えてしまって、その感情の欠片も残っていないけれど。
ヨエル様が変わったのは学園に入学してからだ。私のことを、自由を奪い交友関係に口を出す疎ましい者として遠ざけ始めた。
今思えば、入学当初からヨエル様をイーナ嬢が狙っていて、事あるごとに私の悪評を植え付けたんだろう。それまでは、私たちは本当に仲が良かったのだ。
なにやら不穏な雰囲気を感じ始めた私は、国王陛下と妃殿下にもしもの時のことを考え、ある約束を取り付けた。ヨエル様と私の婚約はお二人たっての願いであり、この国の希望だった。
ヨエル様もそれを知っていたはずなのに、私から心が離れていった。引き止められなかった私にももちろん非があるのだろうけれど、今後国を治める者としての思慮に欠けている。
私がお二人に提案したのは二つ。
一つは、私が自分の力を考えそれを踏まえて望むのは、辺境伯ヴィルヘルム様へ嫁ぐこと。ヨエル様の次に私の力を活かせるのはここがいい。今の情勢的に神殿に入るのはあまりよくない。
ただ、可哀想なのはヴィルヘルム様だ。彼にとっては寝耳に水だろうし、王家からそれを言われてしまえば拒否することは不可能に近い。私は彼にとても酷いことをしている自覚がある。そう、これは国家ぐるみの犯行なのだ。ちゃんとそれについては婚約前に説明し、謝罪までしてから婚約したいと思う。駄目だと思ったら断ってくれてかまわない。──できることなら、一緒に居たいけれど。
二つ目は、国のためにならないことをするようであればヨエル様を次期国王候補から外すことだ。弟がいるから、外されても世継ぎに関して問題はない。
申し訳ないけれど、イーナ嬢に振り回されているヨエル様に未来はない。私がそれを言えるほどすごいのかと言われれば、妃となるべく努力してきたということ以外誇れるものはない。だけど、国民のことを気にかけているという点では、ヨエル様にもイーナ嬢にも負けないと思う。
そもそも彼女は妃になるという覚悟なんてなくて、私からただヨエル様を奪いたかっただけなんじゃないかと思っている。皇太子という素敵なアクセサリーくらいの感覚なんじゃないかな。周りに集めているイケメンたちも、きっと彼女にとっては取っ替え引っ替えできるアクセサリーなんだろう。
第二の母のように私に愛情を注いでくれていた妃殿下は、震える声で私の提案を了承してくれたけれど、最後まで国王陛下は渋っていた。分かる、自分の息子がそんな馬鹿なことするはずないって思うよね。最終的には頷いてくれたので良かったけれど、信じたくない気持ちはよく分かる。
私もそんな馬鹿なことをするはずないと思いたかったけれど、国王陛下たちが城を留守にしていた時に、恋に溺れた愚かな皇太子殿下は私に婚約破棄を叩きつけたのだった。
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