第4話 トメラの嘘

「トメラ? ……トメラ!」


 ふと気がつくと、そこは芸術大学のスタジオだった。

 トメラは、はっと我に戻る。


 そうだ。

 今は卒業制作の公演の稽古をしてたんだった!


 トメラが自分の状況を再確認していると、彼の目の前にはプンプン顔の小柄な女性の顔があった。

「トメラ、ひとの話を聞いてた?」

「いっ、いえ! ごめんなさい、メスデランダ先生」

「もう!」

 メスデランダ先生は、トメラの頭の上に軽くゲンコツを置く。

 ハハハッと笑う生徒たち。

 そう、いまはこの小柄な女性、マリア・メスデランダ先生の指導を受けていたところだったのだ。

「もう一度言うね。いまの状況で脚本ができてないのは、相当ヤバいよ。トメラ。あなたの書く脚本が、すべての始まりなの。お願いだから、早く書き上げて来てちょうだい」

「すみません……」

 メスデランダ先生は、ひらひらと台本を扇いだ。

「前半の部分は、こっちで場面づくりしておくから。あなたは自分の脚本制作に集中しなさい」

「わかりました」

「それじゃあ、頼むね!」

 そう言って、メスデランダ先生は軽く数回肩を叩き、ほかの生徒たちに向けて言う。

「さあみんな、卒業制作も本番が近づいてるよ! 気合い入れてこう!」

 生徒たちは口々に、「はいっ」と気合の入った声を発した。

 トメラは、先生に聞いた。

「あのっ、先生。今日はこれで失礼していいですか?」

「どうして?」

 メスデランダ先生の、気さくな表情ながらもずしっと重くのしかかる問いに、トメラは必死に答える。

「その……市の図書館で脚本を書きたい、って思ってるんです」

 つりあがる女性の眉毛。

「隣の教室で書いちゃダメなの?」

「はい」

「どうして?」

「どうしても、ひとりきりで書きたいんです。お願いします」

 彼の必死な懇願を聞いて、しばしの沈黙が続く。

 トメラは、ゴクリと生唾を飲んだ。

すると、メスデランダ先生はにっこりと笑い出し、こくりと頷く。

「いいよ。ただし、今週中には脚本を完成させなさいよ。いいね?」

 トメラはしばらく呆気に取られていたが、ビシッと姿勢を正して深々と頭を下げた。

「は、はいっ! ありがとうございます! ボク、がんばりますっ!」

「うん。それじゃっ」

 メスデランダ先生はビシッと片手を挙げ、ほかの生徒たちのもとへ近づいていった。

 トメラは自分の荷物をまとめ、急ぎ足で逃げていくように、スタジオを出て行くのだった。


  ☆ ☆


 そんな彼が向かった先は、ボロボロの家。

 相変わらず庭の中は雑草だらけで、木造の家の柱は虫食いが目立っている。


 そう。

 彼は先生に、ウソをついたのだ。


「トメラ! 来てくれたのね?」

 ボロの家から姿をあらわすミチル。

「ああ。今日のごはんはサンドイッチだよ」

 トメラはミチルにサンドイッチを手渡す。

すると、彼女は大喜びした。

「うれしい……トメラ、どうもありがと!」

「いいよ。幸い、今日はお金もあるし、こうして時間もつくれたから。その代わり……」

 トメラはカバンから、原稿用紙とペンを取り出す。

「ちょっと、ここで卒業制作の課題をやらせてもらうけど。いいかな?」

 ミチルは喜々として頷いた。

「ええ、もちろんよ!」

「ありがとう。それじゃあ、執筆に取りかからせてもらうね」

 トメラはコンクリートの上に下敷きボードを敷き、その上に書きかけの原稿用紙を置いた。

 ミチルは、興味津々にその原稿を見つめている。

「おもしろそう……」

 ミチルのつぶやきに対し、トメラは原稿を書き進めながら応じる。

「まあ、つまらなくはないけど、案外つらいものだよ」

「そうなの?」

「うん」

ミチルは「そっかぁー」とつぶやき、ふと天井を見つめた。


しばしの沈黙が続いた。

スズメの鳴く声やボロ屋の壁を叩く風の音が、不規則にリズムを打つ。

ウ~ンとうなるトメラ。

「大丈夫?」

 ミチルの心配の声に、トメラは本音を語る。

「全然。もう、ヤバいよ」

 彼のおどけた口調に、ミチルはつい笑ってしまった。

「トメラ、さっきから何を書いてたの?」

「脚本だよ」

「脚本?」

「そう。卒業制作のための、演劇脚本さ」

「ああ! あの時約束してくれてた、例の演劇脚本ね?」

「そうだよ」

「すごい!」

 ミチルの驚嘆の声に対して、トメラは「いやいや」と両手を扇いだ。

「ボクの脚本はまだまだ出来が良くないよ。それに、ラストもまともに書けてないし」

「そう……」

 トメラは、勢いよくペンを置いた。

 どうやら、集中力が切れてしまったようだ。

 ミチルはトメラの原稿を、じっくりと眺めている。

「懐かしいわね。トメラ。あなたが前に言ってたこと、覚えてる?」

「え?」

 しゃがみこんでいたミチルは立ち上がり、トメラのマネをしだす。

「『キミのために素敵なステージを必ずプレゼントしてみせる。約束だ!』って。そう言ったのよ?」

 ミチルのしぐさを見て、トメラは声を上げて笑ってしまった。

「ボクって、そんな言い方してないよ」

「いいえ、そんな感じよ」

「うっそだア」

「ホントだってば!」

 プクッとふくれるミチルの顔。

 その顔を見ると、余計に笑いが止まらなくなってしまった。

 コンクリートの上で笑い転げてしまうトメラ。

 そして、彼はコンクリートの上にあるホコリを吸い込んでしまい、ゲホゲホと咳をしだした。

「だ、大丈夫、トメラ?」

「ああ。……ちょっと、掃除でもしようか」

「そうね」

「箒はどこ?」

 トメラの問いに対し、ミチルは「さぁ……」と首を傾げる。

 トメラは、部屋の奥へ入っていった。



 ひたすら掃除をしている、トメラとミチル。

 部屋の隅から隅まで箒で吐き溜めていき、最終的にトメラのちりとりにまとめて外の庭へ捨てていく。

 そんな作業の繰り返しが、何度も何度もループしていく。

 しかし二人にとっては、その清掃の作業自体が、なぜかものすごく心地のいい作業に感じていた。



 しばしの沈黙が、二人の間を素通りする。



「……ねえ、トメラ」

「ん?」

「あれは、どうなってるの?」

「あれって?」

「約束のステージのことよ」

「ああ」

「まだ、できてない?」

 ミチルと問いに対して、トメラは答えた。

「少しずつ進んではいるよ。でも見ての通り、ボクには脚本家の才能がなくて、困ってるんだ」

「そうなの」

「ああ」

 トメラはごみを集めて、チリ取りを持って外へ捨てていく。

「正直、一生約束が果たせないと思ってた」

「えっ?」

 振り向くミチルに向かって、トメラは自分の気持ちを素直に吐露した。

「ほら。最近この辺で、テロ事件が起きただろ? そのおかげで、『ウツクシ村の人とは関わっちゃいけない』って言われたんだ」

「そうなの?」

「ああ」

「どうして?」

「さあ、どうしてなんだろうね。大人たちはみんな、ウツクシ村の市民を犯罪者予備軍のように見ているみたいだけど、ボクにはその理由がわからない」

「そんな……」

 ミチルは、涙目になった。

「私たちは、テロリストなんかじゃない。トメラ、信じて」

「ああ、信じてるさ。だからこそ、僕は今ここにいるんだよ」

 トメラはミチルの手を取り、グッと力を入れた。

「心配しなくていいよ。ボクがついてるからね」

「トメラ……!」

 ミチルは我慢ができなくなり、目から涙がポロポロこぼれてしまう。

 彼女は必死に涙をぬぐうが、それでも涙は止まらないでいる。

ボロボロの家の中に、じめじめした空気が漂う。

トメラはミチルから視線をずらし、握った手を離した。

「……そろそろ、脚本を書かなきゃ」

「あっ……ごめん」

「ううん、いいよ」

 彼はそう言って、自分の原稿に向かった。

 再び筆を進め出すトメラ。

 ミチルはおそるおそる、そんなトメラに話しかける。

「どんな話を書いてるの?」

 彼はふとミチルを一瞥したのちに、再び原稿に目を向けた。

「……あの時のことを書いてるんだ」

「あの時?」

「そう」

「あの時って?」

 ミチルの質問に対し、トメラは恥ずかしげに言う。

「あの時の、ウツクシ村のことさ」

「えっ?」

 トメラは姿勢を正し、ミチルのほうに体を向けた。

「いまね、小さい頃に旅行で出かけた、あのウツクシ村のことを書いてるんだ。プロットも大体は出来上がってる。あとは筆を進めればいいだけ。けど、なぜかラストシーンだけが書けないんだ。どうしても、あの時のことが思い出せなくて……」

「トメラの小さい頃のことを演劇にしてるの?」

「そう」

「なるほど……。よかったら、何かお手伝いするわ」

 ミチルの提案を、トメラは右手で制した。

「いや、いいよ」

「でも……」

「まだ、キミに知られたくないこともあるしね」

「トメラ」

「ミチルは大事なお客さんだ。キミは純粋なお客さんとして、存分に楽しんでほしいんだ」

「…………」

「ミチル、見ててくれよ。ボクはこの脚本で、必ずウツクシ村の良さを発信するから。キミらは生まれながらの悪人じゃない、犯罪者予備軍でもない。ウツクシ村の市民もみんな同じ人間なんだ。そのことを、僕はこの脚本で伝えたい。がんばるよ!」

「……ありがとう!」


 外がやけに騒がしい。


 トメラはふと耳を澄ますと、家の外から、なにやらガヤガヤとうるさい声が聞こえくる。

 そして、その声はだんだん近づいていく。

「ここなのかい?」

「ああ。最近ぺちゃくちゃとうるさい声が聞こえてくるんだよ」

「おかしいなぁ。誰も住んでない空き家なのになぁ」

 ピクンと反応するミチル。

 どうやら、彼女にも聞こえたらしい。

 その声を聞いて、トメラとミチルは息を呑んでしまった。

 この空き家の近隣に住んでいる人に、気づかれてしまったのだ!


  ☆ ☆


 人の気配が、どんどん近づいていっている。

 トメラはとっさに、ミチルの口元を軽く押さえた。

 幸い、ミチルの服装はトメラの貸した私服姿であるから、すぐに身元がバレることはないだろう。

 とはいえ、誰もいないはずの空き家に二人がいることを知られたら、かなり厄介だ。

「トメラ、どうしよう……」

 彼女は口を押えられながらも、トメラに向かってそうささやいた。

 トメラは押さえるのをやめ、ミチルに小さな声で言う。

「あっちへ逃げよう」

 トメラは、裏口のほうを指さした。

 そして、彼はホコリまみれの出入り口の木戸へ近づき、ミチルを手招く。

 それに応じて、ミチルもおそるおそる近づいていった。

「よし。それじゃあ、開けるよ?」

 トメラの問いかけに対して、ミチルは大きく頷いた。

 彼がその汚い木戸を引こうとした、その時だった。


ギイッ、バタン!


 木戸が、勝手に勢いよく動き出した。

 造りからして明らかに自動ドアではないのに、戸が勝手に開いたのだ。

 トメラとミチルは、驚きの余り身をすくめた。

 急に差し込む光。

明るくなる裏口の玄関。

トメラたちの目の前に、二つのしわくちゃな顔が現れた。

「うわっ、びっくりした!」

木戸を開けた青シャツのじいさんが、目を丸くして驚く。

 どうやら、この2人は近隣に住んでいる老人らしい。

 二人ともそれぞれ帽子を深くかぶっており、涼しげなシャツを着ている。

 仕事帰りなのか、二人の老人の肌は汗まみれであった。

「どうした?」

 後ろにいるじいさんが問いかける。

 もう一方はすぐさま振り向いて答えた。

「人がいたんだ、見ろよ!」

「えっ? ああ、本当だ……」

 じいさんたちは、まるで藪から出てきたヘビをにらむような目つきで、じっとトメラとミチルを見つめた。

 そんな大人たちに対して、トメラは声も発することもできない。

「……お前さんたち、何者なんだい」

 白い半袖シャツを着たじいさんが、トメラたちに問う。

 トメラは答えられなかった。

 ミチルは、じっとトメラの背中に隠れているままだ。

「どこから来たんだい!」

「ぶっ、ブライト芸術大学から来ましたっ!」

 トメラはじいさんの声に驚いたあまりに、自分の在籍している学校を話してしまった。

 白シャツのじいさんは「はあ?」と、あきれた声を上げる。

 もう一方の青いノースリーブ・シャツを着たじいさんは数歩後ずさったが、トメラたちに言った。

「人様のお家に入り込んで、一体何をしてた」

「いっ、いえ、何も……」

「本当か?」

「はい!」

 トメラは青シャツのじいさんにそう言い張る。

 じいさんたちは互いの顔を見合ったのちに、再びトメラのほうに顔を向けた。

「ダメじゃないか! ここは空き家とはいえ、私有地なんだよ。わかってるのかい?」

 白シャツのじいさんがそうカンカンに怒ると、トメラはとっさに「すみませんでした!」と言い、深々と頭を下げた。

 ミチルもそんなトメラを見るなり、彼に倣って深々と頭を伏せる。

 そんなミチルを見て、青シャツのじいさんはニヤリと笑いだした。

「兄ちゃん。そのコは、彼女さんかな?」

 トメラは必死になって、顔を真っ赤にした。

「いっ、いえ、その……友達です!」

「ほぉ~、友達ねぇ」

 トメラはふと後ろのほうへ、顔を背けた。

 すると、ミチルはなぜか目をぱちくりさせて、トメラの顔をじっと見上げている。

「な、なんだよ」

「なんでもないっ」

 そう言って、ミチルはプイッと怒り顔になり、トメラと距離を置いた。

 声を上げて笑うじいさんたち。

「いやぁ、若いっていいもんだねぇ」

「ホントにな、あははは」

 青シャツのじいさんはまたも笑い出した。

 そんな雰囲気に乗じて、トメラもニヤリと苦笑いをする。

 だが、ミチルはいまだに顔を真っ赤にして怒っている様子だった。

 唐突に、白シャツのじいさんは聞く。

「ところでお前さんたち、学校はどうしたんだい」

 ギクッとするトメラとミチル。


 一番聞いてほしくない質問が来た!


 彼はそう思いながら、何て答えようか言葉を探すのだった。


   ☆ ☆


「おい、聞いてるのかい?」

 白シャツのじいさんは答えを促し出す。

「えっと、その……」

 トメラがそう戸惑っていると、青シャツのじいさんは白シャツのじいさんの方をどついた。

「何を言ってるんだよ、トミー。今日は夏休みの真っ只中じゃないか」

 青シャツのじいさんはトメラの答えを待つことなく、白シャツのトミーにそう言い返した。

トミーはうんうん頷き、白シャツの肩の上に掛けてある黄色いタオルで汗をぬぐう。

「そうか! それもそうだねぇ、ノルジア。あははは、すまなかったすまなかった」

「いえ……」

 トメラはそう言って、二人のじいさんから離れようと、少しずつ庭の出口の方へ出て行こうとする。

 あと少し、あと少しで出口だ!

 トメラはゆっくりとじいさんたちから離れていく。

 すると……

「おい」

「はっ、はい!」

 青シャツのノルジアの低い声に対し、トメラはビクッとした。

 ノルジアは言う。

「これからどこへ行くんだ」

「え?」

 トメラは意表を突かれて、あっけらかんとした表情になった。

 ノルジアは、トメラに付き添っているミチルを指さして、ニヤニヤしながら言う。

「どうせデートへ行くんだろう? わかってるんだよ」

「え……いや、その……」

 ヒューヒュー、とトミーじいさんも妙な盛り上げ方で、口笛を鳴らす。

 彼は汗まみれな左腕を、トメラの首まわりに巻きつけた。

 そして、トミーはトメラにささやく

「彼女をしっかり守ってやれよ。今は物騒な世の中なんだからな」

 その言葉を聞いて、トメラの顔は急に引き締まる。

(そうだ。ボクがミチルを守らなきゃ……。ボクの大事な娘なんだから!)

 彼はそう心に誓いながら、トミーにハッキリと「はいっ」と返事する。

 トミーはへへへへッと笑った。

「そうだ、その意気だ! 大事にしなよ、お若いの」

 そう言って、彼は再び笑うのだった。

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