ウツクシ村のミチル

岡本ジュンイチ

第0話 ウツクシ村の少女

揺れる木々。

 深緑な枝の隙間からこぼれる木漏れ日。

 そんな薄暗い山道の中を、ひとりの少女が歩いている。


 スーッスー、はぁっはぁ、スーッスー、はぁっはぁ……


少女は呼吸を繰り返しながら、野菜をいっぱい詰め込んだ竹籠を背負っている。

 岩が転がっているでこぼこしたこの道は、6歳の彼女にとってはとても厳しかった。

(はぁ、つかれたぁ! でも、あと少しでおうちなんだから、がんばらなきゃ!)

 彼女はそう自分自身に言い聞かせ、急ぎ足で次々と岩を飛び越えていく。

 そしてたどり着く。

 彼女の生まれ故郷、ウツクシ村に。


☆ ☆


「ただいま~」

少女は村人たちに向かって、そう言い放った。


村人たちは彼女の姿を見て、次々と近寄ってくる。

「ミチル! 今日も野菜をおつかいしに行ってくれたのかい?」

「いつもすまないね。本当に助かるよ」

 老いた白髪まじりの市民たちは、申し訳なさげに小さなミチルをねぎらう。

 だが、彼女は大きく首を振る。

「大丈夫よ。久しぶりによその街に出られて、とても楽しかったわ。はい、野菜!」

 ミチルは喜々とした表情で、村人たちに野菜を次々と手渡していく。

 村人たちは、それをありがたそうにうやうやしく受け取る。

「ミチルちゃん。これはささやかではあるけど、受け取ってちょうだい」

 しわくちゃのおばあさんが、ミチルに数枚の硬貨を握らせた。

 だが、ミチルはそれを即座に拒否する。

「ダメよ、こんなには受け取れないわ」

「いやいや、ミチルちゃん。どうか受け取ってちょうだい」

「できないわ」

 そう言って、ミチルは老婆に硬貨を返そうとする。

 だが、老婆はにこやかに言った。

「頼むよ、ミチルちゃん。年寄りのこの想いを、どうか受け取っておくれ」

「……」

 ミチルは老婆からもらったお金をしばらく見つめ、小さく「ありがとう」とつぶやくのだった。


「今日も、たくさんお金をもらっちゃった」

 ミチルは懐のポケットに触れ、チャリンチャリンと音を鳴らす。

 そして、彼女は村の向こう側に広がっている山林に目を向けた。


 相変わらず、ウツクシ村の山はきれいだな……


 そう心の中でつぶやき、ほれぼれとした表情で、ミチルは山の木一本一本に目を凝らして見つめていた。

 だが、彼女はしばらくして、ハァ~ッと深いため息をつく。

「お兄ちゃん、今ごろどこにいるんだろう……」

 ミチルはそうつぶやき、ふと薄く雲のかかった青空に目を向けた。


 ミチルの兄は、いまだに行方不明であった。

 彼がいなくなったのは、つい数ヶ月前のことである。

 ミチルは、その頃のことを鮮明に覚えていた。

 なぜなら、その数日間は彼女にとって、とんでもない悲劇を味わっていたからだ。

 

 ミチルの両親は、もう、殺されているのだ。


☆ ☆


「ミチル、おかえりなさい」

 脳裏に浮かんでくる、今は亡き母の声。

 母は、別荘地であるこの山奥の豪邸で、クッキーを焼きながら待ち構えていた。

「ただいま、お母さん」

 ミチルがそう返事すると、母はいつものようにフフッと微笑んだ。

「今日のおやつはミチルが大好きな、手づくりショートクッキーよ」

「えっ、ほんとに? やった!」

 ミチルは両手を上げて喜んだ。

 あの頃のミチルは、まだまだ幼い5歳の少女だった。

 もうすぐで6歳の誕生日を迎える、純粋な幼女だった。


「ただいま~」

 玄関から、青年の声が聞こえてくる。

 幼いミチルは、音のする方へ振り返った。

「あっ! おかえりなさい、お兄ちゃん!」

 ミチルは兄に向かって言う。

 兄は靴を脱ぎ、ミチルのほうへずんずん近づいていく。

「ただいま、ミチル。今日もいい子にしてたか?」

「うんっ!」

 ミチルの喜々とした表情を見て、兄は「そうか」と言いながら、声を上げて笑った。

「ワタル。今日も狩猟に行ってたの?」

「うん。まあね」

「ご苦労様」

 ワタルは、自分の身につけていた上着を脱ぎだす。

「この上着、そろそろ洗いたいんだけど」

「そう。それじゃあ預かるわ」

「ああ、お願い」

 兄は母に、汗の染みた毛皮の上着を手渡した。

「ねえねえお兄ちゃん、今日のおやつはショートクッキーだって!」

 ミチルがそう言うと、ワタルはにこやかに「おう、そうか!」と応じた。

「お母さん、もう食べていい?」

 ミチルは母に甘えた口調で、そう聞いた。

 母はそんな彼女に、目を細めた。

「いいわよ。ただし、手をしっかり洗ってからね」

「はぁ~い」

 ミチルは急ぎ足で、洗面台に向かって走っていく。

 彼女は背中越しに、兄と母の笑い声を感じた。

 そして玄関の戸が開き、入り口から父の声も……。




 ふと振り向くと、そこにあるのは草だらけの荒れ地だけ。

 ミチルの回想の時間は、またもはかなく消えていったのだ。

 誰もいない野道の中を、ただ一人さびしげに歩く少女。

 ミチルは、目に涙をいっぱいため込んでいた。

「お父さん……お母さん……」

 ミチルは孤独な現状に耐えかねて、ただ両肘を抱えている。

 そしてやがて、彼女はひざまずき、広大な大地に向かって泣き出してしまった。

「お兄ちゃん! どこへ行ったのよ! 助けて……助けてよ~!」

 ミチルの泣き声は、ただむなしく森の中でこだまするだけ。

 そのむなしさが、彼女の心をより悲しくさせた。


☆ ☆


「大丈夫かい?」

ふと気がつくと、ミチルの目の前にはさっきの老婆がたたずんでいた。

 ミチルは必死に、涙を隠した。

「ごめんなさい。だいじょうぶ、気にしないで」

「そうかい? でも、あんたはいまだにひとりぼっちなんだろう?」

 老婆のその言葉に、ミチルはびくっと反応する。

「どうして知ってるの?」

 ミチルがそう聞くと、老婆はにっこりと、虫歯だらけの歯を露わにした。

「あんたはウツクシ村では有名人だからね。私ら老人にとっては、アイドルみたいな存在なんだよ」

「アイドル」

 老婆はきょろきょろした両目の視線を、ミチルのほうにじっと向ける。

「あんた、ミチルちゃんだろう? スガワラさんとこの」

「ええ。そうよ」

「スガワラさんちの件は、本当に災難だったね。

家が組織に狙われて、ご両親も皆殺しにされて……」

「…………」

 申し訳なさげな表情で、老婆は言った。

「ごめんね。私らは、ただ見守ることしかできなかった。武器も持っていないし、戦う力もない。私らが昔みたいにもっと若かったら、あんな輩は村に一歩も踏み入れさせないんだけどね」

 ミチルは、口をつぐんだ。

 老婆はそんなミチルの様子を見て焦ったらしく、話題を変えようと試みる。

「ところで、ミチルちゃん。最近、おもしろいものを手に入れたんだよ」

「おもしろいもの?」

老婆は「そう」と応じ、彼女が背負っているカバンの中から、水色に輝く天然石のペンダントを取り出した。

「きれい……」

 ミチルがそうつぶやくと、老婆はまたもにやりと笑いだす。

「そうだろ。でもね、この石はただきれいなだけじゃないんだよ。この石にはね、不思議な力が備わっているって言われていてな。つい最近仕入れたばかりなのさ」

 そう言って、老婆はミチルの手にそっと握らせた。

「これを持ってなさい。ミチルちゃんにあげる」

「えっ、いいの?」

「もちろんだよ。それと……」

 老婆はそう言いながら、ゴソゴソとカバンの中をさばくり出した。

「あったあった! ほら、これもあげるよ」

 老婆はミチルの手に、もう一つ握らせた。

 それは、ウツクシ村ではめったに手に入らない、貴重な代物だ。

「スマートフォンだよ」

「えっ!?」

 ミチルはひどく驚いた。

 スマートフォンといったら、村の畑でよく流れてくるラジオのCMで有名な、最先端の機器だ。

 これ一つあれば、なんでも使うことができると聞くほどの、魔法の代物である。

「どうしておばあさん、これを持ってるの?」

 すると、老婆は口を開けて笑い出す。

「そりゃあんた、私は村で随一の中古品屋だからね。宝石も扱えば、こういう機械も仕入れてくるのさ」

 老婆はしゃがみ込み、ミチルの耳元に顔を近づける。

「これは特別だよ。困った時は、またいつでもウチの店に遊びにおいでね」

 それに対し、ミチルは老婆に大きな声で「ありがとう!」と言った。

 そして、ようやく小さな彼女の顔から笑みがこぼれだす。

「ハッハッハ。やっぱり子供は、笑顔が一番だねぇ」

 老婆はそう言ってミチルの頭を撫で、カバンを担いで去っていくのだった。

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