第27話 朝方のひと時
「勇香ってなんで生徒会に入っちゃったの?」
陽咲乃が唐突に投げたその質問に、三人は図らずとも背筋が凍った。
「アタシはもちろん勇香が不正をしたなんて思ってないけど、他の生徒たちにしたら転校したばかりの勇香が生徒会に入るなんてそれ以外ありえないって思っちゃうじゃん?」
勇香の不正疑惑から始まった嫌がらせの数々は、陽咲乃という正義の盾が現れたからこそ一時は阻止されたものの、陽咲乃がいなければ嫌がらせは続いていたはず。そもそも陽咲乃が止めてくれたからといって、根本的な問題はまだ未解決のまま。不正疑惑を晴らさなければ尚更だ。
もしかしたら、陽咲乃を良く思わない生徒たちからますます嫌がらせの応酬を受ける可能性も大いにあり得るだろう。
だとすれば陽咲乃が今瞬間にその質問を投げたのは大きい。陽咲乃程の発信力ならば、勇香に科せられた嫌疑が晴れる解決の糸口が見つかるかもしれない。その真実を陽咲乃が信じればの話だが。
「だからさ、この際はっきりしときたいなって思って」
純粋無垢で真っすぐな陽咲乃の瞳。その瞳は勇香を疑おうという気持ちは微塵もないと言える。ただ疑いを晴らそうと鬼気迫った様子だ。三人は裏表のない陽咲乃の心に気圧されてしまう。
「アタシも、友達の勇香を疑いたくなんてないから」
しばらくの沈黙の後。
「どうするんすか」
麻里亜が横目で聖奈を見つめぼそりと呟く。勇香は弱弱しい面持ちで口を噤んだまま、両手を腰に据えたまま。
「陽咲乃ちゃん。話したところで、信じてもらえるかは分からない」
「勇香ちゃんが生徒会に入った理由は、誰もが耳を疑うような事なんですよ」
感情の整理がつかず、麻里亜と聖奈は弱音を吐いてしまう。だが陽咲乃は──
「でも言わないままじゃ……勇香は卒業するまで、いや下手したら一生“不正野郎”というレッテルを貼られたままですよ」
陽咲乃の言葉に勇香の肩が竦んだ。承知の上だ。そんなの、間近にいる勇香が一番分かっている。だから何とかしたい。けれど。
「いいんですか?このまま勇香が、冤罪で苦しみ続けるなんて」
「アタシは生徒会のみんなが何を言っても、嘘を吐いたなんて思いません」
「だって銀先輩も、聖奈も、勇香も、みんなアタシの憧れなんですから」
「……っ」
「陽咲乃なら、分かってくれると思います」
そう口を吐いたのは、勇香だった。
「勇香ちゃん」
「いいんですか?」
「はい。ずっと“惨め”なままは嫌だから。自分を変えたいから」
勇香ははっきりと聖奈と麻里亜を見やる。
「誇らしい私に、なりたいから」
勇香の潤んだ瞳は麻里亜と聖奈の心を貫いた。
その言葉を発するのが、どれだけ烏滸がましいことか。ずっと自らを卑下してきた勇香にとって、自らを“誇る”ことは途轍もない日々を要すとさえ、感じていた。それでも、そんな勇香でも、“憧れ”てくれる人がいる。
「だから、自分を尊敬してくれる人を……裏切りたくない」
「分かった」
そう答えたのは、聖奈だった。
「私たちから話すほうが信憑性は増すと思うから、言うね」
そう言って、聖奈は姿勢を陽咲乃に向ける。
「勇香ちゃんが生徒会に選ばれた理由は、勇香ちゃんには途方もない“才能”があるから」
「途方もない……ってことは、勇香のそれはアタシたちのよりも凄まじいってことになるの?」
「うん。下手すれば私よりも」
そう応えた聖奈に、陽咲乃は声に発さずとも目を丸くする。
「それで、誰が勇香を生徒会に」
「学園統括委員会」
「マジ、か……」
学園統括委員会は代表委員である陽咲乃ですら謎多き組織である。何故なら代表委員の直属の上司に当たるのは学園の教師たちだからだ。学園統括委員会とは年に数回は交わる機会はあれども、ごく稀に手紙のやり取りしか行わない。それも事務書類を一方的に預けるだけ。向うからの返事はない。そんな組織が勇香を選んだとなると……本当に勇香の“才能”とやらは凄まじいものと、陽咲乃は秒読みで実感できた。
もしくは、無理やり“才能”とでっち上げた他の理由が存在するのか──
「招き入れたなんてそんな優しいもんじゃないっす。一方的っすよ」
「つ、つまり……学園統括委員会は勇香の“才能”目当てで強制的に生徒会に所属させたってこと?」
「そう、なるね」
陽咲乃の結論に、聖奈がコクリと頷く。
「なんのために……?」
「委員長は、勇香ちゃんの才能を役員総出で育て上げなさいって言ってた」
「……っ」
「勇香ちゃんの才能は、魔王を倒せる程だとも」
「具体的に講義か何かで勇香の才能について説明はされなかったの?」
「先生からは魔力が全回復する、あとは属性がないってことは聞いた」
「所謂無属性っすか。
無属性。いや、属性を持たないと言った方が正しい。
陽咲乃ですら、“無属性を体内に秘める勇者”は魔術の教科書や伝承として語り継がれている本、文献で知っているくらい。実際に無属性を持つ者と対面したのはこれが初めてだ。しかも陽咲乃よりも華奢で、何の変哲もなさそうな少女が。
それを聞いた陽咲乃は、衝動的に持っていたスプーンをカタンと落としてしまう。
「ははっ、なんか勇者を目指すのが馬鹿らしくなってきちゃったな。才能があるって言われたから、アタシは今まで勇者を目指そうと頑張ってたのに」
ふいに垂れた陽咲乃の言葉に、勇香は背筋がピンと張ってしまう。
「所詮アタシの才能は、学園統括委員会からすれば勇香には到底及ばないってことでしょ?それって本当に“才能”って言うのかな」
「……っ!」
「でもおっけーありがと。ようやく全容が理解できた」
元気そうに見えて、それでいて枯れた声で感謝すると、憂さ晴らしに陽咲乃は紅茶を啜った。
「でもそうだよね。生徒会は学園でも一二を争う実力のある勇者だけが入れる特権だもんね。だったら勇香が入るのも必然か……」
「必然なんかじゃ……ない」
スプーンでオートミールを掬っていた勇香が、陽咲乃の言葉を聞いて手を止めた。
「私には、才能がある。それだけ。今の私の見合う実力なんて、私には微塵もない」
「実力……?」
そうして、横目で陽咲乃を見やる。
「才能才能って……先生や向う側の人たちにはいっぱいちやほやされたけど、その才能を開花させる術なんて私にはない。嫌がらせにだって、簡単に屈してしまう程度の私が、才能を開花させて魔王を倒せる勇者になるなんて……夢のまた夢だよ……」
「……」
「少なくとも今は、陽咲乃の方が、私よりも勇者としては格上」
「その言い分だと、いずれ勇香がアタシを超すって言いたいわけね」
「えっ!?決してそんなわけじゃ!?」
「いいよ。かかってきなよ。アタシもいっぱいいっぱい“努力”して、勇香の“才能”を打ち負かしてやるから」
陽咲乃は目線を上げ、勇香を扇動する。
「ていうか才能云々はまだしも……生徒会の素質だって、コミュ力高いアタシのほうが勇香より何千倍も何億倍もあるはずだし!次の生徒会選挙で戦ったらアタシが圧勝するに違いない!!」
陽咲乃の挑発的な物言いに、聖奈と麻里亜でさえ目を見張る。
唯一勇香だけが、陽咲乃の話を目を瞬かせながら耳を傾けていた。
「決めた!今度の生徒会選挙に立候補して、アタシは勇香の席を奪う!」
そして勢いのままに席を立ち、陽咲乃はビシッとガッツポーズを決める。
「それで生徒会に入って、いずれは生徒会長の座に就いてやる!!」
ふいに窓から突き刺した陽光が、陽咲乃の身体を照らした。
その光に陽咲乃は思わずふふっとニヤける。
おもむろに勇香を振り向くと、その頬には──キラリと光った一滴の雫が。
「な、何!?アタシ勇香に宣戦布告したはずなのに……なんで泣いてんの!?」
「ごめん、嬉しくって。こんな私と対等に勝負してくれる人がいる……なんて」
「勇香ちゃんは自分を下に見すぎなんですよ。もっと胸張らないと……そんじゃなきゃ自分を変えるなんて無理っすよ」
にやけ面でスプーンを差しながら、麻里亜は口を突く。
──自分を変える。
胸に手を当てた勇香の横から、陽咲乃は語り出す。
「アタシと勇香は友達でもあり
好敵手。それは共に励む仲間でもあり、共に競う敵でもある。そんな存在だ。
「今はまだ仲良くしてるけど、時が来たら、私は容赦しないから」
本気で戦う。それが陽咲乃の宣戦布告だ。
「そしてアタシは絶対に勇香の
──アタシはアタシの正義を貫く
「だから勇香も、それまでに力つけて、自分を変えなさい」
「……っ」
「胸張って、アタシと戦えるように、ね」
語尾を強調させ、にっこりと微笑んだ陽咲乃。
その安らかな笑みに、勇香は思わず頬を緩ませてしまう。
「分かった」
「今からでも胸張ってみてよ。勇香はさ……アタシの憧れの、生徒会の一員なんだから」
「こ、こうかな……」
勇香は椅子を下げ、ぷくぅと胸を反らせる。
「あはは!胸を張るって物理的に胸を張らせることじゃないって!」
「えぇ、じゃあどういう……」
「自分を誇るってこと」
「……っ!」
「誇れる自分になりたいって、さっき言ったでしょ?」
「私に、なれるのかな」
「なってよ。そうじゃないと、アタシが憧れる意味なくなっちゃうから」
二人の微笑ましい会話を聞いて、胸をときめかせる聖奈。
一方頬杖をついて無言で話を聞いていた麻里亜は、不貞腐れ気味に尋ねる。
「そーいえば、いつの間に二人はタメで語り合う仲になったんですか?」
「「え?」」
麻里亜が質問した途端。二人の会話がばっと止み、揃って麻里亜を見つめた。
「勇香ちゃんもどさくさに紛れてひさのんのこと呼び捨てにしてるし」
「それは……陽咲乃の方から……」
「アタシー友達百人作りたいからー友達とは呼び捨てで呼び合えるようになりたいんですぅー」
「いや明らかに距離感近いし、言ったら親友って域だし」
「陽咲乃ちゃんは誰とでも仲良くできるからね」
微笑する聖奈に、ふと陽咲乃の目線が下がる。
「まあそれもあるだろうけど……真面目に答えると、なんか勇香とはシンパシーが合うっていうか、仲良くしたいって思えるんだよね」
「え?」
きょとんと陽咲乃を見つめる勇香。
「なんでかは分からないけどね。アタシの正義感からかな。弱いもの虐めはいかん!っていう」
首を傾げて考え込む陽咲乃。
だが考えても無駄だと唾棄して、勇香を見やった。
「まあとりま、勇香とは時が来るまでは仲良くしてくつもりだから!今後もよろしくね!」
「うん」
勇香は頷いて、二人でそっとハイタッチを交わした。
「そ、それで話を戻しますけど、肝心の不正疑惑の件がどうするんすか?」
「うーん。その件はアタシが今聞いた真実を伝えてみんなに拡散してみるつもりですけど。今聞いたこと、別に口外してもいいんですよね?」
「う、うん。別に禁句とは言われなかったと、思う」
「そっか。それじゃあ遠慮なく伝えてみるけど、信じてもらえるかが問題なんだよね」
いくらクラスの中心的存在である陽咲乃が勇香の才能についてを隠さずに広めたとて、そんな突拍子もない話を信用する者の方が希少だろう。かと言って逆に不正疑惑を塗り替えられる程の新たな噂を流したとしても、いつかはボロが出てしまうのも事実。
「それに勇香の味方をしちゃったことで、アタシを巻き込んだ新たな噂が広まってるかもしれないし」
「っ!」
「そうなったらもうどうしようもないよね」
「最悪のパターンってやつっすね」
「陽咲乃ちゃんはみんなからすごく信頼されてるって私も知ってるから、ないとは信じたいけど……」
自分のせいで、陽咲乃がみんなから嫌悪されてしまうかもしれない。その事で、勇香はしゅんと胸が苦しくなってしまう。
「最悪のパターンはなしにして……やっぱり、どうやって真実を信用しやすく伝えるかがアタシの腕の見せ所になる、か」
「ごめん。迷惑かけちゃって」
「迷惑なんかじゃないって、アタシがやりたいからしてるだけ」
「やりたいから……?」
「っと、話してるうちに時間が……そろそろ支度しないと学校に遅れちゃいますよ」
「そうだね、みんな食べ終えたし、食器片付けようか」
麻里亜の一声で、聖奈が食べ終えた丸底皿を持って立ち上がった。
陽咲乃と勇香もそれに釣られて席を立つ。
「わ、私も手伝います」
「ならアタシもー」
「わっ、みんな一斉にキッチンに来ないでくださいよー!」
清々しい朝の陽気に似合わぬ麻里亜の絶叫が、キッチン中を抜けて外にまで響いた。
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