第4話 家族だから……
――キャッツレイ侯爵は油断していた。
「……そうか。名も知らぬ少女よ。キミの育ての親は実の娘可愛さに、
「なっ……殿下!?」
「シルヴィニアス様……」
それまでとは纏う空気が変わり、ミーアを知らぬ女性だと言い始める王子。
静まり返る侯爵家の面々。
先ほどまでの温かな空気が一瞬で凍り付いた。
「残念だったな、キャッツレイ侯爵。僕の神獣人としての能力は、ずば抜けた嗅覚と聴覚。一度嗅いだ人間の匂いは決して忘れないんだよ」
「まさか……」
「ああ。最初から気付いていたさ。五年前のパーティで会ったミーアと、五年間会っていたこの少女は全くの別人だ。見た目は誤魔化せても、匂いで僕を騙すのは不可能なんだよ」
その言葉を聞いたキャッツレイ侯爵はみるみるうちに
「なんだ、思っていたよりもあっさり認めるんだね。……まぁ、家族しか知らない僕の秘密をこれ以上バラさなくて済んだけど」
誰に言うでもなく、小声でそう呟くシルヴィニアス。
どうやら彼の能力は、ただ嗅覚が優れているだけではないようだ。
シルヴィニアスは自分より倍以上も年上の侯爵に、冷ややかな鋭い瞳で見下ろしている。
嫁ぐ寸前の娘の前で、床に這いつくばる父親の姿はあまりにもみっともなかった。
侯爵も自身のやらかしてしまったことの重大さは、十分に理解している。
だが、彼にも譲れないことがある。
「も、申し訳ありません!! しかし殿下や王家に
「その娘、とはどの娘のことを言っているのやら。ミーアか? それとも、この少女のことかな?」
「そっ、それは……!!」
この国で一番怒らせてはいけない人物の逆鱗に触れてしまった。
ましてや彼はあの神獣人であり、次期王と
一族が死罪にされてもおかしくない。
しかしシルヴィニアスが本当に怒っているのは、長年自分が騙されていたことに対してでは無かった。
それもそうだろう。
二度目に会った彼女がミーアではないことなど、すぐに分かっていたのだから。
シルヴィニアスは自ら侯爵家を調べ上げ、あの嵐の夜に起きた真相を
それでも、彼は
――少なくとも、彼女を迎えに来た今日までは。
脂汗をダラダラと流し、侯爵は床で土下座をしたままブルブルと震えている。
王子は一歩、また一歩と罪人へと近寄っていく。
そして断罪の剣を抜こうとした瞬間。
「……キミ、それはどういうつもりだい?」
ミーアの身代わりだった少女が、侯爵を
「もう、お止めください。全ての責任は私……ターニャが取りますので」
彼女はもちろん武器など持っていない。
しかし彼女に抵抗する気など皆無だった。
「そうか、キミの本当の名はターニャというのか。だが、キミの言う責任とは……?」
それでも侯爵を殺させまいと、身体を小刻みに震わせながら立ち向かっている。
王子は殺気を少しだけ抑え、ターニャと名乗った少女の真意を尋ねた。
「シルヴィニアス様を今まで騙していたのは、この私です。婚約を破棄し、私の首をその剣で
「た、ターニャ!!」
「……侯爵は少し黙っていろ」
普段は口数の少ない大人しい彼女が堂々と宣言する。
周囲の者も驚いて目を丸くしているが、シルヴィニアスにとって今はそれどころではない。
「……ターニャ。キミはどちらかと言えば被害者だろう。いくら拾われた恩があるからといって、命を懸ける義理はあるのかい?」
彼女に関しては終始優しい態度をとるシルヴィニアス。
だが手は剣に置いたまま。
誰か不穏な言動をすれば、すぐさま切り捨てるつもりなのは変わらない。
「……家族だから」
「家族……? それだけの理由なのかい? もしも事前にそう言うように言われていたのなら……」
「あの嵐の日、私は死を覚悟しました。でもそれでも良かった。生きる意味も無く、ただ道具のように使われる毎日でしたので。……だけど!!」
ターニャは生みの親に名も与えられず、最低限以下の食事だけで働かされていた。
やがて衰弱して動けなくなった彼女は、壊れた
彼女は本当ならあの日、馬車に轢かれて死んでいたはずだったのだ。
「それでも、キャッツレイ侯爵家のお陰で生まれ変わることができました! 私にも、大好きな家族ができたんです!!」
侯爵はミーアの身代わりの為とはいえ、ターニャを二人目の娘として愛情を持って育ててくれた。
ミーアも妹のように可愛がり、母親の形見であるはずの指輪を渡してくれた。
ターニャはこの侯爵家に来たことで、家族が居ることの幸せを初めて知ったのだ。
……それでも、シルヴィニアスはなおさら理解ができなかった。
家族なら、彼女を身代わりになんてしないだろうに……。
だが、ターニャも侯爵も嘘を言っていないのが分かっている。
分かってしまうが故に、心の中でモヤモヤが
誰も言葉を発さず、沈黙の時間がしばし流れる。
ジリジリと高まる緊張感。
このままでは恩人が、家族が処刑されてしまう。
駄目押しとばかりに、意を決したターニャが口を開いた。
「さぁ、シルヴィニアス様。私を殺し「待て」――え?」
突然ターニャの言葉を
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