青年期:帝国編
第172話老騎士
エルピス達が帝都に来るまでおよそ二日、これはこの世界の基準からしてみれば驚異的な移動速度であった。
通常の移動手段、たとえば馬車を用いての移動であれば二ヶ月以上の歳月がかかってもおかしくはない。
徒歩ならば半年以上、飛行艇を使ったとしても一月はかかるだろう移動を二日で終えられたのは常識の外にある魔力があってこそだ。
「もう首都が見えてきやがった、さすがに転移魔法を使うとはえぇな」
「これも全てはあの距離を転移させられるエルピス様の魔力があってこそじゃな、行きに比べて随分と楽な移動で済んだ」
そう言って笑うのはトゥーム、彼もまた驚異的な速度で帝国から王国へ移動していたが、それに比べても今回は遥かに早い。
転移魔法を使用しての移動は平均的な魔法使いであれば自分以外に一人を隣街まで飛ばすので精一杯、宮廷魔術師クラスでも五人くらいを国内で転移させるのが精一杯だ。
だがエルピスは五十人は近い人数を遥か彼方の国にまで飛ばすことができる。
これは父であるイロアスさえも遥かに超える魔力量であり、無尽蔵にさえ思えるその魔力が攻撃に使用されたのであれば王都防衛戦で放たれたと聞くいくつかの魔法も信憑性を帯びてくるというものだ。
「この後は別邸への移動で大丈夫ですよねエルピス様?」
「うん大丈夫だよ。一旦荷物類もそこに置いておきたいし」
エルピスの
その点で物資の補充や活動拠点としてもアルヘオ家の別邸は便利だ。
帝国に置かれているアルヘオ家の別邸は四大国の内でも最大であり、聞けば皇帝とイロアスには浅からぬ縁があるらしくその縁で大きくしてもらったらしい。
皇帝の方からエルピスにも直接文が届いており、達筆な字で書かれたエルピスを歓迎する内容が綴られていた。
そんな手紙をふらふらと手で揺らしながら街門の順番を待っていると、前の方で何か問題が起きたのか大きな声が聞こえてくる。
「なんで俺達が入れないんだよ! おかしいだろうが!?」
「だから今は貴族優先だと言っているだろう。後ろ見てみろ、アルヘオ家の家紋だ。あれ全員分の登録用紙を今から俺らは書く必要があるの、お前らを構ってる暇はないの」
「なにがアルヘオ家だ!? イロアスとクリムは魔界に行ってるはずだろ? だったら息子か執事かしらねぇがあんなもんおこぼれ貰っただけの—―」
「やめといた方がいいと思うぜ旦那。あそこにいるのは予想通りアルヘオ家のおぼっちゃま、周りにいるのは各家から集められた最高戦力って話だ。
殺されないうちに逃げた方が良いんじゃないか?」
おこぼれだななんだなと言われるのにはもはやエルピスは慣れており、両親の事をけなさいのであればその言葉に特に何か感じることはない。
だが執事やメイド達は別だ、怒髪天をつく勢いで怒る彼らをなんとか抑え込みエルピスは前の方へと進んでいく。
貴族が優先されるのは当たり前、ついで商人や冒険者が優先され、彼等のようなごろつきなのか何かの組合に参加しているかわからないようなものは後回しにされる。
これはこの世界で当たり前のことであり、後味の悪さは感じつつも執事達を引き止めたことで許して欲しいとエルピス達は受付を始めた。
「お見苦しいところをアルヘオ様。話は皇帝陛下から賜っておりますが、規則は規則。申し訳ございませんがこちらの書類一式にサインを」
「いえいえ、世界会議がなければ僕も譲りたかったんですけどね。あ、ペンはあるので大丈夫です」
手渡された書類に何か問題がないか適当に確認すると、エルピスは慣れた手付きでサインを行う。
書くのは名前と役職、どこの国から来たか、目的地と取る予定の宿など。
帝国の防犯意識が高いのは話に聞いていたが随分としっかりしており、昔の事ではあるがグロリアスが真似をしたいと言っていたのもこれを見れば確かに悪い案ではない。
監視カメラまであるのか台数こそ少ないものの人とはまた違った視線を感じ、エルピスはその機構を鍛治神からの知識で想像しながら全ての書類にサインを終えた。
書き終えた紙を手渡し先に進もうとすると、ふと白い顎髭を蓄えた老騎士と言った風貌の男がエルピス達の前に立つ。
抜き身の剣をぶらつかせながらこちらに近寄ってくる様は、帝国の紋が入った鎧さえ着用していなければ攻撃も辞さない程度に危機感を感じさせる。
「お前らがアルヘオ家か。話には聞いているが随分とまたゾロゾロ引き連れてやってきたな」
「あー、すいませんほんっとすいません。パララスさん謹慎解けたばっかなのにまた謹慎喰らいますよ」
「うるさい黙っておれ。ふん……なるほど、身なりは悪くないな」
物色するようにエルピスを見つめるパララスと呼ばれた老騎士の態度に、フィトゥス達は先程押さえ込んだ怒りを再燃させる。
この部隊を率いていた分かった事だが全員が家に対する忠誠心が高すぎて、こう言うことになった場合すぐに喧嘩になりそうになるのがエルピスとしては困りものだ。
「まぁどうせ皇帝のお呼びだ、わしが止めたところでどうにかなるもんじゃないとは思っておるが、トゥームの主人にしては面白みがない顔をしてある」
「さっきから黙って聞いてりゃ、おっさんいい度胸してんじゃねェか」
「なんだ跳ねっ返りの小僧如きが、わしの話に入り込むとは良い度胸をしておる!」
「はいはい。どうでもいいのでとっとと通してください」
何が彼をそうさせるのか分からないが、喧嘩をしたいのならば我が家とは関係のない人と関係のないところでやって欲しいものだ。
口振りからしてトゥームの知り合いのようなのだが、しかし目線を送ってみれば申し訳なさそうな顔をされるだけで、友好的な間柄といったわけではなさそうである。
渋々と言った風にしてようやく倒されたエルピス達一行は、馬を引きながら別邸に向かって一直線に進む。
「よかッたのかよエルピス様、舐められたまんまで見逃しちまッて」
「イライラを他人に擦り付けてるだけの人とは関わらないでいいよ、危害を加えて来ない以上は何を言われても無視すればいいだけさ。トゥームさんあの人について何か知っています?」
「申し訳ありません、私の客ですあれは。
かつてはよく冒険の稼ぎを競い合った中なのですが、徴兵されてからは荒れ始めまして」
「なるほど」
帝国では元冒険者が兵士として雇われているのはそんなに珍しい事ではない。
人は生きていくのにお金が必要で、イロアスやダレンのように国に属さない場所に居を構えていたとしても人である以上は何かにつけて金がいる。
若い頃に賞金を稼いでいた冒険者などは溜め込んでいたりするので働く必要もないが、戦闘狂だったり浪費癖のあるものはああして働いているのだ。
それから少しすれば聞いていた通りの外見の家が現れ、荷物や馬を移動させながらエルピスも屋敷の中に入っていく。
「こっちもなかなかすごい設備が整ってますね、見た感じ貰い物ばっかですけど」
「イロアス様が要らないもの全部こっちに送りつけてくるからメイド長が大変だと言っていました、この後はどちらに?」
「とりあえずは市内の散策かな。俺達がこっちに着いたことは向こうもわかってるだろうし、声話かけてくるまでは自由にさせてもらうよ」
「エルピス様ー! 俺達を置いてくのは良いですけど気をつけてくださいねー」
荷物を適当な部屋に詰め込んだエルピスは、それだけ言うと後を追いかけようとしてくる執事達を置き去りにして外に向かう。
道中でやっておいて欲しいことはもう事前に全員に説明済みであり、エルピスがこれ以上ここに残っている理由もない。
早足になるのにはもちろん理由があり、一刻も早くエルピスは外に出て帝国の名産品が食べたかったのだ。
「それじゃあ行こっかエルピス」
「居ると思ったよニル。師匠はどこに?」
「なんか最近考え事してるみたいでさ、まぁ良いじゃんかせっかく二人なんだし」
家の外壁に背中をつけて待ってくれていたニルを連れて、エルピスはとりあえずはと食べ歩きのできる店を求めながら放浪する。
レネスに関してはニルがいう通り最近何か考え事をしているようで、修行も休みが多くなったしエルピスとしては先週は忙しかったのでありがたかったが少しだけ気にかかる。
「帝国の名産品は何と言っても翼長種の卵だね、あと鶏肉系も美味しいのが多いらしいよ」
「トゥームから聞いた話によると鍋も結構いけるらしい。比較的気候も安定しているから、いろいろな野菜を使った鍋が食べられんだってさ」
白い帝都を散策しながらエルピス達は、食欲の赴くままに様々な所を渡り歩いていく。
食欲で言えば龍の肉も中々の物だ、この付近にある龍の谷には古龍が大量に住み着いているためさすがに帝国も手が出さないでいるようだが、たまに龍種の肉が市場に上がることもあるらしい。
古龍の肉は硬くて食えた物ではなかったので、出来れば青年になったばかりの龍がいいのだが、中々どうして最近は空を飛んでいても喧嘩を売られることが少なくなってしまった。
「鍋もいいねぇ。個人的には激辛が好きだね、美味しいものも食べれるし、汗をかいてダイエットもできるし!」
「辛いのか…辛いのどうなんだろ。前世だとお腹痛くなるからあんまり食べられなかったんだ」
「でもその割にエルピス山葵とかは好きだよね?」
「あれはなんだろ、お寿司とかで慣れたのかな? もしかしたら気の持ちよう次第なのかもね」
辛いものといえば共和国の肉料理が激辛で有名だったはずだ。
この世界の激辛業界について全く詳しくないエルピスだが、この世界で取れるような激辛の食べ物がロクなものではないことくらい流石にわかる。
出来れば食べたくはないものだが、エルピスの方を見るニルの目はキラキラとしており是非一緒に食べたいと物語っていた。
覚悟を決めたエルピスの鼻にほのかな香りが漂い始め、その匂いにつられるままにして歩いていくと串焼き屋が現れる。
「いらっしゃい! 一本銅貨五枚十本で銀貨四枚でいいぞ」
白い布を頭に巻き、どこでかいてもらったのかやけに達筆な字で串焼きと書いてある看板を見ていると、中にいる店員から笑顔と共に声がかかる。
だいぶ良心的な価格設定で、日本換算なら屋台の出店とほとんど同じ程度の値段で売られていた。
「一羽丸ごとっていけます?」
「一羽ぁ? 良いけど本当に食えるのか?」
「
自分のお腹をポンと叩きエルピスがそういうと、店員の目が頭から下まで降りていき納得したように頷く。
龍の身体を動かすのは魔力だが、半人半龍の場合はその魔力分を食事で補うこともできる。
アーテなどはそのタイプでかなりの大食漢なのだ。
「亜人か、なら納得だな。そっちの嬢ちゃんは?」
「僕はどうしよっかなぁ……そうだなぁじゃあ一羽と唐揚げ五個で」
「おお彼女さんの方も食べるねぇ! 良いよ良いよ嫌いじゃないよ、唐揚げおまけしちゃおう。合わせて金貨一枚だ」
「「ありがとうございます」」
無理を聞いてもらった屋台の店員に感謝して二人が頭を下げると、笑顔を見せながら少し待ってくれと軽く調理を始める。
魔法を使ったこの世界の料理は比較的早く終わり、エルピスは差し出された料理と金貨を交換して少し歩くとその肉にかぶりつく。
この世界に来て何度も味わった全身を突き抜けていく幸福感、噛めば噛むほどに出てくる油は違和感なく喉を通っていきエルピスの食欲を刺激する。
下品な食べ方であるかも知れないがエルピスは歯が硬いので骨ごと食べることが可能で、ゴミを捨てる場所も無いかとそのまま全て食べ終えたエルピスはナプキンで口を拭いて幸福の時間を一旦終えた。
「ふぅ…美味しかった。やっぱりいいねこの世界のご飯って美味しいや」
「唐揚げも美味しいよエルピス。食べる?」
「うんありがと。って恥ずかしいからやめてよ」
目の前で爪楊枝のような木の枝に刺されてエルピスに差し出される唐揚げに対してそう言うと、ニルはなんのことを書かれているのか分からないといったふうに小首を傾げる。
これではまるで自分だけが変に意識をしているようで、かえってそれが恥ずかしくなりエルピスは黙って唐揚げを口にした。
どちらかと言えば唐揚げというよりは竜田揚げ、料理下手な奴が見様見真似で作った唐揚げが変な形で広まったのだろうと思いつつ、その味にエルピスは目尻を下げて笑みを作る。
「美味しい?」
「美味しい。ありがとニル」
「えへへー、いいよ。今度僕も何か手料理作ってみるね」
「楽しみだな。何か得意な料理ってあるの?」
「僕はそうだなぁ……霞とか作るの得意だよ」
「それは俺の世界だと仙人しか食べられないんだよ」
(霧を食べろと言われても食べられる訳が……あれ? 俺いま神人だからもしかして食べれたり?)
頑張れば光合成でも出来そうな今日この頃、霞くらい頑張れば行けそうな気もする。
「次はどこ行こっか」
「んー。まぁどこでも良いよエルピスと一緒なら」
にっこりと笑うニルを連れて、エルピスは続けて帝都を歩いていく。
行き先はないが、隣に彼女がいれば暇をすることはないだろう
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