第25話自己紹介

 朝焼けが部屋の中を照らし出し、陽の光でエルピスは眼を覚ます。

 気分は上々……とは少し言いづらい。

 王城に来てから早いことで一週間、今日は初めてエルピスが王族に対して教鞭を取る日。


 いくらエルピス本人が緊張を感じにくい性格をしているとはいっても、転移直後は生徒だったエルピスには教師としての経験などもちろん無いので、緊張してしまうのも仕方のないことだろう。

 二度寝しようとする身体を意志の力で押さえつけ、エルピスはなんとか布団を跳ね除ける。


「ふぁぁっ……よく寝たな。んっしょっと」


 自分の身体には少々大きすぎるベットから転がり落ちるようにして出ると、部屋に備え付けられている鏡の前に立ち、エルピスは身嗜みを整える。

 いつもであれば誰かがエルピスの身嗜みを整えてくれるのだが、今はそれをしてくれる人も居ないのでこういった事も自分でしなければならない。


 鏡の中に移る自分の姿を見ながら自分で身嗜みを整えるのもいいが、だらだらできたあの日常も良かったと思ってしまうのは、やはり人間だからだろうか。

 どうでもいい事を考えていると細かい事が気になってくるもので、鏡の表面が少しザラザラしているのが気になりエルピスが手で鏡に触れると、頭の中に声が響く。


『どうかしたか龍神よ』


「鏡が気になっただけ。寝てて良いよ」


 呼ばれたと勘違いしたのか声をかけてきた龍を相手しながら、エルピスは鏡に手を触れ〈錬成〉の#技能__スキル__#を使用して鏡を別のものとして作り替える。

 それだけですこし見にくい鏡が見やすく綺麗に変わって行き、その間にエルピスは作業をしている右手を使わずに器用に服を着替える。

 先程これらの事を自分でしなければいけない事に苦言を漏らしたが、訂正しよう。

 実際は家にいた時となんら変わらず、給仕の人が着替えを手伝ってくれるのだ。


 だがここはエルピスに与えられた個人部屋。

 その為給仕の人達も部屋の主人の許可無しには入ってくる訳にもいかないし、さらに言えばまだ時間も早いのでメイドもエルピスが起きているなど思ってもいないだろう。

 他人に服を着替えさせてもらうのは確かに楽だが、自分の好きな服が着れないというのはそれなりにストレスも溜まる。

 こうしてたまには自分の着たい服を着る日を作るのも、ストレス解消の一環だ。


 王族の教育もあるので、なるべく動きやすいようにだるっとした服を選んで着る。

 戦闘などをするならつかまれる可能性があるのでこの様な服はあまり適してはいないが、戦いを挑まれるわけでもないのにわざわざきっちりとした服を着なくてもいいだろうという判断からだ。


『おい、良いのか魔改造が止まってないぞ』


 そんな声が聴こえて沈んでいた意識を浮上させると、いつの間にか部屋の中がかなり変わっていた。

 先程まで眠っていたベットはそもそも材質から変わっているように見えるし、部屋の中に置かれた家具も無駄な装飾が削られ、先程までよりも落ち着いた雰囲気を醸し出している。


 この部屋に置かれているものはエルピスの私物が大半なので、改造された事に関してはそれほど問題ではないのだが、いくら制限をかけているとはいえ錬成という鍛治神の#技能__スキル__#の一端を使用することで頭痛が酷くなってきた。

 これ以上の能力の使用はあまり体にも良くないだろうし、そもそも自分の所有物でも無い物まで勝手に弄るのはマナー違反なのでこの辺でやめておく。


「ありがと。切り忘れると勝手に動き続けるから困ったもんだよ」


 #技能__スキル__#を解除し最後に身だしなみを整えたエルピスは、ようやく準備を終えて廊下へと出ていく。

 王城で働く人間は基本的に朝早くから夕方まで働く人と夕方から夜の遅くまで働く人の二パターンに分かれているのだが、王族は後者にあたるのでそれまで少し時間がある。


 太陽の上り具合からまだ約束の時間までかなり時間があるだろうと思いながら、エルピスは龍に声をかける。


「えっと……いまの時間ってどれくらいか分かる?」


『人間の時間の尺度で言うと午前七時くらいじゃないか? 多少は誤差があるとは思うがな』


「あと三時間も有るのか……どうしようかな」


『教師として仕事するのであれば事前に準備も必要だろう。先に行っておいて損はないのではないか?』


「それもそうか、龍も他の人に教えたりしたことあるの?」


『我は基本的にそんな事はしないがそうだな……昔一度だけ気まぐれにそんな事をした気もする』


 龍と会話をしつつエルピスは王城の見取り図を見ながら行く場所の目安をつける。

 廊下でエルピスが出てくるのを待っていたのか、立ったまま眠りこけているメイドがいたが、起こすのも忍びないので椅子を出してそこに座らせて毛布をかけてそのままにしておく。


 ここまですれば普通起きても良いものだが、エルピスには常時存在感が消えるという特性が盗神の能力で付いているのでいくら弱まっているとは言えこの程度では起きない。

 さすがに相手が起きていて、最初からエルピスに対して注意を向けていればエルピスの存在には気づくが。


「これで良しっと」


「おはようエルピス、朝早いな」


 椅子にメイドを座らせたのと同じくらいのタイミングで、朝の稽古を終えたであろうアルキゴスがこちらへとやってくる。

 まだ眠そうな表情のアルキゴスに対して、エルピスは収納庫ストレージからコップに入った水を取り出してアルキゴスに渡しつつ言葉を返す。


「いままで森暮らしでしたから、自然と朝は早くなりました。こちらの人がどうかは分かりませんが、村に住んでいる人たちも普段からこれくらいの時間に起きるんですよ?」


「森の生活は日の出てる間じゃないと出来る事が少なくなるからな。そこのメイドはーー」


 雑談を交わしている最中にアルの目に留まったのは、当然というかやはりというか寝ている二人のメイドだ。


「ーー起こさないであげてくださいよ? 僕が勝手に早い時間に外に出て行動してるだけで、彼女達に非は無いんですから」


「分かってる。初日だからってお前の睡眠時間を把握するために、わざわざこんな早くからここにいるこの二人を責めたりしないさ」


「なら良いですけどね、アルさんはこの後何かご用でも?」


 どうやらメイド達は特にこれと言って責められないらしく、その事に安堵しながらエルピスはアルに質問する。

 執務用の制服と言うには余りに楽な格好だし、一応武器を腰に挿してはいるものの中庭方面からこちらに来たのでおそらくは先程まで剣の訓練をしていたであろう。


 そんな単純な思考からの質問だったが、アルキゴスは少し考えたそぶりをしてからエルピスの質問に答えた。


「本当ならもう少し剣の素振りをしてから行こうかと思ったがーーまぁ良いか。国王からお前の教育の手伝いをしてやれと指示を出されてるんでな、今日から俺はお前の手伝いをする事になった。この服は単純に楽だから着ている」


「僕と同じ理由ですね! アルさんが手伝ってくれるなら百人力です!」


「お世辞を言うな。あと俺の師匠も教育に参加するとさ。とは言っても魔法に関係する分野からで、更に早くとも明日かららしいがな」


 そんな会話をしながらも、エルピスとアルは王城の長い廊下を歩く。

 さすがにこの時間帯でも起きている人はやはり何人か居て、時折メイドや執事、料理人などに出会いながらエルピス達は王城の少し外れにある家に向かう。


 敷地内に城と別に家があると言う時点で、エルピスからすればさすがこの国の王が居る場所なだけあるなと言う思考が浮かぶのに、それが転生前の自分の家よりふた回りは大きいものともなれば、驚くのも無理はないと自分でも思う。

 話によると王族が勉強する為だけに作られた場所らしいのだが、木造建築が少ない王国内ではなかなかに豪華な建物だ


「この家って変な場所に立ってますよね。景観を損なうって泣いてた大臣思い出しましたよ」


「外に出るにもどこに行くにもここから行くのが一番近いし、王の部屋からも見えるからな仕方ない」


 確かにそう言われてみればここなら修練場までそのまま直線で行けるし、見てみれば国王の私室からも家自体が映るようになっている。

 緊急時に何かあればすぐに対応できるようにしている辺りあの王らしいと思いながら、エルピスはその家の扉をゆっくりと押し開ける。


 洋風と和風を両方合わせたようなその独自の建物の中は、広い教室ーーいやこの場合作り的に階段教室と言うのが正しいだろうーーの様になっていた。

 机の上に置かれた生徒名簿、とは言っても王族とアウローラだけであるが皮で作られた名簿に軽く目を通してから#収納庫__ストレージ__#の中に入れておく。

 

「懐かしいですね黒板も。これこの世界でなんで言うんですか?」


「普通に板だな。長ったらしい名前もあるが別に板で十分だろ、異世界人が残したものだし」


「それもそうですかーーん?」


 日本にいた時と外見的にほとんど一緒の黒板に、何か書こうとしてチョークをもったエルピスの手がふと止まる。

 この空間内に自分とアルキゴス以外の人間の気配、正確に言うならば四人の人間の気配を感じたからだ。

 いくら戦闘状態ではないとはいえ、〈気配察知〉の範囲内にいながら先ほど見落とした事に驚き、注意深くエルピスが再び机の方を見ると机の影にちらほら見えるのは人間の手と足。

 この部屋に入ることが許されているのは王族と指導役のみなので、つまりあの手足の主は……。


「…………アルさんあれって」


「…………………王族の不祥事は見なかった事にする、分かったな?」


「……はい」


 ーーそれから四時間後

 寝ている王族を起こし、丁度開始五分前にやってきた二人の王族の方を迎え入れ、刻一刻と授業が始まるときが近づいていた。

 先程までは寝ぼけていた王族も、今では目をしっかりと開けて話を聞く体制が整っていた。

 高校生でも出来ない奴は出来ないしっかりと話を聞くと言うことが全員できる事に、さすが小さい頃から教育されている王族だとエルピスは感心する。

 緊張して詰まりそうになる言葉を意思の力で制御して、落ち着きながらエルピスは自己紹介を始めた。


「私が今日から皆様に魔法並び戦闘を教えさせて頂きます、エルピス・アルヘオと申します。どうぞお見知り置きを。

魔法は一通り、戦闘に関しては魔物相手を得意としていますが、人相手の戦闘もできます」


 近所の村の人達に対して自己紹介をする事は有っても、王族の方に自己紹介をする機会など人生で初なので、少し緊張してしまったがちゃんとできたように思う。

 そこからどの様な事を重点的に教えていこうと思っているのか、などと言った事を説明していると、王子の一人から質問が上がる。


「第一王子のグロリアス・ヴァンデルグと申します。エルピスさんはどうして教師になろうと思ったんですか?」


 エルピスに対して質問を投げかけてきたのは、第一王子つまり将来はこの国の王になる人物だ。

 いきなり将来の国王にさん付けで質問され、ドキドキしながらもエルピスはしっかりとした態度で質問に答える。


「ーー国王様から直々に教えてくれと頼まれまして。私も将来この国を守り育てていく皆様方に、少しでも御尽力できればと思いましたので」


「本当は私の専属の筈だったのに国王にとられーー」


「アウローラ様、私語はお控え願えますか?」


 余計な事を言おうとしているアウローラの言葉に被せる様にして、エルピスは王子の質問に答える。

 将来の国王にさん付けで呼ばれるなど正直むず痒いというか、プレッシャーを感じるのでむしろやめてほしいが、関係としては教師と生徒な為、そこら辺はキッチリしろとアルキゴスから指示されているので変更を求める事はできない。

 嘘ついてんじゃないわよとでも言いたげなアウローラの視線を無視しながら、エルピスは他に質問がないか問う。


「他に何かございませんか?」


「第二王子のルークって言います! 先生って剣も使えるの? 魔法が得意って感じだけど」


「多少なら問題は有りませんよ。とは言っても私の戦い方は所詮我流、王族の方々が使うにしては少し荒すぎますので、教える事は出来ませんが。それにアルさんがいますし」


 さすがに将来重要な役職に就くであろう王子に対して、袖にナイフを隠したりだとか目潰しに砂を投げたりだとか、剣で切った後に相手を魔法で焼くなんて事は教えられない。

 もちろん相手がそういった方法で攻撃してきた場合の対処法などは教えるが。

 剣技に関してはアルキゴスが全てを教えると国王から事前に通知されているエルピスは、その旨を伝えこの話を終えた。


 場の空気も徐々に質問する流れになってきたのか何度か質疑応答を繰り返していると、次は女性から声をかけられる。


「第一王女のイリアと申します。次は私から質問してもよろしいでしょうか?」


「すみません。さんを付けるくらいなら構いませんが、さすがに敬語はおやめください。それで一体どの様な質問でしょうか?」


「なるべく配慮します。貴方の身体から漏れ出ている魔力から、若干ですが神職に携わる者の気配を感じました。どの神を信仰しておられるのですか?」


「か、神ですか」


「えぇ、神です」


 笑顔でそう笑う恐らくは同年代くらいの第一王女に対して、エルピスはどうしようかと頭を悩ませる。

 まさか魔力から神に関わる何かと判断されるとは夢にも思っていなかった。

 まぁ相手もこちらが神だとは夢にも思っていないだろうが。

 ここで適当な神の名前を言って言い逃れする事も出来るのだろうが、もしもそれが王女の信仰している神と敵対でもしていたら面倒な事になる。


 露骨に嫌がられる様な事は無いだろうが、それでも指導する際に面倒なのは確実だ。

 架空の神の名前でも持出そうかと頭を悩ませるエルピスに、いつぞやの声が耳に届く。


『ロームと答えれば良いかと』


「僕が信仰……とはいってもそれほど熱心に信仰しているわけではありませんが、しているのはロームという名の神です」


 小さな声で教えてくれた言葉を頼りに、エルピスはそのままを王女に答える。

 ロームと言うのがどんな神様かをエルピスは知らないが、少し考える様な仕草を王女は見せ、それから思い出した様に言葉を紡いだ。


「確か原初の天使を従えた神のうちの一柱でしたか。有名ではありますが随分と古い神を信仰しているのですね」


「はははっ……そうですかね」


 (いやそんな事言われても知らねぇの! この世界の神話も読んだには読んだけど、自分の担当種族を推してる神様多過ぎて面白くなかったから途中で読むの辞めたし!)

 ーーなどとは口が裂けても言えないので、エルピスは適当に返事を返す。

 これで質問は終わりかとあたりを見渡すと、ピンと手を伸ばしきらきらした目でこちらを見つめる王女の姿が目に入る。


「ーー何か質問でしょうか?」


「第二王女のミリィと申します! エルピスさんにはどれくらいまでの魔法を教えてもらえるのでしょうか?」


「皆様の魔法の素質がどれほどか分かりませんので、まだなんとも。ですが最低でも皆様が上級の魔法を使える様になるまでは、頑張らせて頂くつもりです」


上級魔法、それは魔法使いとそうでないものを隔たる壁の最たるものだ。

そこで止まるかそのさらに先の超級にまで手をかけるかは別として、正式に魔法使いを名乗れるのは上級魔法習得者のみである。


「じゃあ僕からも質問! 先生ってどれくらいまでの魔法なら使えるの? まさか上級までだったりしないよね?」


「こらペディ! エルピスさんに対して失礼だろ!すいませんエルピスさん」


「いえいえ、気にしないで下さい。自分達に教育するものの技量が知りたくなるのは、当然の事ですから。先ほども申し上げましたが、五大属性全て得意属性ですしそれ抜きにしても宮廷魔術師程度には負けませんよ」


 この場に魔法に関しての常識を持っている人物がアルキゴスしかいないので驚きの声が上がらないが、五属性も扱えるのは異常だ。

 本当は全ての属性を操れるのだが、逆に多過ぎても胡散臭く聞こえるのでこれくらいの数が丁度いいだろうというエルピスの判断だが五属性の時点でよほど胡散臭い。


 感心した様な表情を見せながらへぇ~と呟く王族とは別に、まるでこちらの秘密ごとでも知って居るかの様なを笑みを浮かべながら、声を押し殺して笑うアウローラの姿があった。

 彼女の事だからテンプレを順調に踏み締めているとでも思っているのだろうか、なんだか腑に落ちない。


「ーーとは言え実物を見ない事には信用し難いでしょう。時間も丁度いいので訓練場の方に向かいたいのですが、よろしいでしょうか?」


「はい、構いません」


「やったー! 僕あそこ大好きなんだよね!」


「アウローラは何か質問しなくていいの? 今から魔法の実演らしいけど、貴方魔法好きでしょ?」


「大丈夫よイリア。彼とは昨日個人的に喋ってるし、それよりどんな魔法を使うか気になるわね」


「では訓練場に向かいます。私は施錠してから行きますのでアルさん先に行っておいて貰ってもいいですか?」


「あぁ、任せろ。みなさん怪我をしない様に気をつけてくださいね、怒られるのは自分ですから」


 アルが先導して外に出て行くと、教室内は直ぐに静かになる。

 耳が痛くなるほどの静かさに鍵を閉めて、エルピスもその後を追うのだった。

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