幼少期:王国編
第17話王都へ
エルピス10歳の誕生日が過ぎてはやいことで既に一か月。
春も落ち着きを見せ過ごしやすい気温になってきた頃、エルピスは一週間分は荷物が入りそうな大きな鞄を背負って家の外に立っていた。
見送りにフィトゥスやリリィだけでなくイロアスとクリムまで来ており、なにやら普通ではない雰囲気である。
それもそのはず、今日はエルピスが国王ムスクロルに挨拶を行いに王都に向かおうとしているからだ。
このエルピス達が住まう龍の森から王都までは直線にして約一週間以上馬車で向かってもかかる距離がある。
それを一人で向かわせるのだ、クリムからしてみれば気が気ではない。
「大丈夫? 荷物はちゃんと持った? 忘れ物は? 怖くない?」
「お母さん大丈夫、大丈夫です。なんなら今が一番命の危険……うっ」
「クリム様エルピス様落ちかけてますよ!?」
抱きしめる力すら加減する余裕がないクリムに全力で抱きしめられ、エルピスは自らの身体の頑丈さに感謝しながら意識を手放しかける。
リリィの声かけのおかげでなんとか意識を飛ばさずに済むが、これでは随分と先が思いやられる。
「母さんもう母さんだけの身体じゃないんだから、母さんこそ気をつけないと行けませんよ」
「そうですよクリム様。お体に触ります」
クリムの身体には現在新しい命が宿っている。
性別も既に判明しており、来年の夏には可愛い女の子が生まれてくると言う事だ。
前の世界でも妹が居たのにこの世界でも妹が出来るのはなんの偶然か、とはいえいまそんな事を考える必要はなくエルピスはイロアスに近寄る。
特に意味はなく母から離れたかっただけなのだが、イロアスは一瞬驚いた様な顔を見せるとエルピスの事を抱き上げ優しく抱きしめた。
「お前から甘えてくるなんて珍しいなエルピス。寂しくなったか?」
「これは激アツです! 激アツですよ!」
「ペディのせいでちょっと冷めたけどまぁそんな感じ……かな? 命の危険はないと思うけど、当分合わないわけだし」
横で興奮している変態を置き去りにし、エルピスは不安を口にする。
この付近で、というより王国全土で見てもエルピスの事を殺せる人間はもはや少ない。
たとえば盗賊だが束になったところでエルピス一人で制圧できるし、ないとは思うが兵士と戦うことになったとしてもクリムやイロアス相手に鍛えたエルピスの敵ではないだろう。
つまりエルピスにとっては孤独が最も強い敵なのだ。
「大丈夫ですエルピス様。俺が保証しますよ、なんなら呼んでもらったらいつでも行きますから」
「調子に乗らないのフィトゥス。エルピス様もし不安になったとしても己の心に従って前に進んでください」
「うん。分かった、父さんもありがとう。母さん、行ってくるね」
「分かったわ。行ってらっしゃいエルピス」
ーーこれだけ背中を押されてしまえばもう逃げると言う道はない。
思えばこの世界に来て、いや、エルピスの人生においても初めての一人旅だ。
受け止め切れないほどの愛と優しさをくれた家族と離れることは寂しいが、みんながくれた物は自分の中に全てある。
自信を胸にエルピスは軽い足取りで向かっていくのだった。
「ーー行っちゃった。#予定通り__・__#とはいえ心配ね」
「万が一があってもあの子なら大丈夫だよ。クリムは先に行っておいてくれ」
「ええ、分かっているわ。何人か連れて行こうかしら」
#半人半龍__ドラゴニュート__#の膂力を存分に使用し、もはや姿の見えなくなった我が子だが二人の〈気配察知〉は確かにその姿を捉えている。
生まれてきたから今この時まで、着々と力をつけてきている我が子、だからこそ二人はエルピスを王都に旅立たせる決断をした。
イロアスはエルピスの後を追う様にして、クリムは先に出たエルピスよりも圧倒的に速い速度で王都を目指すのだった。
/
アルヘオ家の実家からエルピスが夜通し走れば、三日から四日と言ったところだろうか。
#半人半龍__ドラゴニュート__#はそこまで素早い種族ではないが持久力は飛び抜けており、二、三週間なら寝ないでも行動することができる。
しかもエルピスは神人でありもはや睡眠は不要、たどり着くのにそう苦労はない様に思えるのだが、今回の旅でイロアスから条件が課せられている。
それはなるべく公共交通機関などを利用して移動することだ。
その為の金銭も既にイロアスから受け取っており、エルピスが向かっているのは最寄りの馬車乗り場である。
「ーー父さんかな? 後一人誰だろ」
走りながら辺りを警戒していたエルピスの〈気配察知〉に、ほんの一瞬だけ二つの気配が入ってくる。
普通なら気配察知の範囲内に入ったところで相手がその事に気づくことは出来ないが、それができる父の実力はさすがと言ったところか。
あまりの瞬間的な出来事にエルピスも本当に父なのか判断できなかったが、この速度について来れる人物などあの家の誰かである。
同行者はフィトゥス辺りだろうか? 彼ならば父と同行できても不思議ではない。
後で聞けば良いかととりあえずは無視して進んでいくと、数時間してようやくエルピスは馬車乗り場に到着する。
ちょうどここは5歳の時に行った街と実家との中間地点ほどであり、賑わっているわけではないが人がいない訳でもない。
「おい坊主、王都行きの馬車を探してるならここだぞ」
馬車乗り場をふらふらとしながら王都行きの馬車を探していると、ふとエルピスは呼び止められる。
くたびれた服に汚れた髪、清潔感からはかけ離れたその風貌は嫌悪感と同時に危機感を抱かせた。
明らかについて行ってはいけない人物だが、これ以外に王都行きの馬車が何故かなかったのでエルピスはここに乗るしかない。
だがそのあからさますぎる風貌にふとエルピスは好奇心が湧き出し、必要のない言葉を口にする。
「怪しいから嫌です。変な人にはついていくなって言われてるので」
もはや相手に対して人攫いですよねと言っているような口の聞き方をしながら、エルピスは自然な振る舞いで馬車の影に隠れる。
ここなら誰にも見られず、聞かれず、騒がれずにエルピスを攫うことができる。
好奇心は猫をも殺すと言うが、であるならば龍の子供はどうなのだろうか。
王国において人攫いは重罪だが、それは人を攫った場合に適応されるものだし、加えて言えば別に王国で売らなくても他の奴隷制度を認可している国で売ればいい。
一瞬男性は迷ったような顔を見せ、そして唇を噛み締め何か決断したような顔に変わるとエルピスの服を掴み無理やり馬車の荷台に押し込んだ。
その行動はまさに男が人攫いであることを証明するものであり、怯える少年としてエルピスは呻き声を上げる。
「んー! んー」
「猿轡だ静かにしてろ! 煩くしたら殺すからな!!」
後ろで手を縛られ猿轡もかまされ、エルピスは走り出した馬車の荷台でゴロゴロとし始める。
向かう先がどこなのか、フィトゥスの言葉通りに動いていいならエルピスはそれが知りたい。
一応国境まで行ったら逃げようとだけ決意して、エルピスは荷台でゴロゴロするのだった。
/
それから三日、長い間寝ていたエルピスは馬車が止まって目を覚ます。
どこに向かっているのか外を見てみれば意外にも本当に王都に向かっているらしく、看板には王都までの距離を示したものが書かれている。
そうは言ってもその看板は遥か遠い場所にあって、エルピス達が現在通っているのは公道とは違い荒れ果てた地面だ。
向かっている先には人の気配が感じ取れ、どうやらアジトにでも向かっているらしい。
「なんだ今日攫ってきたのはガキか」
「王都に行きたいつってたから丁度いいと思ってな」
「はははっ! お前も性格悪いな」
髪を掴まれ外に出されると、エルピスは受け身も取らずに地面に叩きつけられる。
この世界の暗闇の部分、それに直に触れられてエルピスは驚きと同時に周りの状況をゆっくり確認する。
とりあえずは目の前の人物達についての情報だ。
性別:男
レベル七
所蔵国:共和国
スキル:剣術I・捕縛術Ⅱ
称号:奴隷商人
性別:男
レベル五
所蔵国:共和国
スキル:槍術I・捕縛術I
称号:奴隷商人
エルピスの視界に二人の情報が映し出され、その情報に少しだけ驚く。
一つ目はあまりにもレベルが低かった事だ、この世界のレベルとは戦闘経験の指標でありステータスを左右するものではないが、レベルが高ければそれだけ戦闘慣れしているので強いと言う事だ。
だというのに二人のレベルは辺境の村の兵士程度のレベルしかなく、これでは奴隷に叛逆された時に勝てるかどうか。
奴隷商人として普段から活動していた人物というよりは、その手筈の雑さから考えても最近始めたばかりのように思える。
二つ目は所属が共和国であった事だ。
共和国とは四大国の一つであり、王国と国貿もある国である。
そんなところから奴隷商人が来ている状況は王国としてもまずいだろう。
「一人で歩き回るようなガキにしては、まあまあ良い服着てんな。もしかして貴族の子供だったりしてな」
「あー……流石にそれはねぇだろ。あそこら辺は捨てられた子供か、近くの村の奴らしか居ねえしな」
事実あの近辺は人通りも少なく、また馬車乗り場にいるのも街に出かけようとしている農民くらいのものだが、それにしたってエルピスの噂くらい聞いていても良いはずである。
共和国の人間がふらっと立ち寄ったにしても、周囲の下調べをせずに人攫いをしたなら計画性というものがろくに感じられない。
なんだかなーと言う気分だが口には出せず、エルピスは連れて行かれるがままに洞窟の中へと入っていく。
「明後日あたりには王都に着くだろう。お前も来るか?」
「良いねぇ。久し振りに高値で売れそうだしな。俺に酒でも奢ってくれよ」
「店で一番高い酒を奢ってやるよ」
硬い地面の上をずるずると引きずられながらも、エルピスは奴隷商人達の声に耳を傾ける。
どうやらこのまま何もしなくても問題なく王国に行けるようで安心し、エルピスはすられるお尻を気にせず明日を待つ事にした。
「とりあえず牢にぶち込んどくぞ?」
「ああ。ーーっておい! あんまり乱暴に扱うな、価値が下がるだろうが」
「ん? それもそうか。悪い悪い」
ゴミのように打ち捨てられ牢に閉じ込められたエルピスは、手足を拘束する邪魔な縄を断ち切り横になる場所の確保をする。
前任が居たのか糞尿や血液がそのまま放置されており、部屋の環境としては最悪である。
「とりあえず綺麗にするか」
ひとまずそれらを魔法によって全て消滅させ綺麗な部屋を作り上げた。
どこでも寝られるように訓練しているが、こんなに汚いところで寝たくない。
「ーー父さんに言うだけ言っておいた方がいいかな? 付いてきてるのか分からないけど」
ここに来るまで三日間。
イロアスがエルピスを救出しようとしていたらいつでも出来たはず、だと言うのに来なかったのはエルピスが自力で抜けられると思っているかついて来ていないのか。
足跡を殺して外に出てみるが〈気配察知〉の範囲内にイロアスの気配はなく、エルピスは地面に手を当てて魔力を周囲に垂れ流す。
自分が出した魔力に触れた生物はなんとなくではあるが感知することが可能で、エルピスは地面に自身の魔力を垂れ流す事でその膨大な魔力を用いて周囲の生物を探知していた。
「いたいた」
ここから遥か先、十キロ以上離れたところに確かに父の魔力を感じる。
手足をぶらぶらとさせてから柔軟を終えると、エルピスはクラウチングスタートの構えを取り前を見据えて足に魔力を込めあらん限りの力で地面を蹴り飛ばした。
音の壁すら超えてしまうその身体をなんとかして制御すれば、10キロなど一分もかからない。
「ーーなっ!? なんだ!?」
爆音と追煙を遥か上空まで巻き上げ、エルピスは地面を抉りながらなんとか目的地で止まることに成功する。
こちらを見据えるのは父ともう一人、父はもうエルピスに気付いたのか臨戦態勢を解いているがもう一人はようやく臨戦態勢に入ろうとしていた。
「攫われたのにも関わらず父に見捨てられた息子です、どーも」
「うっ、いちいち棘のある言い方しやがって。これはお前のお使いなんだから俺らが関わるわけにはーーって言い訳はここにいる時点で通じないわな」
「まぁ別に危なかったわけじゃないし、なんなら自分から捕まってたから良いけど……」
抉ってしまった土を魔法で元に戻し、近くにあった木に腰掛けながらエルピスは父に対して文句を垂れる。
心配してくれているのも分かっていたし近くにいるだろうとも思っていたが、エルピスがどうするか分からないのだから助けに来てくれてもよかったのにと思っても仕方がない。
「まぁお前が負けるような奴がこの辺りに居ないのは調査済みだし、影に潜む龍に森で撃ってる国家級魔法もある。お前に勝てる奴なんて居ないだろ?」
「な、何故それを……」
「フィトゥスはお前だけの味方じゃないって事だ。それにエルピス、お前だってもう成人だ、自分のしなければならないことは自分でしろ」
「そう言われると確かにそうか……」
上手く誤魔化されているような気がしないでもないが、確かに父の言っている言葉は間違っていない。
自らが起こした行動なのだから、その責任を自らが取るのは大人としての責務であろう。
そうは言ってもまだギリギリ子供だと言っても許される年齢だとエルピス自身思っており、だからこそ父に対して久々に理不尽に切れてみる。
「納得してくればそれでーー」
「ーー納得はしたけど受け入れない! やっぱ怒った!」
「いやなんでそうなるんだよ!? お前はさてはいまの状況楽しんでるだろ!」
さすが父、エルピスの事をよくわかっている。
言いたい事を言っている、と言うよりもはや完全に思考放棄して幼児退行しているエルピスだが、たまにはこういうのも必要だ。
普段は敬語を使いつつおしとやかな感じを演じているが、あれはあれで結構疲れる、こうしてたまに馬鹿になるくらいの方が生きていくのも楽である。
そんな風に父とじゃれあっていると、フードを深く被ったもう一人が口を開く。
「エルピス様、イロアス様とそのようにして喧嘩するのはやめてください」
「えーっと……君誰? 暗くて分かんないんだよね。女の子かな……ごめんねすごく綺麗だから一回会ったら覚えてるはずなんだけど……」
裾を小さい手で握りながら、暗闇でもわかるほどに居なくて顔を紅く染めて目の前の女の子はそんな事を口にする。
口元しか確認できないので誰か分からないが、火に照らされて微かに色気を出している唇と健康的な肌、頬にかかる黒い髪は夜空よりも黒く、宝石よりも綺麗だ。
ふと頭の中に最近会っていないメイドの姿が浮かび上がるが、あの子は王国の別邸に行っていたはず、ここにはいないはずである。
「お前の頭の中に一番最初に浮かんだ子だよ、米作ることに専念しすぎだ」
「お米食べることは僕のアイデンティティなので! あとそれならさっき言ったこと無しで!!」
「そりゃ結構な事だけどお前顔真っ赤だぞ?」
エルピスがエラだと言うことに何故気が付かなかったのか、それはここが家でないと言うことももちろんあるが、一番は間違いなく服装が普段と違うからだ。
普段はメイドとしてしかエラの事を見ていないが、こうして外であえばメイドでは無く一人の女の子としてエルピスの目には見えた。
会社や学校であった友達と私服で会うとまた雰囲気が変わって見えるように、今のエラはエルピスからすればいつもとは全く違ってみえる。
よく見てみれば細かいおしゃれも行なっており、化粧もしてかなり気合の入った風貌だ。
「ーーーーうるさい! うるさいうるさい俺何も知らない!」
「まぁそう照れるなって、人間生きてりゃそう言うこともある」
「照れてないし! それに年の差考えても見なよ!」
「エルピス様、年の! 差なんて! 関係! 無い! ですよ!! というかたかだか3~4才差ですからね!」
年齢を高く見積もられた事を気にしたのか、はたまたそれ以外なのか。
エラの瞳に映る自分を見てみれば顔中赤くして照れており、その自分の姿にさらに羞恥心は加速していく。
一切意識していなかった人物が急に意識の中に入ってきて、エルピスは照れ隠しの意味も含めて話を大幅に変える。
「そ、そんな事よりここに来た理由だよ。とりあえずこのまま王国まで行くから手を出してこないでね、お母さんとフィトゥス達に言っておいて欲しいんだ」
「んー、まぁ別に良いけど良いのか? 奴隷なんて怠いだけだぞ?」
「公共交通機関利用した結果がこれだし、うーん……ちょっとこう言った物も見てみておきたいから良いかな。何事も体験ってお母さんが言ってたし。あとこの国治安悪くない?」
世界の暗さを知っておけば、今後の立ち振る舞いにも影響が出るかもしれない。
母の言っていた体験することの大切さは、きっとこう言う事を体験しておかなければ感じ取れないだろう。
「分かった。お前がそうしたいならばそうすれば良い、それを止めはしない。まぁ今回に関しては運が悪かったと思っておけ」
「そっか、ありがとう父さん」
「いいよ。こっからは本当にお前一人だ、責任も自分でとって何としても国王に会いに行け。そこで俺も待ってる」
「分かった」
父からの信頼を受けてしまえば、後はエルピスに出来ることと言えばその信頼に応えることだけである。
改めて父の元を後にして、エルピスは牢の中へと戻るのだった。
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