第三十九話「恋にはちょっとだけ、興味が出てきたので」
「少なくともトウマくんとミコトちゃんのあいだでは、本当のこととして扱われている話なのだと、その点は信じることにしました。それから……」
「ミコト、あんたが死にたがりで。それで私たちとトウマの仲を邪魔しようとしてたってこともね」
秋穂さんの言葉を引き継いだ夏希ちゃんは、目をすっと細めてミコトを睨みつけた。
小学生か中学生にしか見えないくらいに背が低くて童顔な夏希ちゃんだけど、さすがは藤枝家の次女だ。ボス野良猫並みに太々しくて、図々しいミコトが夏希ちゃんのひと睨みで首をすくめた。
ミコトと夏希ちゃんはよく言い合いをするけど、そんな軽い調子ではないとミコトも察したのだろう。
「以前にもお話したとおり、父のこともあって、私は男性と言うものを信用していません。結婚をする気も、藤枝の血を残そうという気もさらさらありません。……トウマくんと同じように」
秋穂さんの言葉に俺は目を伏せた。
お父さんのこともあるし、俺と同じように考えているかもしれないとは思っていた。ろくでもない母親と誰だかもわからない父親の血を、引き継がせたくなんてないと思っている俺と同じように――。
でも、面と向かってはっきり言われるとショックだった。ミコトのこともあるからこそ、余計に。
「お姉さまだけじゃなくて」
「私たちも、なのですが……」
追い打ちをかけるように夏希ちゃんと千鶴ちゃんも苦笑いで言った。
「今まで姉妹でこんな話をしたことがなかったので知らなかったのですが、二人も私と同じように考えていたようです」
秋穂さんの補足を聞きながら、俺は隣に立っているミコトのつむじを見下ろした。
望む展開になったと思っているのだろうか。ミコトは相変わらずの無表情で、何を考えているか読み取れない。
できるなら消えたくない、死にたくないと。生きたいと思ってくれていると嬉しいのだけど。
「ま、姉さまが苦労するのを見てきたしね」
「バウッ」
「私も母の苦労を見ていますし。それに……トウマさんのおかげで秋穂姉さんと夏希と、やっと本当の姉妹になれた気がするんです。本当の家族になれた気が。それで十分過ぎるくらいに満たされてしまいました」
はにかんで笑う千鶴ちゃんを見て、複雑な気持ちになった。嬉しい反面、ミコトが生まれてくる可能性を俺自身の手で潰してしまったのではないか。そう思ったのだ。
でも――。
「でもね、ミコト。あんたに消えてほしいとも、死んでほしいとも思ってない」
そんな不安をツンとした表情の夏希ちゃんが否定した。
「私たちの未来の娘だなんて信じられないけど。でも、そんなの嘘だと言って笑い飛ばして見殺しにできるほど、私はあんたのことをどうでもいい存在だとは思ってないのよ」
「ぶにゃ!」
大股で俺たちの元まで歩み寄って来ると、夏希ちゃんはミコトの鼻をつまんだ。ミコトの悲鳴にも、目をつり上げた夏希ちゃんは全然、動じない。
「夏希、ミコトちゃんをいじめないの」
駆け寄ってきた千鶴ちゃんが夏希ちゃんの腕を掴んで止めた。そして、ミコトの隣で目を丸くしている俺を見上げると、
「だから、トウマさん。私たち三姉妹は話し合って、一つの答えを出しました」
はにかんだ笑みを浮かべた。
「私たち三姉妹全員がトウマくんとそういうことをする。これが一番の安全策。ミコトちゃんを何よりも、確実に守れる方法です」
夏希ちゃんと千鶴ちゃんのあとを追いかけるように、秋穂さんがゆっくりと俺の目の前にやってきた。にこりとも笑わない、真顔の秋穂さんを見つめて、俺は首を横に振った。
「でも、それは……不誠実です」
秋穂さんが大嫌いな、不誠実な行動だ。
男好きのろくでもない母親のことがあるからこそ、俺自身も大嫌いな、不誠実な行動――。
「はい、不誠実です!」
秋穂さんはポン! と、手を叩いて、驚くほどに無邪気で嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「そんなこと、したくありません。父が多くの女性にしたことなんて、したくも、されたくもない。そう思っています。だから……」
「トウマ、あなたは真剣に私たちと向き合って恋をしなさい」
「バウッ」
夏希ちゃんは腰に手を当ててあごをあげると、艶然と笑った。ノエルも同意するように吠えた。
「それで、たった一人の相手を選んでください」
千鶴ちゃんはノエルの頭をそっと撫でながら、はにかんで微笑んだ。
「当然、私たちにも選ぶ権利はあります。そのつもりで誠実に、私たち三姉妹と向き合ってくださいね、トウマくん」
秋穂さんは唇に人差し指を立てて、いたずらっ子のように笑った。
小学生か中学生にしか見えないくらい小柄で童顔だけど、抜群に可愛らしい夏希ちゃん。
すらりと背が高くて、高校生と言う実際の年齢よりもずっと大人びて見える、抜群に綺麗な千鶴ちゃん。
凛としていて三姉妹の中で一番、女性的な見た目をしている、抜群に艶めいて大人っぽい秋穂さん。
最初に抱いたイメージとも違う、三者三様の笑みを浮かべて、藤枝三姉妹が俺を見つめた。
思わず、ごくりとつばを飲み込む。
全然、系統は違うけど、それぞれに魅力的な女性にこんな風に見つめられて嬉しくないわけがない。
ただ――。
「でも、節度は守ってください。夏希ちゃんや千鶴ちゃん、使用人たちにひどいことをしたり、泣かすようなことがあったら……あとは言わなくてもわかりますよね?」
「ひゃ、ひゃい……!」
前途を考えると多難そうだけど。
すーっと目を細める秋穂さんに、俺は慌てて背筋を伸ばして引きつった笑みを浮かべた。
俺の表情を見て、三人は揃って笑みを深くしたあと、ミコトに向き直った。
「ま、知り合っちゃったんだもの。消えるだ、死ぬだなんて寝覚めが悪いしね」
「私たちの娘はたった一人。あなただけよ、ミコトちゃん」
「絶対に守ってみせます。自分を死刑にするだなんて、そんなこと絶対にさせません」
夏希ちゃん、秋穂さん、千鶴ちゃんの顔をぐるりと見回したミコトは、唇を噛んでうつむいた。
「……余計なお世話です」
相変わらずの無表情で抑揚のない声だけど、多分、照れている。なんとなくだけどわかるようになってきた。
俺はくすりと笑って、
「……ぶにゃ!」
ミコトの額を平手でぴしりと
そして――。
「秋穂さん、夏希ちゃん、千鶴ちゃん。ありがとうございます。……これから、よろしくお願いします!」
深々と頭を下げた。もちろん、ガシリと頭を掴んでミコトといっしょに、だ。
「それじゃあ、仕事に戻りますね」
うつむいているミコトの背中を押して秋穂さんの部屋を出る直前。振り返ると三姉妹は額を突き合わせて何かを話していた。
小声で話す三人の会話は部屋のドア近くにいる俺には聞き取ることができなかった。
だから――。
「秋穂姉さん。DNA鑑定すれば誰がミコトちゃんのお母さんかわかるかも……って、話。トウマさんにしなくてよかったの?」
「……それは最後の手段として取っておきましょう」
「どうしてよ、お姉さま」
「バウ?」
「結婚も出産もする気はありませんでしたが……恋にはちょっとだけ、興味が出てきたので」
「あぁ……」
「なるほど」
「バウッ」
なんて会話をしていることは全然、知らず。
秋穂さん、夏希ちゃん、千鶴ちゃんが仲良く笑い合っているのを、俺はすごく幸せな気持ちで眺めたのだった。
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