第4話 邂逅

 話は正徳元年に遡る。ともに武家の子である梅野光成と相馬頼平は同じ寺子屋で育った。頼平は剣術に、父が蘭学者でもあった光成は学問に優れていた。

 読み書き算盤が不得手であった頼平を光成は手助けした。反対に、体が弱かったため蒼白く骨と皮のような体躯だった光成に頼平は剣術を教えた。

 二人は互いを敬い合っていた。学問の楽しさを知った頼平は戦があれば智将となれたと思われるほどに、聡明な男になった。光成は鍛錬の成果もあって、多少体も強くなり身のこなしが軽やかになった。

 二人は自信に満ち溢れていた。やがて二人は元服し、交流は少なくなったものの、文のやり取りは続いていた。


 ある日、頼平が散歩をしていると、垣根の隙間から庭で鍛錬をする男を見た。凄腕の剣士であると一目瞭然だった。



「その身のこなし、ただ者じゃあねえな。あんた、名は?」


「拙者は深山景虎。肥後国より、参勤しておる」



 二人は手合わせをした。腕前は伯仲していた。故郷では右に出る者はいないと言われた景虎と、剣の達人としてもて囃された頼平。好敵手とも言える存在に奮い立った。二人は意気投合した後、ともに鍛錬し、剣術について語り合った。とても幸福な一時であった。


 男と男の強い結びつきの根底にあるのは尊敬心である。景虎にとって頼平は後にも先にも現れないほどに尊敬できる男であった。頼平にとって、武勇に秀でた景虎はこの世で唯一の背中を任せられる男だった。互いを認め合った彼らは、景虎が故郷へ帰る直前に、義兄弟の契りを交わした。



 その後すぐに頼平の父が亡くなった。跡取りを巡り、相馬家にはお家騒動があった。弟は兄を暗殺した後、頼平の殺害を企てたが阻止され、家臣によって返り討ちにあった。肉親は皆死んだ。生き残った頼平は若くして当主となった。


 一方、御様御用・高岡実吉が試刀術の名手として名を馳せたのもその頃であった。実吉は根っからの快楽殺人者の魂を持って生まれた。

 代々御様御用を務める山野家に弟子入りし、死体を嬉々として切り刻んでいたが、いつか生身の人間を斬り殺したいと常々願っていた。そして、晴れて師の久豊がその職を退いたことでその機は巡ってきた。実吉は人を斬る旨味を覚えた。


 血の味を覚えた熊が人里を襲うことをやめないように、実吉はその快楽に身を落とした。

 ある夜遅くに、醤油屋の丁稚が一人でふらふらと歩いていた。試刀術では動き回る人間を斬ることは出来ないが、小さな子どもであれば自分でも……。

 魔が差した実吉は、その場にあった大きな石で丁稚を撲殺した。そして、罪を適当な流浪人に着せた。


 死罪となった流浪人は処刑の際に無実を主張し、縛られながらも激しく抵抗した。生まれて初めて目にしたこれから殺す人間の生への執着。ぞくり。今までにない快楽が臓物の底から沸き上がった。


 実吉の欲望は止まらない。自分よりも大柄な男を、罪なき者を斬り殺す楽しみは何にも代えがたかった。

 江戸では十両以上の窃盗は死罪である。斬りたい者を見繕っては窃盗事件を偽装し、幕府の命という大義の下に斬り殺した。仇討ちをされてはたまらないので、天涯孤独の者ばかりを狙った。


 世継ぎのために妻を娶ろうかと頼平が考えていた頃、頼平も実吉の毒牙にかかった。二十両の窃盗の罪で御用となった。被害者であるはずの実吉がにやりと笑った。


 頼平は刑場へと連れられながら、助けを求めた。頼平の無実を信じた光成は小塚原へと駆けつけた。



「信じてくれ光成、実吉に陥れられたんでえ」



 頼平を助けようとすれば、父に制止された。いくら剣術を積もうとも、素手で振り払おうとした父の手はびくともしなかった。



「助けてくれ、景虎」



 それが頼平の最期の言葉だった。


 仇である実吉に近づこうと同心になる決意をした。父には幾度も頬を打たれ勘当された。全てを捨てる覚悟は出来ていた。処刑場で、間近で見た実吉はいつも不気味な笑みを浮かべていて、実吉の悪事を確信した。


 光成は幾度も実吉を斬ろうとしたが、文字通り土壇場で怯んだ。周りには常に手強い与力がいて、実吉を討つ前に自分が斬り殺され失敗に終わるのではないかと恐れた。あるいは、実吉に返り討ちにされるかもしれない。光成は己の無力を痛感していた。


 時は流れ、茶屋で一人の屈強な男と邂逅した。名を景虎と言った。忘れもしない、頼平が最期に助けを求めた男の名前。



「相馬頼平を存じているか」



 男は顔色を変えた。


 景虎が頼平と義兄弟の契りを交わしたことを知った光成は、自らも頼平の旧友であると素性を明かした。相馬頼平は高岡実吉に無実の罪を着せられて殺された。真実を聞かされた景虎は怒りに震えた。


 彼らは夜な夜な人目を盗んで、実吉への復讐の計画を立てた。この密会こそが実吉への罠であった。景虎がやましいことをしているという噂を聞きつけた実吉は、地主殺しの罪を景虎に着せた。


 日頃の実吉には用心棒がいて迂闊には近づけないが、刑場では邪魔者はいない。しかし、罪人は縛られ、帯刀は許されない。ならば剣術に優れた罪人の縄を切って解放し、光成の刀を託して実吉を討てばよい。しかし、死罪となる罪人の多くは震え上がった町人で使い物にならない。


 景虎は罪人の振りをして実吉に近づく方法を快く了承した。己の命を限りなく危険にさらす方法である。実吉が土壇場で怯めば、縄を切るのにまごついて失敗すれば、あるいは裏切れば無実の罪で打ち首は必至である。



「光成殿は拙者に刀を渡せば丸腰になるのであろう?光成殿も危ない橋を渡るのだ。拙者が何を恐れる必要がある」



 無謀な賭けであったが、心の師でもあった旧友の義兄弟の強い志を光成は信じた。死なばもろとも、一蓮托生である。


 そして、いざ決行の時。好機は僅か一瞬である。躊躇えば二人とも死ぬ。二度と頼平の汚名を晴らすことは出来ず、殺人未遂の汚名を着せられて無惨に死ぬ。しかし、迷いはない。


 光成は華麗な手さばきで小刀を用いて景虎の縄を切った。後ろへ伸ばした景虎の右手に、腰に差していた武士の魂とも言える愛刀を託す。


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