第2話 帰還

 翌年、景虎は再び江戸に参勤した。江戸の街はわずか一年でだいぶ様相が変わったと、立ち寄った茶屋の娘、お夏に聞かされた。お夏は噂好きで口から先に生まれてきたのかと思われるほどによくしゃべる女だった。


 お夏はこの一年に江戸で町衆の耳目を集めた出来事を順に語った。

 天涯孤独の身の者による窃盗事件の増加。名門武家、相馬家のお家騒動。そして、肉親が死に絶えた相馬家の新当主による窃盗事件。

 被害者はかの有名な御様御用、高岡実吉であった。被害額は二十両。本来は武士であり、切腹が許されるはずであったが、相馬はそれを拒否し反省の色無しということで罪が重くなり、死罪となった。相馬は実吉自らの手によって首を斬られ、息絶えた後は無様に試し切りを受けた。

 事件の増加で処刑が増え、羽振りの良くなった実吉は幾度か窃盗に遭い、屈強な用心棒を雇った。治安の悪化によって、町奉行は天手古舞いである。つい三日前に、呉服屋の旦那が殺されたがその真相は未だに分かっていない。



「うちを贔屓にしてくださってる御奉行さんは、卯月の頃には頼りなかったけれど、今ではとても頼もしいんですの。お話も面白うて、みんなに慕われてますの」



 町奉行に絡め、お夏は常連の同心・梅野光成の話をし始めた。光成は江戸一の蘭学者の倅で、記憶力に優れ「享保の稗田阿礼」とまで言われていた。それゆえ、学者としての将来を期待されていた。

 しかし、昨年の弥生の頃に突如、町奉行の同心となった。同心は町の治安を維持する立派な職ではあるが、下級役人に過ぎない。また、罪人を扱い不浄役人とされたゆえ、世襲が慣わしの世であっても実子にはその命を継がせぬ同心も多かった。

 幼き時分は体が弱く町人の子にさえもやしっ子とからかわれていた光成が、どういう風の吹き回しか同心に弟子入りした。光成の父は憤慨し、梅野家の恥として光成を勘当した。



「あらぁ、噂をすればなんとやらですわ。光成様、こちらは景虎様。肥後の方からはるばるといらしてくださったの」


「景虎公、とな」



 低く落ち着いた声で、茶屋を訪れた男は呟いた。この男こそ、梅野光成である。光成はお夏の話の通り、他の町奉行と比べれば恰幅が良くない。しかし、堂々とした佇まいにはまるで歴戦の剣豪のような風格があった。

 光成は景虎の頭から足先まで、品定めをするようにじろりと眺めた。

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