第53話 昂一との旅、感情
『そろそろ寝るかぁ』
昂一が減速しながらハンドルを左に切ると、道路の横に定期的にある【P】のマークがついたスペースにトラックを止めた。
かなり大きなスペースなので、他にもトラックは止まっていたが全く気にならないくらいに広かった。恐らく他のトラックも休憩しているのだろう。
『兄貴、ここで寝んのか?』
『おう、何か問題でもあるんか?』
『いや、ないけど』
『後ろのベッド、今回は使って良いぞ、次俺な、かわりどんこにすんべ』
『かわりどんこ?んまぁいいや』
突っ込むと長くなりそうなので突っ込みたい気持ちを呑み込んで龍一は後ろの畳一畳くらいのスペースに作られた、ベッドと飛ばれるシートで横になった。目を閉じようとして、着替えていない事に気づいたが、それより歯を磨いていない事が気になった。『あー…歯は磨かなきゃな』ゴシゴシと歯を磨き終わるとペットボトルに残っていたお茶でうがいして小窓から外に吐き出した。『お茶でうがいはいいのか?んまぁ磨いてないよりましか』1日で随分とワイルドになった龍一だった。
トラックで寝ると言う行為、いや、車中泊と言う事自体が初めての体験だったので、わくわくもしたが、長時間トラックに揺さぶられていた身体は自分が思うより疲れており、小窓から見える星空を綺麗だなぁと思うか思わないかの間に、高いところから堕ちる様に眠りについた。
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車の移動する感覚で目が覚めた。
カーテンの隙間から顔を覗かせると『おはよう!』と昂一が声をかけて来た。『お、おはよう』ぼそっと返事をすると助手席に移動した。
『朝メシなに食いたい?』
『つか…ここどこ?』
『いいからいいから、ここはどこだからとかさ、そういうの考えないでさ、景色を楽しめばいいんだよ』
『あぁ、それもいいな』
『だろう?どこだっていいんだよ、着けば』
それもいい…龍一は言葉に出さずに頷いた。クソみたいな人生、いや、人生と呼べるほど生きてはいないが、人生に長いも短いも無い、振り返れば一生分の不幸を味わったような気すらするが、少なからずこの先には何か良いことの一つくらいあるだろうと言う微かな希望も持っていた。
『希望…』
うっかり口に出したその言葉に昂一が答えた。
『龍、お前は何か目指すものはあるのか?』
『いや、なんもねぇよ』
『そうか、そのうち見つかるよ、夢ってのはさ、なんかこう遠くて手に入らないんじゃないかって言う半分諦めみたいなものもあるじゃん、夢と諦めがこう…セットみたいなさ、いつでも諦める事が出来るって保険みたいなものを感じるんよ、俺はな。でも希望ってさ優しい感じしね?呼んでる感じすんだよな』
『あー…なんかわかる気がするよ』
『手を伸ばせば掴んでくれそうな気がするよな、夢は自分で掴みに行かなきゃって感じがするじゃん、夢ってでけぇんだよ、希望ってのは目の前にある何でもいいじゃん、車の免許とりてぇ、バイク乗りてぇ、そんなものも希望じゃん、夢ってその先な気がするわけよ』
『兄貴とは思えない真面目な話しだな』
『だからさ、希望持って生きてりゃ夢も見えてくるんじゃね?』
『なるほどね』
『俺の希望はまず朝メシだ』
『だな、それも希望』
『おうよ、小さな希望を繰り返してでっけぇ金を手にする、これが夢よ』
『だったらまず?』
『メシ!』『メシ!』
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暫くトラックを走らせると、また大きな街に入った。
看板に街の名前が書いているが、地理が苦手な龍一には何県なのかさっぱりわからない、一道一都二府四十三県と言うが、それを全て言えるわけでもなし、言えたところで街の名前まで落とし込んで覚えるなんてのは至難の業、龍一はもうここがどこなのかなんてどうでもよかった。正直兄弟とはあまり仲良くしていたつもりは無かった龍一だったが、一番近い兄である昂一とずっと一緒に居れるとは思っていなかった、遊びに来ても話す事なんかほとんど無かったはずなのに1日2日3日が過ぎても飽きる事は無く、むしろこの訳の分からない誘拐に楽しさすら感じていた、これだけで良かったとさえ思っていたのだった。
昂一の狙いはこれだったのだろうか、いや、そんな事はどうでもいい、親と昂一の策であろうとこんな旅は二度と出来ないのだから楽しもう、そんな気持ちになっていた。
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何日この生活をしたのだろう、長い距離を陸路での移動、つまり長距離運転手と言う職業は過酷なものだと感じ始めていた。
『代ろうか?運転』
『おう、頼む』
気を使った冗談のつもりだったのだが、まさかの交代。
昂一は山の中の大きな直線道路でトラックを止めて、龍一に運転を交代した。
『右足で真ん中のブレーキを踏み込み、左足のペダルを踏みこんでこの棒を1に入れろ、ブレーキ離すなよ』
言われた通り龍一はその動作を行った。
『ゆっくりクラッチを離せ、そしてゆっくり右足のアクセルを踏むんだ』
『う、うん』
ガクン!と言う衝撃があった、その後、エンジンが唸りを上げてゆっくりと車体が動き始めた。
『おおおおお!すげぇ!すげぇ!』
『道路の真ん中の白線を見ろ、そこから出ないようにハンドルを保て、あれだ、ゲーセンの車のやつと一緒だ』
『すげーすげーすげーすげー!!!!』
巨大なトラックを自分で動かすと言う感覚に身体全身が震えた。怖くて震えたのではなく楽しさの先、楽しいを超えると震える、逆に言うと震える程楽しいと言う感覚だった。100メートルほど1速ではあるがトラックを動かした龍一、その興奮は冷める事無く、車を降りると歩けない程足が震えた。この震えは楽しいの裏側で身体が感じていた恐怖だ、初めて運転をした車が巨大なトラック、映画でしか見たことが無い巨大なトラックなのだ、それを動かす恐怖は龍一に確実に恐怖を植え付けた。
昂一に支えられてトラックに乗り込んだ。
全身が人に揺さぶられているかのようにガタガタと震え、吐き気がした。その感覚は数分続いたのだった。
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いつの間にか眠っていた龍一に昂一が割と大き目の声で声をかけた。
『車ってよ、便利だけど怖いよな』
無神経なその声掛けが龍一の頭蓋骨に反響して目が覚めた。
『あ、うん、楽しかったけど終わってからヤバいくらい怖かったよ』
『何年乗っても怖ええもんよ、でもよ、客の大事なもん運んでると思えばな』
『そっか』
『楽しい、好き、ばっかりじゃ仕事はできねぇってこったな』
『あぁ、そうだな』
『よし、今日は俺がベッドな』
『わかったよ』
トラックを止めた【P】にある公衆トイレで歯を磨き、外に出ると月が出ていた。まんまるだった、漆黒の闇の中に穴が開いた様にまんまるだった。龍一はその空に希望を感じた、暗闇に浮かぶ月、暗闇がシガラミなら月は希望。
『今までの俺にはあの月が見えなかったんだよな、これから見えるようになるんかな…』
1日で色んな感情を味わった龍一は、助手席で死んだように眠った。
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