第14話 死ねば良かった

珍しくその日は母親と一緒に晩御飯を食べた。

いつもであれば、龍一が絵に夢中なのもあって、

時間がずれてしまい、母親の喜美がいつも先に食べてしまうのだった。


これまた珍しく母親がビールを少し飲み始めた。

『たまに飲みたくなるよね、あんたも飲むかい?』


『いや、にげぇし』


龍一は普段から口数が少なく、母親とも会話はこの程度。

今までの出来事が龍一をこうしてしまったとも言えるわけだが。


母親の作る料理は正直田舎臭い、よく言えば母の味のあんな感じでした。

ささぎの油炒めや昨日焼いた鮭をタッパで冷やしていたやつとか・・・。


喜美が酔ってしまったらしく、今夜はとても饒舌だった。

龍一はめんどくさかったのだが、席を立つタイミングを失っていた。


喜美が急に箸をテーブルに置き『あのね・・・』と真顔で話し始めた。

あまり見たことのない喜美の表情に龍一は唾を飲んだ。


『お前のね、父親が違う話は前に純子から聞いたでしょ・・・』


『あぁ、うん』


『その話なんだけどね・・・・』


目線を龍一に合わせたり、外したりして、

母親も酔ったとは言え動揺をしているようだった。

覚悟を持って話そうとしている・・・そんな印象を受けた龍一。


『鈴代おばさん知ってるでしょ?母ちゃんの妹の・・・』


『あぁ、うん』


『ずっとずっと前にね、鈴代が子供を産んだって聞いたからね、

父ちゃんと子供の顔を見に行ったんだけどね・・・』


『あぁ・・・うん』





1月


鈴代の住むとある郡部に桜坂夫婦が辿りついた。

葉月から車でゆっくり走って2時間弱といったところか。

雪道だが、天気も良くスムーズだった。


鈴代の家に到着した。

長屋の様な建物で、両隣に一軒づつ他人が住んでいるようだった。

ドアは風化し、お世辞にも綺麗な建物ではなかった。


これを押したのは何年前だろうと思わずにはいられない程に汚れた呼び鈴を押す。


ピンポン・・・


気の抜けた、カスカスの音が聞こえた。

周囲を見渡すが、すぐ裏はもう山への入り口で、

山なのにその入り口はぽっかりと口を開ける様にたたずんでいた。


カチャ・・・


丸顔にオールバックで、無造作に髪を後ろに縛った鈴代が顔を出した。

『あれ、姉っちゃん』


喜美は鈴代にお土産を渡すと、鈴代が隙間から手を伸ばして受け取った。

上目遣いで睨むような眼で喜美を見ると一言

『なに?』と投げ捨てるように言った。


『なにじゃないでしょ、子供産んだんでしょ?顔見に来たんだけど』

少し怒った口調で喜美が言う。


『あぁ・・・』


半分呆れ気味に、そしてめんどくさそうにチェーンロックを外した。

中に入った康平と喜美は、煙草の焦げ跡だらけの座布団に座った。

周囲を見回すが子供の気配は感じられなかった。


ベビーベッドもなければ赤ちゃん用の布団もなく、

哺乳瓶はおろか、おむつすら見当たらなかった。

それとは逆に、男の影だけは無数に残っていた。

とっかえひっかえに男と遊んでは別れていた人と聞く。


無言の時間が続いた。

鈴代が煙草を吸う音だけがスーハースーハーと響いた。

外を見ると静かに雪が降り始めていた。


『ちょっと!子供は!?』

喜美が痺れを切らして鈴代に詰め寄る。


『子供?あぁ・・。』


『あぁってなんだ?なんなんだ?』

康平が何かを察したように鈴代の肩掴んで揺らした。


『うるせくてら、ギャンギャン泣いでの、頭痛いでぇがら捨てでけだ』


『捨てた?はぁ?子供を?』


『うん、捨てだで、昨日の夜に山の中さ置いできてら』


『馬鹿野郎!!!!!』


生まれたばかりの赤ん坊が半日以上山の中に置き去りにされている。

望みは無いと言ってもいいくらいの時間経過だったが、

康平はぽっかりと開いた闇への入り口に吸い込まれて行った。

その足取りは力強くしっかりしていたと言う。


喜美は警察沙汰になるのはまずいので、知り合いだけに連絡をして、

山の中を捜索してもらうよう頼んだ。


『あがんぼだって?』


『お願いします、この山のどこかに』


『警察には言ったんだが?』


『それがちょっと事情があって・・・』


『んだが、へばまず行ってみるべし』


康平が山に入り、知り合いたちが山に入ってから、数時間。

天気も崩れて雪も降りだした。

捜索隊の微かな希望がゆっくりと絶望に変わり始める。


足音だけがでんぷんを踏んだように

ギュ!ギュ!とだけ鳴り響き、その呼吸が森の中を支配していく。


ギュ・・ギュ・・ハァハァ・・・


風が森を駆け抜け、笹の葉をこすり合わせては不気味にサラサラと音を立てる。

その音を聞くだけで体感温度が下がる気がした。

こんなに水気のない乾いた音をキチンと聞く事はまずないであろう。


カラカラカラ・・・サラサラサラ・・・


捜索隊の一人が微かに赤ん坊の声を聞いた。


『ふげっ』


『おーーーーい!声がしたどぉ!きてけれー!』

捜索隊が集まり、ゆっくりと周囲を数人で探した。

踏みつけないように気を配りながら、腰を落し、ゆっくりと探す。


『いだっ!いだどぉおおおおおおおおおおお!!!』


『カァーーーーーーーーーーーーーカァーーーカァーーーー』


バサバサバサァアアアアアアアアアアアアアアアア


その大きな声で一斉に木の上で休んでいたカラスが飛び立った。

密度の濃い、そして細やかで優しい雪が森の中に降り注ぎ、

それはキラキラと輝いた。


『カラスに狙われでだがも知らねぇな』


『あぶねがったなぁ』


『ほんだほんだ』


鈴代は少しばかりの情けを赤ん坊にかけていた。

毛布にキチンとくるんであり、

笹の中に埋め込むように置かれていたのだった。


康平に手渡しされた赤ん坊は、氷の様に冷たかったと言う。

誰が見ても命の危険を感じる状態だったので、そのまま病院へ運んだ。


時間にして24時間は経過していたと思われる。


それから更に数時間後・・・

鈴代の赤ん坊は一命を取り留めたと連絡が入った。






『それがあんたなんだけどね・・・』




龍一は胸が張り裂ける想いを抑えて『そうなんだ・・・』

と言い残すと自分の部屋に戻った。

その背中は母親には間違いなく寂しく見えただろう。


言い得ぬ悲しみがこみ上げてくる、頭の中が混乱していた。


『すてた?捨てたの?ゴミじゃないか・・・これじゃまるでゴミじゃないか、良い事なんか何もなくここまで来たけど、いつかいつかって、いつかいいことあるって希望持っていたのになんだよ!生まれてすぐに捨てられてんじゃねーかよ!誰からも望まれてねーじゃん・・・・最初から・・・最初から終わってたんじゃねーかよ!希望持つ前に終わってたんじゃねーかよ!』


龍一は自分の爪で手の平に穴が開く程両手の拳を握りしめた。

両手から血が滴り落ちた。

毛の長い白いアクセントラグの1本1本がゆっくりとその血液を吸い、

まるで生き物のように動いて見えた。


前が見えない程涙が流れた、声を殺して大声で泣いた。

奥歯が割れそうなほどに噛みしめて堪えても涙は止まらなかった。

堪えれば堪える程涙は溢れた。

やり場のない気持ちが悲しみとなって龍一を突き刺した。

何本もの矢が次々と龍一の心を射抜いた。

動けなくなった自分が更に槍で刺されている、そんな気がした。


『生まれてきちゃいけなかったんだ・・・』


やっと自分を傷付ける事をやめ、絵に打ち込むことが出来たと言うのに、

龍一はまたカッターを手にして左手に手首から縦に傷を入れた。

傷の痛みが悲しみや辛さを緩和させてくれるのを知っているからだ。

先がボロボロのカッターは切れ味が悪く、引っ張るようにジリジリと肉を切り、

皮を引き裂いていった。

その痛みで苦しみを止めたかったのに流れる涙が止まらない。


続けて2本3本と龍一は左腕を切り裂いた。

太い血管を斬ったわけではないので、ゆっくり滲むように血が溢れて滴る。

その左腕は血まみれだった、でも龍一が痛いのは腕ではなく心だった。

心が割れそうで胸を鷲掴みにしてしゃがみこんだ。



『壊れるっ・・・・・』



呼吸が苦しくなり、Tシャツの胸が血で染まってゆく。

苦しくて苦しくてTシャツの首から引き裂いてしまった龍一。


過呼吸とは違う呼吸の苦しさだった。

誰かの声が脳の中に反響して聴こえる。



『望まれない子供・・・・・』



『やめろぉ・・・・』



心の声で必死に反発する龍一。

床にオデコを擦り付け、もがきながらに呼吸した。

ベッドのパイプに噛みついて壊れゆく心の痛みを止めようとした。


苦しくて苦しくて眼球を閉じる事も出来なかった。

殴られた方がずっと痛かった、蹴られた方がずっと痛かった・・・


はずなのに・・・・


心の痛みというものはその想像の何百倍もの痛みだった。

胸を切り裂いて心臓を握りつぶしたら楽になるのだろうか・・・


苦しみもがく中で脳内でひとつ、答えがでた。



『死ねば良かったのに』



その時涙が止まった・・・・。


胸の痛みも止まった・・・・。


しかし我に返った一瞬で、

もうだめだ・・・割れる・・・・直感した龍一。


音が龍一から消えた・・・


何も聞こえなくなった・・・。



『死ねば良かったんだ。』



バァアアアアアアアアアアアアアン・・・・・



生まれてすぐに捨てられたと言う事実は、

今、龍一の心を砕いてしまった。


心が割れる音だけが部屋に響いた。


龍一の心に空いた穴が大きく口を開けた。


虚無となった龍一は座ったまま朝まで気を失っていた。

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