第12話 傷
少し、心が荒み始めていた龍一。
帰宅するためにグラウンドを横切った時、
同じクラスの平山 純子(ひらやま じゅんこ)が声をかけて来た。
と、言うよりは龍一の帰りを待っていたようだった。
『桜坂君、あのね、お願いがあるの』
『え?なに?』
『私と・・・交換日記をしてほしいんです・・・けど・・・嫌ですか』
正直な気持ちとしては、加奈子を失った龍一にとっては
とてもそんな気持ちにはなれなかったのだけれど、平山の顔を見ると、下唇と噛んで少し震えながら、目にはもう涙が溜まっていた。その震えが両手で持つノートにまで辿り着き、紙の摩擦の音が聞こえそうなほどだった。
龍一はこの時”可哀そう”と思ってしまった。小学6年生なので、その気がないのに交換日記をする事の意味も分からず、ただ可哀そうだからと申し出を受けてしまったのでした。
『いいけど』
『え?いいの?ありがとう!じゃ、書いたら渡すね』
『あ、うん』
翌日、平山がとびっきりの笑顔で龍一に交換日記を渡しに来た。
『桜坂君、書いてね』
『あ、うん』
家に帰って平山のページを読む、今日はどうだった、好きな歌手は誰で、好きなアニメはこれで、好きな食べ物はこれで・・・龍一には正直どうでも良かった、まだ加奈子を失ったショックが消えていないのだから当然である。龍一は平山がこのノートを自分に渡してきた時の事を思い出していた。きっと、すごい勇気を出したんだろうなって思いながら天井を見上げ、ベッドで大の字になった。
どれくらいの時間が経っただろうか、ベッドを下りて机に向かった。交換ノートを開きペンを取る、だが龍一にはどうしても書けなかった。何も浮かばないのだ、何を書いて良いのか分からなかった、ペンを持って何かを思い出そうとすると、加奈子との日々しか浮かんでこなかったからだ。
ノートにポタッと何かが落ちる音で我に返った。
加奈子への思いで龍一は泣いてしまっていた、涙を袖で拭うと、ノートに落ちた涙を拭いた。その涙の拭き跡がひまわりに見えた龍一は、ノート一面にひまわりをたくさん書いた。龍一が一番好きな花、それがひまわりだった。好きな理由は太陽に向かって真っすぐだから。
翌日、平山の席へ行き『これ・・・』と言って交換日記を渡した。
次の日、平山からまた笑顔で交換日記を渡された。家で開くと、クラスメイトの好きな人を大公開していた、その最後に平山の横に桜坂と書いてあった。そこで龍一は大変なことをしていることに気が付いた。好きでもない人とこんなことしちゃダメだと・・・・でもどうしてもそれを書くことが出来ずに、またひまわりをたくさん描いてしまった。
それから数日、平山から交換日記が渡される事は無かった。
特に理由を聞かず、そのままにしていた龍一。
そんなある日、平山の友人から交換日記を渡された。
『帰ったら読んで』
少し怒っている印象を受けた龍一は『あ、うん』と返事をした。
家に帰って交換日記を開くと、数名で書いたと思われる龍一の悪口で数ページが埋め尽くされていた。『交換日記なのに絵ばっかりかいてんじゃねーよ』『嫌なら嫌って言えよバーカ』『平山さんの気持ち考えたことあるの?』『死ねば?』
龍一は口で言われるよりショックを受けた。自分でもよくない事って気づいてたけれど、言えなかった。ただ、交換日記イコール好き同士と言うわけでもなければ、交換日記をしてるイコール付き合ってるではないので、こんなこと書かれて龍一の心はカッターで斬りつけられる思いをした。
翌日平山に謝ろうと、クラスに入り、真っすぐ平山の席に向かった。
『平山さん・・・』
『・・・・・』
『平山さん・・・』
『・・・・・』
周囲を見渡すと、あの空気だった・・・ガイである。
また独りか・・・いや、今までもそうじゃないか、何も変わりはしない。
龍一は黙って席に着いた。
担任の先生が入ってきて号令がかかる。
担任が龍一を前に呼んだ『桜坂、ちょっといいか』
『あ、はい』
ゆっくりと教壇の前に行くと、いきなり担任にビンタされてよろめいた。
耳もキーンとなって聞こえにくくなる程の衝撃だった。
その朦朧とする中で聞こえてきた担任の声。
『桜坂、お前平山の気持ちを踏みにじって交換ノートメチャクチャにしたんだってな!』
フラフラしながらも、身に覚えのない容疑がかけられている事は分かった。
『え?してません』
ピシャーン!
二発目のビンタが逆の頬に撃ち込まれる。
当時の指導方法は、今で言うところの体罰で、これが普通レベルだった。だから拳骨に全身全霊をかけて打ち込む先生も居た、痛い拳骨を与える事で力の誇示をしていたのだった。
『女の子にお前は何やってんだ!』
三発目のビンタで席に戻る事を許された。
龍一はまた裏切られたのだった、平山の仲間が結託して担任に嘘を言って信じさせ、皆の前で龍一を殴らせた。龍一自身も申し訳ない気持ちがあり、謝ろうと思ったのに、既に龍一を公開処刑にするプランが組まれていたのだった。また龍一の心が欠ける音がした。
『どうして俺ばっかり』
ガイである龍一は1日中学校で言葉を発する事なく過ごした。数週間後、刑期を全うしたかのように自然にガイが終わったようだったけれど、別段話しかけてくれる人は居なかった、目線はくれるが、目が合えば逸らされる。周囲でクスクス笑い、こっちを見ながら笑われる日々。そんなことがストレスとなり龍一は人と目を合わせることが出来なくなっていた、信じる事も怖くなって、加奈子を失った時の心の穴が、闇となって龍一を呑み込もうとしていた。龍一にとってはいっそ闇に堕ちてしまいたい・・・とさえ思う程には心がいっぱいいっぱいだった。そういう心の弱さに付け込んでくるのが闇。
部屋で堪えきれない夜は布団をかぶってわんわん泣いた。
絶対負けない、そう心で思いつつも言い得ぬ恐怖に龍一は負けそうになって行った。
明日は何されるだろう、味方は誰だろう、敵は誰だろう。
翌日、学校へ向かい、下駄箱から靴を出すと、カッターで切り裂かれてボロボロになっていた。用務員のおじさんにスリッパを借りて教室に入った、幸い体育が無かったのでスリッパで過ごせた。帰りの下駄箱では、龍一の外靴いっぱいに砂と砂利が詰め込まれ、上から水をかけられた状態になっていた。龍一は切り裂かれた上靴を手に持ち、砂利と砂と泥だらけの靴を抱えると、外で中身を出してその靴を履いた。細かな砂利が残っていて、歩くたびに足が凄く痛かった。
家に帰ると、靴なんか買ってもらえないので、母親の裁縫セットを引っ張り出して自分で上靴を縫うことにした。意外にも龍一は手先が器用で、裁縫もこなすので家庭科の授業も成績は良かったのだ。しかし想像以上にメチャクチャに切り裂かれており、縫っても縫っても直せないと気づいた瞬間に龍一は、急に悔しくて涙をボロボロとこぼした。
本当に悔しくて悔しくて全部が嫌になり、カッターを持ち出して刃をチキチキッと勢いよく出し、その刃を左手首に当てて手前に引いた。痛さはさほど感じなく、血がじんわり出て来たかと思うとタラタラと流れ出した。これで全部終わりだと思った龍一だったが、自分で手首を切って死ぬためには、想像以上に深く切らなくてはならず、しかも血液が凝固しないように色々と準備が必要なわけで、それを知らない龍一は自殺することは出来なかった。
手首の傷が痛くて夜中に目が覚め、取り憑かれた様にまたカッターで同じ場所を切り裂いた。流れる血を見ていると不思議と落ち着いた。
それからと言うもの、龍一は手首にとどまらず、辛い事があると手の甲にもカッターで斬りつけた。刃を変えていないのでスッパリとは切れず、皮が引っ張られて、突っ張り、無理矢理引き裂かれる感じだった。だから切り口も汚くて血の出方も酷かった。だが、時折刃が深く入り込み、肉がジリジリと切れる感触があった。ダラリと流れる黒ずんだ血の流れを見ていると、やはり心が落ち着いた。龍一の両手はどんどん傷が増えて行き、隙間がなくなったので次は両足の大腿部を切り裂き始めた。気持ちいいとかそういう感情ではない、自分で自分を傷つけることで怒りを抑えていたのだった、人を傷つけるくらいなら自分を傷つけたほうがいい、誰も傷つけずに怒りを抑える方法が龍一にはこれしかなかったのだ。
千枚通しを何度か首に当てたが、勇気がなくて刺すことは出来なかった。
最終的に左目の下から顎のラインまでの一直線をカッターで切り裂いた。
その異常事態にやっと気づいた母親が学校に連絡したのは『走って木の枝に顔をひっかけたので、あしたちょっと顔に傷付けていきますから』だった。
傷の事など龍一に聞きもしない。
電話の後、何やってんのあんた!と怒りをあらわにして殴りかかってきた。龍一はガードする事もなく、殴り返すこともなく、感情のない人形となって殴られ続けた。痛みなんか感じなかった、スイッチの切り方は随分前から知っているから。
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