第3話 康平
園児である龍一は今日も元気に保育園に向かった。
保育園に送ってくれない親だったので、幼馴染の利一(としかず)と歩いて向かう。
弁当箱を小気味よくカタカタと鳴らせて、時間もあるのに走る2人。
この頃は意味もなくよく走る子が多かった。
棒を見つけてはチャンバラをし、丸い石を見つければどこまでも蹴って歩いた。
いつも通りのひまわり保育園でいつも通りの業務のような時間を過ごす。
いつものトランポリンでずーっと跳ねて、いつもの時間にお絵描きをする。
走ったせいで片寄りしたお弁当を食べる。
いつもの時間にお昼寝して、いつものおやつの時間。
今日のおやつは大きな飴が1つ、その大きさは尋常じゃない大きさだった。
真っ赤で大きなイチゴ飴だったのだが、その味はイチゴとは似ても似つかない。
何味か説明しようがない味だった。
しいて言えば【体に悪そうな味】である。
それをポン!と口入れ、園内にある大きな滑り台のはしごを上った。
ガンッ!!!!!!!!!!!!
滑る場所の上にある湾曲した鉄のバーに頭をぶつける龍一。
その衝撃で先ほど口に入れた飴を呑み込んでしまった。
喉の途中に引っかかり、呼吸も苦しくヒーヒーとしか声が出ない。
『死ぐ!』
直感的に思った龍一はスーパマンスタイルで滑り台を滑り降りた。
勢い余って飛び出し、そのまま床に腹を打ち付けると『カラン!』
と言う乾いた音が響いた、龍一の喉から飛び出した飴はその勢いのままクルクルとワックスの利いたピカピカの床で回っていた。その回転する綺麗な赤い宝石の様な飴を見て、
生きてると感じる龍一だったが、実はこのことがバレたら父ちゃんに叱られる、
それしか頭になかったのである。
その日の帰り、珍しく母親が迎えに来た。
対応した先生が母親にこんなことを話した。
『今日のお絵描きの時間、龍一君は真っ赤なリンゴを青に塗ったんですよ、精神的におかしいのかもしれませんので病院受診とかお考えになった方が・・・』
その時母親は『はぁ?赤いリンゴを青く塗ったから頭おかしい?何言ってんの?赤がなかっただけだべさ?』と、セールスレディとは思えぬ訛り丸出しで私をグイッと掴んで自分の後ろに寄せながらそう言い放った。
赤いリンゴを青く塗った・・・龍一はとんでもないことをした気がした。
赤いモノは赤く塗らなくてはならない、そうしないと人が喧嘩をする。
もう好き勝手に色を塗るのはやめよう・・・そう思った。
無言で母親の後ろをついて歩く龍一、その足取りは重い。
虫を見ても水たまりを見つけても、龍一にはなんの興味も湧かない。
ただただ母親・喜美の後ろをトボトボとうつむいて歩くのだった。
家に帰ると元気のない龍一に喜美が赤ウィンナーを3本引きちぎって渡した。
『いいかい?赤いモノを見て赤に塗らなきゃいけないことなんかねーからな、青でも黒でも好きに塗ったらいいんだ、わがった?はぁ?』
力なくコクッと一つ頷いた。
母親の喜美が仕事に出かけた。
契約があれば変な時間でも行かなくてはならない事もあったのだ。
いつものように独りぼっちになった龍一。
独りぼっちは最初は嫌いだった、寂しかったから。
しかし、独りぼっちが続くと不思議なものでどう過ごそうか考えるようになる。
いや、彼の場合はどう生き抜くか?でもあるわけだが。
でもやっぱり龍一は寂しかった。
絵で凹んだ気持ちは絵で回復したい!とばかりに妖怪大百科を取り出し、裏が真っ白のチラシを出してきてお絵描きを始めた。ついつい鬼の存在を忘れてしまい、父親の大工道具からL字のさしがねを取り出し、マジックでチラシに線を引いては絵を描いた。彼にとっての【漫画】の始まりである。
夕方、父親である康平が帰宅する。
タクシー運転手には色々なシフトがあり、今日のシフトは夕方までなのだった。
父親が帰宅したのを知らず歌いながら絵を描き続ける龍一
『ニー・・・・ッ・・・・・ドガーン!』
戦争ものの漫画を描き、自分もその世界に入り込み、リアルタイムで攻撃シーンを描きながら音響までを一人で全部こなしていた。
『ズガガガガガガガ!くそっ!撃てっ!ババババババババ!』
ガラッ!
台所から繋がる引き戸が短い音とは裏腹に大きく開いた。
『何してんだ龍一ッ!!!!!!!!!!!!』
『ババババババ バビャァッ!!!!!!!!!!!!』
人間というよりは猫の様な反応でうつ伏せから一瞬で飛び起きて正座した龍一。
この間2秒以下。
『な・・・なにも・・・・絵を・・・・』
『なんだそれは』
『ん?せんそー』
『ん?じゃない、何描いてるかも聞いてない、答えなさい!なんだそれは!』
『なに?』
『なにじゃない!その定規は父ちゃんのじゃないのか?はぁっ?』
神主でもある康平の声は大きくて通るので迫力が半端なかった。
中でも母親もよく使う『はぁっ?』のような破裂音にも似た声は、
母親のそれより圧倒的に音量が高く、空から隕石でも落ちてくるんじゃないか?
と思ってしまうほど首が縮こまってしまう。
『あ、あうあうあう・・・』
『貸しなさい!龍一・・・・』
『あうあうあう』
『貸しなさいっ!!!!!!!!!!!!はやーくっ!!!!!!!!!!!!』
真冬で裸で外にいるかのようにブルブル震えながら龍一はさしがねを父・康平に渡した。受け取った康平はそのさしがねを持つ手を小刻みに震わせ、右手人差し指で一部を擦った。龍一が付けた黒い汚れはマジックだと気づいた康平が口を開いた。
『油性じゃねーか!!!!!!!!!!!!バカタレ!!!!!!!!!!!!』
バカタレの『レ』と同時に持っていたさしがねの長い方で龍一の左頬をはたいた。
パチーン!!!!!!!!!!!!
2m程飛び跳ねて箪笥に頭を打った龍一。
龍一の目には火花が飛び、顔が半分なくなったと思った。
その打たれた頬はみるみる定規の形に晴れ上がり、血が滲んだ。
でも決して泣かなかった、泣けばさらにぶたれるからだった。
泣かずに堪えていれば直ぐに終わる、きっと終わる、
そんな希望を胸に、体中に何度も振り下ろされる定規のムチに耐えた。
龍一には耐える事によって遠くに見えてくる希望と言う微かな光を待つのだった。
『母ちゃんは?』
『わ・・・わがんない』
『どうせドン・ファンだろう!行って呼んでこい!』
『う・・うん』
そう言いながらフラフラと立ち上がる。
『返事はハイだろ!』
シパーン!!!
『ギャッ!!!!!!!!』
右モモの裏をスナップの利いた定規のムチが襲う。大人でも悲鳴を上げるであろうこのムチ打ちにも龍一は顔をゆがめただけで泣く事は無かった。
康平が言うドン・ファンとは距離にして100mほど先にある喫茶店。その名の通り、やたら高級そうなアンティークで店内を飾った、まさにバブリー喫茶。当時の保険のセールスレディのたまり場となっていたのを康平は知っていたのである。
早く、早く立たなければ・・・
体中が痛い龍一だったが、また殴られるのが怖くて必死に立ち上がった。足が痛くて歩けずにいると、たんぱらと言われる、いわゆる怒りっぽい康平は『早く行けぇええええええええええ!』と言いながら龍一の首根っこを掴んで階段上がりくちへ放り投げた。壁にぶつかった龍一は意識がぶっ飛び、そのまま体制を崩し、頭から落ち、階段を転げ落ちた。康平は慌てて階段まで駆け寄ったが、顔を覗かせた時は玄関のガラスを突き破って龍一が飛び出した後だった。
龍一が目を覚ますと布団の中だった、頭には包帯が巻かれている事が分かった。体中が痛くて動かすことが出来なかった、どうやら近所の内科医に運ばれ、骨などに異常がないから打ち身や打撲の処置をして帰ってきたようだった。父・康平への恐怖と憎悪が龍一の中で一回り大きくなった出来事だった。
『大丈夫かい?痛いところないかい?』
そう優しい声をかけてくれた母親の右目の上が腫れていた。
きっと康平に何かされたのだと思った。
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