Hope Man

如月 睦月

第1話 桜坂家

1970年、大阪万博が開幕、日航機よど号ハイジャック事件、日本山岳会エベレスト登山隊の植村直己さんと松浦輝夫さんがエベレストに初登頂、東京銀座などで歩行者天国を実施、死神からの不幸の手紙が全国に拡散、漫画『あしたのジョー』の主人公・矢吹丈のライバルである力石徹の追悼式が行われた。


そんな昭和45年に龍一は生まれた。


らしい。


父は康平、「桜坂 康平(さくらざか こうへい)」

この当時はタクシーの運転手をしているが、

前職は地元では有名な少し悪の臭いのする会社におり、

危険人物としてその界隈で一目置かれ、名の通った男だった。

いつからか聞いていないが、神を信仰するようになり、神主もやっている。


昭和のこの時代には決して珍しくない厳格な男。


いや、厳格でもあり、無茶苦茶キレやすい男。

食事の時は必ず正座し、手を合わせて『いただきます』と言い、

食べ終わったら手を合わせて『ごちそうさまでした』をしなければテーブルを拳でドン!と叩き『あいさつは!』と怒鳴り、洗い場から母親が『まぁまぁ』となだめようものなら、その後ろ頭目掛けて茶碗を投げつけるほどキレやすかった。

だから父の居ない日はとても気が楽だったのだ。

食事の時に正座をしなくてもいいのが最高に嬉しい龍一。


今となっては当然のことだが、子供の頃は靴を脱いだらキチンと外を向けて揃えないとクドクドと説教、ちゃんと聞かなければビンタだった。

とにかく細かく、何かにつけて何かを言いたい男なので、毎日のように説教された龍一には、父のイメージは「うぜぇ」しかない。

とは言え、この頃の友人の父親はみんなこんな感じで、厳格であり、直ぐ怒る要注意危険人物的な立ち位置と言うか、存在であり、○○のお父さん面白いよね!優しいよね!なんて聞いたことが無い。


桜坂家六番目の息子が「龍一(りゅういち)」

長男の常盤 善幸(ときわ よしゆき)と

次男の常盤 雅幸(ときわ まさゆき)は

裕福ではない家計を助けるために、高校を卒業して直ぐに埼玉へ出た。

三女の弥生 純子(やよい じゅんこ)も高校卒業後に就職し、

寮に入るために東京へ出た。

同居しているのは母親の桜坂 喜美(さくらざか きみ)と父親の康平

四男の弥生 潤一(やよい じゅんいち)高校三年、

五男の弥生 昂一(やよい こういち)高校一年、


この頃桜坂 龍一(さくらざか りゅういち)が住んでいるのは冬がとても寒い街。


新旧、和洋、また色々な国の要素があちこちに点在する独特な街並みは心に不思議な感覚を与え、初めて来たのに懐かしいと錯覚させる。

観光スポットとして人気が高く国内外から多くの人が訪れることで有名で、歴史に残る名所も少なくない浪漫あふれる街であった。

そして何より漁業が盛んな海の街なので、海産物がとにかく美味しい。

そんな街の中にある『如月町(きさらぎちょう)』が彼の町だ。


大きな道路から小路へと入り、小さな公園を横切りながら車同士がすれ違う事など出来ない隙間の様な土の道に入ると、デコボコ道で水はけの悪い粘土の様な路面に変わり、左右に家々が密集する中にパズルのピースのようにはめ込まれた家が桜坂家の城。


今ではあまり見られなくなった『ご近所づきあい』だが、当時の龍一の家の周りはそれが当たり前の光景だった。作り過ぎたから食べて!と鍋ごとおでんをおすそ分けしに来るなんて事は日常茶飯事で、鎌倉さん家のよっちゃんが就職したとか、小林さん家の長男が自衛隊から逃げ出したとか、田中商店の店長はヅラだったなんて事は風の如く伝わり、遅くても翌日の夕方には近所全員が知っていると言う程、良い事も悪い事も含めて『近所づきあい』が盛んだったのだ。

当然だが我が家もその噂のネタになった事がしょっちゅうだった、だがそれも陰湿な悪気のあるものではなく、みんなで情報を共有するチャットサービスみたいなものだったのです。


桜坂家は変わった造りになっており、1階は管理人さんが住む家。


その右側に入口があり、ガラガラと獣の唸り声の様な音のする擦りガラスの引き戸を開けると畳一畳の2/3くらいの大きさの玄関で、右側に必要以上に大きく屈強な戦士でも破壊できそうにない頑丈な下駄箱。

眼前には壁の様に急な階段がある。

築年数も古く、その階段はよく踏み込まれてツルツルになり黒光りしていた。

ムチウチの人だと見上げる事すらできない程高角度の頂、そこから顔を覗かせて桜坂家は来客に対応する、そう、いちいち下りていては身が持たないのである。

龍一は保育園から戻るとその階段を探検隊が断崖絶壁を上るように両手両足を使ってよじ登るのだった。友達が遊びに来るとこの階段はとても良い遊び場所となる。

『助けてくれー!』『待ってろ!今行くぞ!』アクション映画さながらのアツい展開が休憩を挟んで長い事続けられるのだ。龍一が幼少の頃はTVゲームはもとより、LSIゲームもまだない時代。

いや、あったのかもしれないが、少なくとも龍一とその仲間たちの間にはそのようなものは存在しなかった、つまり裕福な暮らしではなかったからだ。

そしてこの階段は鉄製の、バネ状に加工されたスリンキーと呼ばれる当時アメリカ合衆国で大人気のシンプルな玩具が、そのポテンシャルを最大限に発揮し、ユニークな動きを最高の形で見せてくれる。

スリンキーが尺取虫のように頂上から玄関のコンクリートまで下り切った時は、友人と手をパチン!と合わせてイエーイ!と喜べる程の『偉業の達成』なのだった。


アドベンチャーゲームの様な階段をギシギシと音を立てて上がると、家の中へと入る為の擦りガラスの扉があり、それを開けたら目の前がストーブと言う配置で、そこがキッチン兼食事部屋となる。

四畳半ほどのその部屋にある両開きの擦りガラスの引き戸を開けると十一畳くらいの居間兼寝室があり、その部屋には押し入れがある、なんと押し入れの中に窓がある。

寝る時に布団を出すので、窓が現れる。布団をしまうまではそこから窓の外を見て、外を歩く近所の友達に用もないのに『よー!』と声をかけるのが龍一は楽しみのひとつだった。

一階が普通の家なので、通常の2階とは違ってやや高いのだ、それが龍一にとっては優越感を感じさせる。たまに下を目掛けて唾を垂らした、家と家がひしめき合う空間がそうさせるのか静かな日は「ピターン」と響きのある音が返って来る、そんな良い音がした時は小さく『よしっ』と頷くのだった。


トイレはその居間兼寝室の角にあり、子供のキックでぶち破れそうなベニヤ板でできた扉を閉めると釘で打ち付けられた台形の木の切れっぱしみたいな棒を左に倒すのが『鍵』である。

時々勝手に倒れては入れなくなることもあったが、隙間に金属のL字方の定規を隙間に差し込めば簡単に解除できる。だが、大工道具として保管している父親のその定規は、勝手に触ったのがばれたらビンタされるので、作業が終わった後にも注意して慎重に任務を遂行せねばならない。

中は意外に広く、モアイの顔の様な蓋は鼻にあたる部分を掴んでどかし、ぽっかり空いた穴をまたがって用を足し、排泄物は漆黒の闇に吸い込まれて行く。

裸電球のスイッチまで手が届かない龍一の為に踏み台を置いてあったが、龍一は面倒くさいと言い、扉を閉めずに部屋の明かりを利用して用を足していた。

当然だが父親が居るときはこっそり懐中電灯を持っていき、床に立てると天井が照らされて間接照明のようになり、意外に明るさが広がるのだった。

何の臭いかわからないが、当時のトイレはどこの家もツンと鼻を刺す臭いがした。

龍一はこの臭いが苦手で、いつも息を止めてはいるのだが、出るまで呼吸が持つことはなく限界を迎えてはその反動で必要以上に吸ってしまい咽ていた。


この居間兼寝室は、筒状のポータブルストーブを真ん中に置いて暖を取る。

広さと全然合っていないから真冬は部屋が暖まる事が無く、みんなでキッチン兼食事部屋に集まることが多かった、そっちの方が狭いから小型のストーブでも暖かいのだ。

龍一はポータブルストーブの上で炙って食べる干し芋やスルメが大好きで、皆が集まると大体それらを食べるのを知っているから、いつ来るかいつ来るかとワクワクしていたのだけれど、大概は龍一が寝てから大人たちで楽しんだので食べれる事はそうそうなかった。


同じ部屋に三段くらいの階段とカチャリと開ける扉があった、そこは兄二人の部屋となっており、横長の四畳くらいの大きさで、ぎゅ!っとなって2人が入っていた。

どちらかの友人が遊びに来ると、どちらかが部屋から出る事を約束していた兄弟だが、兄の潤一が譲ることはなく、弟の昴一がいつも譲黙って部屋を出る。

それもそのはず、潤一は街ではその名前を聞くだけで嫌悪感をモロに顔に出される程悪名高い極悪高校に通っており、全生徒の頂点に立つ男、つまり『頭』であり『番を張っている』のだ。

真っ白な特注の制服で登校すると、門の前に先生全員が並び、潤一に『おはようございます』と深々と頭を下げる。その異様な光景を見れば潤一がどんなに恐ろしい人物か理解できる。

180cmと言う当時では高身長の部類で体格も良くイケメンでツラ構えもいい、ニヤリと笑った顔は今でいうところのサイコパス、笑いながら人を平気で痛めつけそうな、何を考えているのかわからない怖さがある。つまり、逆らったらただでは済まない事を知っているのである。

しかし潤一の白い学生服、実は新聞配達で稼いで自分で買ったのだ、家計に迷惑をかけまいとする優しさは垣間見れる。心優しい極悪な不良、それが潤一。


『はぁ』とため息をつき、麦茶を一気に飲み干して両手で頭を掻きむしった後、怒りをぶつけるように洗い物をする母親。静かに入ってきて部屋に逃げるように龍一の前を通り過ぎて行った昴一。

幼稚園児の龍一が母親に声をかける『かぁちゃん、昂一にぃちゃんきたよ』『わかってるよ、あんたのにぃちゃん学校で友達のお弁当盗んで食べちゃったんだって、三つも!この前は出るとこ見たかったーって言って消火器を教室でばら撒いて、その前は校門の鎖外して首に巻いて歩いて転んで鼻血だして、その前は間に合わなかったからって廊下でうんこして…ほんと、はんかくさい』それで学校に呼ばれ、母が毎度毎度注意を受けている事は龍一にはわからない。だが、なんとなくショボイ兄貴が昂一だとは理解していた。


昂一は身長153cm、当時でも今でも低い方に分類される。

潤一とは違い、不良の頂点には興味がなく、本人がそのつもりが無くても人を笑わせてしまうと言うミラクルをよく起こす、今が楽しければ良いタイプ。

好奇心旺盛で人懐っこく、情で動くタイプだが後先考えないので結果的に自分が全部被ることになる事も少なくない不運キャラ、それが昂一。

当然だが潤一も昂一も成績は「最低」だ。


龍一は園児で、通っている保育園は『ひまわり保育園』、アブの幼虫が便器にへばりつく程にはだらしなさが目立つ保育園ではあるが、園長自体は教育には力を入れており、当時の保育園ではやっていないような『授業』が自慢だった。お遊戯会においても、馴染のおとぎ話や昔話を省略したような演劇はやらず、園長が脚本を担当した『戦後の日本での生き様物語』等を行っていた。

演技指導にも熱が入り、泣きだす園児も少なくないが、その完成度は高く、観覧に来た祖父母の皆様は涙でハンカチを濡らす姿が見られた。

グラウンドは無いが、体育館が大きい作りの保育園なので色々な遊びにも意欲的で、イベントは多めだった。昼寝の時間になると、教室の床にゴロ寝してタオルケットを数人で1枚被って寝るのだが、友達とのゴロ寝で眠くなるはずもなく、タオルケットの糸を歯で引っ張り出しては口の中で丸めて友達の顔にプッ!と飛ばしてぶつけ合うのが楽しくて仕方が無かった。


保育園が終わると、年長ともなれば母親は迎えに来ず、勝手に各々が歩いて帰ると言う危機管理と恐怖感がまるでないスタイルだった。

龍一と向かいの家の幼馴染の利一(としかず)は、丁度帰る時間に通りかかるチリ紙交換の三輪トラックの荷台に捕まり、その荷台の下にあるパイプに足をかけて、利一と話をしながらのんびりと帰るのが日課だった。


当然公道を走るのだが、その光景を注意する者はおらず、むしろ笑顔で見守る街だった。

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