第25話(第5章)

 〈テスタメント〉終了から残り一ヶ月となった。その頃になると、トウカとルーチェはタロー特製装備の試作品のテストも兼ねて修行に明け暮れていた。決闘の日時をプレイ終了付近に設定することで、限度ギリギリ――やれるところまで強くなろうという腹だ。初戦が引き分けになったのが効いたらしい。


 ソフィアはどうにか借金返済が間に合いそうだとのこと。しかしそれでも、プレイ終了時までは気を抜けないという。いっそ踏み倒せば、と跡永賀が言うと、『普通のゲームならそれも手だけど、ことこのゲームはどんな方法でも弁済させられそうな気がする』と答えられ、跡永賀は納得した。仮に後になってリアルで請求されても、金策皆無の初無敵には払う術がないのだ。


 タローとハンナは相変わらずの生活だ。二人とも、プレイ終了までこのままだろう。

 家族の誰もが跡永賀に構うことはなかったが、かつての寂しさはない。絆を取り戻したというのもあるが、なにより、

「ぷるる」

 そばにはモモがいた。


 時には家で戯れたり、時には街へ出かけたり、二人はこの世界を共に過ごした。時折目にする†聖十字騎士団†の存在以外は――この頃になると、往来で白昼堂々集団で行動していることがままあった――何の不満もない日々であった。

 繁華街には、より一層†聖十字騎士団†の爪痕が目につくようになり、その影響が無視できなくなっていた。巷では自警団組織の案が出ては人材不足による立ち消えの繰り返しで、対抗策はうまく進んでいない。当然である。†聖十字騎士団†に入らないような――自衛できる猛者なら、そもそも自警団などで身を守る必要はない。さらに言えば、そんな組織に所属して、†聖十字騎士団†とわざわざ敵対する理由がない。それで得をするのは無関係な有象無象。


 所詮は他人なのだから。

 往々にして、踏みつけられる弱者の命運というのは、強者のきまぐれに左右される。世界は代わっても、それは不変のようだ。

 踏みつけられる者ができることといえば、強者の牙から逃れるように立ち回ることくらいだ。そういう理由で、†聖十字騎士団†に加わる者も少なくないらしい。媚びへつらっている分には襲われることはなく、あわよくばおこぼれにあずかれるのだから賢いといえば賢い。


 それでも、跡永賀はそういう気にはなれなかった。今更いうまでもなく、自分には自衛できる実力すらない。モモだってそうだ。だから、自分たちは結局強者の手中にある。けれど、だからといって強者の側に――踏みつける者の位置に立つのも嫌だった。


 ただ、誰にも傷つけられず、誰も傷つけたくなかった。

 それは生物の根底――弱肉強食の否定であった。

 同時に、人間特有の矜持であった。


「母さんはこれでいいの?」

「なんちゃらかんちゃら騎士団のこと?」

 父の作業場近く、母専用仮眠ベッドでゴロゴロしていたハンナはモモを抱えた跡永賀を見上げる。


「†聖十字騎士団†ね」

「そのなんちゃら十字騎士団がやりたい放題してるのがどうってこと?」

「母さんならどうにかできるんでしょ?」

「できるよ。しないだけ」

「しようとは思わないの?」

 踏みつけられる側の跡永賀にとって、踏みつける側にあるハンナの考えはわからない。


「もし、お母さんが『あの人たちは間違っている』っていって壊滅させたとする。でも、それからまた同じような集団はできる。そういうのはなくならないからね。理屈なら、それも潰すことになる。それを潰して、その次も潰して――――」

「終わらないってこと?」

「キリがないのもあるし、やってることはその人たちと何も変わらない。気に入らないから、気が済むまで暴れる――それだけよ」

「だから放っておくのか」

「別に損するわけじゃないしね。やりたいことをやりたいように――ゲームってのはそういうもんでしょ。本来、その権利は侵害されていいものじゃない」

「他人の権利を侵害することになっても?」

「弱肉強食を否定する気はないわね。歳をとると、薄っぺらい倫理や理想に興味がなくなるものなの」

「そっか」

 ハンナの言葉は、ヒトの限界の一端を吐露しているようだった。〝こうなればいい〟と望んでも、叶える力を持たない者の嘆き。虚しさや悔しさを感じる心は、いずれ慣れでもって感じなくなる。そういうことなのだろう。


「あんたはヒーローになりたいの?」

「いや、別に。何か疲れそうだし」

「じゃあ力が欲しいの?」

「そうだね。あった方がいいかもしれない」

「ふぅん」と息を漏らしたハンナは、跡永賀に抱かれているモモを撫でる。「だったら、今のままでいいかもね。寄り道や回り道をしたようで、その実は正しい道を進んでいたのかもしれない」

「どういうこと?」

「鍵はあるけど、宝の入った箱が見つかってないのよ」

 くすぐったいのか嬉しいのか、モモははにかんで「ぷるる」と鳴いた。

「いや、余計にわからんて」

「正直、お母さんもどうなるかはわからないのよ」

「そうなんだ」跡永賀は首を捻るしかない。


 


「今日はどうするか」

「ぷるる~」

 工場の外、横になっているドラゴンによりかかった跡永賀は、モモと一緒にまやかしの青空を見上げる。ハンナのペットであるこのドラゴン、跡永賀には気を許しているらしく、これだけ密着していても動じない。これが工員であると、近づいただけで鋭い目を向けるのだ。生来、動物に懐かれやすいタチなのだ。リアルではめったに外出しないものだから、これまで実感することはあまりなかったが。


「ん?」

 工場正面の出入り口前に、†聖十字騎士団†のメンバーが数人いた。どうして騎士団員だとわかるかというと、でかでかと†聖十字騎士団†のエンブレムがプリントされた十字マーク入りマントを着ているからである。


「何してんだろ」

 彼らは何をするでもなく、そこにいるだけだ。仕事の依頼でないのなら、どうしてここにいるのか。

「何かご用ですか」

 跡永賀が話しかけてみると、数人の一人、リーダー風の男がこちらを見た。


「お前、ここの人間か」

「まあ、一応」

「そうか」

 それきり。他の者は口を開かない。本当に何をしにきたのか。周囲を見回せば、他の店や施設にも、似たような配置で†聖十字騎士団†がいた。

『聞け、者ども』

 頭から降ってくる大きな声に、跡永賀は反射的に上を見た。これは〝拡声メガホン〟アビリティか、同等のアイテムによるものだ。


 声の主は、ここから少し離れた――街の真ん中にある塔の上にいる。案の定というか、騎士団専用のマントをつけていた。ゴテゴテした黒いアーマーに金色の装飾が施された、威風ただよう風貌だ。

『これより、ここは我々†聖十字騎士団†が支配する。ただちに降伏し、服従せよ。さもなくくば』

 周囲の騎士団員が剣を抜く。わかりやすい敵意の見せ方だ。

『粛清だ』

 それを合図に、彼らは目的の場所へ殺到した。当然、工場の付近――それどころか彼らの目の前にいた跡永賀は、真っ先に標的になる。

 とっさにモモをかばう跡永賀。金もなく、父も母のほかに姉や恋人の装備の面倒を見ているため、結局未だに武装はない。


「あーあ、やっちまったね」

 数秒――それすら長く感じるほど、あっという間のことだった。

 すぐそこにいたはずの襲撃者たちは、吹き飛ばされていた。


「余計なことをしなければ、大目に見てやったのに」

 片手で振りぬいた大剣を、ハンナは軽々と振り回す。その背後の跡永賀は、ぽかーんとするしかない。

「降りかかった火の粉は払わなきゃ、でしょ?」

「そりゃあ、まぁ」

「それじゃ、ちょっと行ってくるわ」

「い、いってらっしゃい」

 両手で大剣を握ったハンナは、塔に向かって走りだす。「来い!」呼ばれ、ドラゴンがその後を飛んで追った。


「みんな~」それと入れ替わるように、ソフィアがやってきた。「ここは襲われなかった?」

「襲われた。けど一瞬で……」

「ああ……納得」

 壁に埋まったり道に転がったりしている騎士団員を見て、ソフィアは頷いた。「あれだね、不良が調子こいてヤクザどころか軍隊に喧嘩売っちゃったみたいなね」

「その表現、的確だな」


 敵の本拠地らしい塔へ一直線に向かう母を、騎士団の面々は襲っているが、まるで歯がたたない。一振りで巻き起こる突風に、大半が吹き飛んでいった。まるで風に吹かれる木の葉のようだ。それはまだいい。斬撃が直撃した場合、アーマーが粉砕されている。おそらく同時に技能無効も発生しているから、その激痛は……想像すらしたくない。


「対人戦でも通用するみたいだな」

 一仕事終えたらしいタローが工場から出てきた。

「やったねお父さん! これでまた客が増えるね!」

「もういっぱいいっぱいだよ。また工場大きくしなきゃな」

 ソフィアにそう答え、タローは首に巻いていたタオルでふーっと汗を拭った。


「いっそ株式会社にしない? それで僕に株の八〇%を……」

「母さんが許してくれたらな」

「僕に死ねというのか」

「そうなるとわかってるなら始めから言うなよ」

 跡永賀はため息を吐く。

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