ろっくなキリンがそりをひく

ヨドミバチ

1.ろっくないもうと


 うちの家系は難産や、幼い子の不幸と縁がない。ただ引きかえのように、必ず一度は流れてしまうそうだ。


 厄介な話だけれども、実は流れた子供も帰ってくる。

 ひと月のうちに、母親の枕の上に《けいついのない赤ん坊》が見つかるのだとか。


 それがいつから起こるようになったのか、なぜそうなったのかはわからない。今となっては、なのか、初めから誰にもわからなかったのかどうかすら、伝わっていない。

 急いで水子供養をすると、その奇妙な赤ん坊が寝室に現れずに終わることもあるらしい。なので、やはり流れた子が首の骨だけどこかへ置いて帰ってくるのだろうと、うちの家筋では考えられている。なにかしら、そうしなければならないいわれがあるに違いない、と。いわれというのはおよそ、蛇に関わる神霊の祟りだとか、大昔の口減らしでは赤ん坊の首の骨を折るものだったからだ、とか。


 なにはともあれ、死者蘇生の奇跡として単に歓迎するにはどうにも難しいものがある。

 だいいちその《忽然こつぜんと現れる首の骨のない子供》は、まともな生き物なのかどうかから疑わしい。それは忽然と現れて首の骨がないからでもあるけれど、その子たちに例外なく持ち合わされる〝特技〟の方が、怪しむ理由としてまったく怪しくなくて、あからさまに奇々怪々だ。


 たとえばそれは、廊下に横たわる薄桃色のパイプ。


 玄関から居間へつづく廊下に、二の腕くらいの太さのパイプが這っている。居間の扉の隙間から出てきて、途中で直角に曲がり、わきにある洗面所に先端は消えている。朝にはなかったはずの、水道やガスのにしては柔らかそうな管。


 居間には明かりがついている。洗面所にも電球色。テレビの音は居間から。聞き覚えのあるコマーシャルソング。

 下校してきたばかりのわたしは、靴も脱がずにその光景を見て数秒間絶句する。軽く息が止まる。


 我に返ればとりあえず靴を脱ぎ、ふくらんだ買い物袋をあがりがまちへ静かに置いた。つとめて冷静に、スクールバッグから取り出したのは折りたたみのヘアブラシ。天然豚毛100%。地肌が痛くないソフトな毛先。

 薄桃色のパイプをそいつでチョイとひと撫でしてやる。電流を流されたタコの刺身みたいに、パイプがぶるりと痙攣けいれんする。


「くひッ!?」


 居間から子犬めいた悲鳴。


 さらに毛先で細い字を書くようにパイプの表面を何度もなぞる。さっきの悲鳴に笑い声がまじって連続であがる。ブラシの動きを速めるにつれて声も大きくなっていく。わたしの目は今きっと据わってる。


「うひゃひゃひ! ひゃっ、ひゃめっ、だぇ……!」

「すぅーえちゅわーん?」食べられないパン三世。「こぉーんなに首を長くして、いったい誰を待ってたのかなぁー?」

「おおおおねえちゃんっ!?」


 ブラシを動かす手を止める。居間の扉の隙間から、ゆっくりと妹が顔だけ覗かせた。


 顔だ。顔だけだ。文字どおり、頭だけ。


 ゆるく結んだ二本のおさげが、床につきそうでつかない高さで揺れている。四つん這いのような目の高さ。ぜえぜえと息をしながらふわりふわり。ヘリウムの減った気球のように高度を下げつつ、へろへろと宙に浮いた妹の頭が廊下をただよってきた。


「うぅぅ……い、いつ帰ってきたの?」

「ついさっき。ただいまー」

「お、おかえりなふひひゃ!? ちょっも、やめッ、ひぇって! くびっ、くび弱いから! はひひひひっ、ひゃひっひひゃひっ」


 耳と頬を真っ赤にしてガクガクしてる妹の頭を半眼でにらみ下ろす。ドーパミン漬けの呼吸困難をひとしきり味わわせてからブラシをバッグにしまった。口もとに浮かべた作り笑顔もいっしょにしまい込み、五ェ門のように腕を組む。


「うちの中だからって油断しすぎ。なにしてたの?」

「ま、マジカル大統領、カオス・ミシェル、クリスマス特大スペシャル、『ストライクラプターはターキーを焼かない』、他二本……」


 女児向けのテレビアニメを見ていた、ということらしい。

 学校に通っていればもう中学生をしている歳なのだけれど、妹は一向そういう趣味から卒業しない。ずっと家にいて他に夢中になれるものがないのだろうし、だから健康的でないと言いつのってもしょうがない部分はあるのだけれど、気にかかってしまうのも常だった。具体的に口出ししたことまではないものの。


「お風呂場の方は?」

「えーと、そっちは、その……」


 妹は言いよどむ。察しはついている。

 さすがに夕方ともいえないこんな早い時間に、風呂に浸かりながらアニメを観賞する贅沢(ぜいたく)を思いつく妹ではあるまい。脱衣所兼洗面所から漏れる電球色の明かりは、開けっ放しのトイレの照明。


「まあ、見に行けばわかるんだけど」

「わあああああごめんなさい! 終わるまでがまんできなかったの!」


 洗面所の入り口を全開にしようとするわたしに妹が泣きついてくる。どちらかといえば閉めたい。少し臭う。


「見えないと危ないし、うまく拭けないからやめなさいって何度も言ってるでしょう?」

「さ、最近は拭けてるもん」

「上達しちゃダメなんだってば。って、わたしがいない間に同じこと何度もしてるな?」

「ぎくっ」

「はい、お説教はあとでじっくり。ちゃんと見て済ませてくること」

「はひ……」


 力なく頷いて、妹の頭はフヨフヨと洗面所に消えていく。そのあとから、妹の頭とつながっている薄桃色のパイプ――妹の長く長く伸びた〝首〟が、掃除機のコードみたいに引きずられて回収されていった。

 やれやれと、買い物袋を持ちあげながらため息が出る。


 妹には頸椎がない。首に首の骨がない。

 肉と皮だけのその首は、けれども思いどおりに伸び縮みさせられて、くねくねと自在に曲げられる。


 それ以外は、見た目も中身もいたって普通の女の子。首が伸びるのはちょっとした便利な技で、しかしそれに慣れてしまって頼りがちになることは、ますます外に出づらくなるということでもある。


 誰にも秘密の妹の体。なにかの拍子に伸びているところを見られてしまえば、それこそ二度と外には出せなくなるだろう。母親からは、姉のわたしが代わりに案じるよう、さんざっぱら教育おどかされていっしょに育ってきた。


 妹は人間。人間だけれど、首が伸びる。さながら妖怪、ろくろっくび。


 わたしが目くじら立てるのは、ただの神経質なんかじゃない。たとえ自宅の中だって、絶対安全だって言い切れなんかしないのだ。特に今日みたいな日――クリスマス・イブみたいな特別な日には。

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