第28話 敵わない



目を逸らすことなく告げれば、ふっと息を吐き出した御爺様は物悲しげに微笑みながら「……俺は、後悔ばかりしている」と呟いた。


一瞬何を言っているのか分からず、(後悔?あの御爺様が?)と何度か御爺様の言葉を反芻し、戸惑いながら御爺様を窺う。



「俺に後悔することなどあるのか?とでも言いたそうな顔だな」



後悔という言葉がこれほど似合わない人がいるだろうか……いない。間違いない。


「……楽しく過ごされていると思っていたので」

「残りの人生くらいは好きに生きようと思っているからな」


御爺様は冷めた紅茶を一気に飲み干し、執務室の隅に飾られている国王陛下から送られた賞状に目を向けた。


「俺がセレスティーアくらいの歳の頃、王位継承争いが激化し、派閥争い、官僚の汚職が蔓延していた。民は飢え、国からの援助を受けられなかった領主は自ら命を絶つことも少なくはなかった。幸い、うちは領地が広く豊かだったのでどうにか持ち堪えられはしたが……国が荒れれば、何が起こるか知っているか?」

「……戦争でしょうか?」

「あぁ。侵略戦争だ。軍事貴族はいち早くそれを察知し、戦争の準備に取り掛からなくてはならない。が、資金を集めることにすら苦労し、肝心の戦力は派閥争いに巻き込まれ満足のいく数も集められず、足並みも揃わない。頼みの綱は国軍のみ。情けない話だろう?」

「……」

「領地の民、家族、親友、国、それら全てを護れる力が欲しかった。軍学校へ入ることで土台を築き、軍人となり戦場で功績を上げる。この頃になると東と西の両国との戦争なんて日常茶飯事だったからな、気づけば大佐に昇進していた」

「王位継承争いはどうなっていたのですか?」

「依然として続いていた。国の中が分裂している状態で戦争なんてできるわけがない。このまま他国に蹂躙されるか、王位継承争いを終わらせるか……その二択しか道がなかった」

「御爺様が今の国王陛下を支え、補佐をしていたと……」

「今では美談として語られてはいるが、俺と現国王派がしたことはただのクーデターだ。表立って動いていたのは俺だが、裏で指揮を取っていたのはまだ成人前の現国王で、有無を言わさず俺を元帥に任命した挙句、散々こき使い見事に玉座を手にしやがった……昔も今も、そういったことには恐ろしく頭が切れる奴だ」


どこかげんなりとしながら語る御爺様に後悔の色は見えない。

選択肢など端から一つしかなかったのだと私にも分かる。


「問題は、此処からだ。現国王派と派閥に属さず中立を保っていた者達以外は全て粛清。取り上げた領地は国が預かるという形にし、空だった国庫を埋めた。貴族の結束を強める為に各家の子息、子女には国が定めた政略結婚を課し、それによって当初の婚約を破棄し、新たに別の者と婚約を結び直した者も多い」

「国が課すとは……?」

「政略結婚は利益の為に、または経済的支援だったり称号であったりと様々な理由があるが、総じて家の為にするものだ。だが、国が課した政略結婚で得ようとしていたものは戦力の増強と資金繰り、敵国に近しい戦場地帯となっている領地の支援。それらが円滑に回るよう綿密に練られて行われた」

「御爺様も国が課した婚姻だったのですか?」

「いや、俺はその前に籍を入れていたからな。その代わり、妹達が意に沿わない相手と婚姻している」

「政略結婚とはそういうものでは?」

「そうは言ってもある程度の条件くらいは付けられるものだろう?十分な婚約期間もないうえに信頼関係を築いてきた婚約者ではなく、顔すら碌に知らない者と一月後に結婚しろと言われたら反発もしたくなる」

「……ですが、どうにもならないのですよね?」

「あぁ。妹達には当主として俺が通達した。泣き喚かれ、懇願されても、決定を変えることはない。あいつらには、諦めて飲み込むまでの期間すら与えてやれなかった」


政略結婚だとしても婚約者として過ごす日々の中で愛が芽生えることもある。

安穏とした日常を過ごしていた頃の私なら、大叔母様達の境遇を不憫だと感じ憤ったかもしれない……。


苦笑しながら「今は幸せそうだけれどな」と口にした御爺様に何も言えず、ただ静かに頷いた。


「国が安定したら残すは敵国を退けるだけだ。否応なしに戦場を飛び回り、家に帰れるわけもなく、妻とは手紙の遣り取りにすら苦労した。領地の仕事に子供の教育、国王派筆頭としての社交。これら全て妻が請け負ってくれていた。長い年月、文句一つ言わず、妻が病気だと幼い息子からの拙い文字で書かれた手紙で知らされるまでな」


物心がついた頃からずっと、御祖母様はベッドの上から離れられずあまり長く一緒に居ることができなかった。

でも、月に何度か、具合が良い日は御爺様と庭園の中を歩き、私に剣を教えようとする御爺様をお母様の代わりに叱っていたこともある。

目を離したら消えてしまうのではないかと思わせるくらい儚げな人が、戦場にいる御爺様の代わりに領主代行をしていたと聞き、驚きと共に納得もする。


『愛する夫でも、物理的に躾けが必要なときもあるのよ』


うっそりと笑みを浮かべながらそう口にしていた御祖母様はとても怖かったから。


「戦争を終わらせ領地に戻って来られたのは、バルドが九つのときだ。俺の記憶の中でのバルドはまだ赤ん坊だったからな……驚いたなんてものじゃなかった。痩せ細った妻を守るように立つバルドに、何故もっと早く帰って来なかったのかと怒鳴られたときは胸が抉られた」

「不安だったのでしょうね……私も、段々と痩せていくお母様の側を離れられませんでしたから」

「護りたいものがあったから手にした力だったが、その分犠牲になるものも多かった。セレスティーア……後悔はあとからするものだ」

「……」

「方々から何を言われたところでそれは今のセレスティーアの心に響かないだろう。お前は、既に軍学校へ入る覚悟を決めているし、バルドのことを見限ってしまっているからな。だが、バルドにも言い分があるかもしれない。もしそれを聞いて納得がいかないのであれば、改めて見限れば良いだけだ。何せ、敵前逃亡ではなく、戦略的撤退でなければならないのだからな」


此処へ来た当初に私が口にした言葉を覚えていたのか、意地の悪い笑みを浮かべる御爺様をひと睨みし、ガクッと項垂れた。

婚約者とお父様から逃げることしか考えていなかった私が御爺様に敵うわけがない。


「お父様と話してみます……」


気が重いが。

お父様だけでなく、そのうち婚約者とも話すよう言われるのだろうか……。



「セレスティーア」

「はい……え?」


ノロノロと立ち上がった私に向かって投げつけられた物を咄嗟に掴み、手の中にあるどう見ても財布と思わしき物をまじまじと見つめた。

皮で作られた長財布……ずっしりと重いコレをどうしろと?

困惑しながら財布と御爺様を見比べていたら、テーブルの上にスッと紙が置かれた。


「それに書かれている場所で買い物をしてこい」

「買い物、ですか?」

「あぁ。ついでにルドとレナートを連れていけ。護衛としてアルトリードがついてくるからな」


王族はついでで、王都でも有名な騎士様がおまけ、だと……。

深く考えない方が良いと取り敢えず頷き、財布を手にルド達が居る場所へと向かった。














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