第25話 手が離れるのは早いものです
連日訓練場には怒声と笑い声が響いていた。
怒声はレナートとルドで、笑い声はダンを筆頭とした軍人達のものだ。
息つく間もなく次から次へと流れ作業のように訓練メニューをこなすレナートとルドを横目に、私とアルトリード様は水を汲み鬼教官のように木剣を肩に乗せるダンの横に置いていく。
「……うっ」
「……レナート!?まずい、起きろ!」
「はい!失格!」
ダンが軽く木剣を振ると、それが合図となり桶を持った軍人がレナートの頭に水をかける。
「ぶはっ!……うぇっ、このっ!」
「あははは、悔しかったらもっと鍛えろ!夏だからまだいいが、冬は厳しいぞー」
「レナ……っ!げほっ……」
「すみません。これも仕事なもので」
腕立て伏せ中に意識が遠のいたレナートがずぶ濡れになりながら顔を上げダンを睨みつけていた間、その横でルドが地面とお友達になっているのを目ざとく発見したサーシャが水をかけ申し訳なさそうに謝罪しているが、躊躇いなど全くなかった。
「レナートはまだわかるとして、何故ルドまで今更基礎訓練を?」
「弟には負けたくないという兄心かと。それにしても、凄い光景ですね……」
「此処では例外なく皆が通った道ですから」
「……騎士団で同じことをすれば体罰とみなされそうですが」
「まだ甘い方です。溺れていないのですから」
「溺れる?」
「連続でアレをくらうと、呼吸が出来ません」
「呼吸が……」
「そんなに心配しなくても、桶も一回り小さい物にしてありますし大丈夫ですよ」
皆優しいなーと呟きながら、唖然としているアルトリード様の肩を叩いた。
「王都の騎士団での訓練と比較してはいけませんよ。この地はいつ戦場になってもおかしくはない所です。雨だろうが雪が降ろうが、泥水の中を進みながら敵と交戦なんて当たり前のこと。だからこそ、精神面と体力面を鍛えるのは重要なことらしいです」
普段から王都という安全な場所で憧憬の眼差しを浴びてきた騎士は、地べたに這いつくばることもなく、吐いて倒れるまで自身を追い込む訓練などしたことがないのだろう。戦場での当たり前に耐えられるわけもなく、騎士団長ですら眉を顰める惨状。
国軍からしてみれば騎士団への評価は下がる一方で、「偉そうに的外れな指示を出すだけの無能集団」というのが皆の認識だ。
けれど、騎士団長が国軍と同様の訓練を受け、尚且つその訓練をこなせている者であれば話は変わってくる。
レナートが騎士団長として戦場に立つ日、国軍と軍事貴族は必ず強い味方になってくれるだろう。
「……レナートが、軍学校へ通う予定はありませんよね?」
「王都の学園に通うのではないかと」
「そうですよね」
先々の事を考えれば軍学校が一番良いと思うのは、私の思考がおかしな方へ突き進んでいるからか……。
そろそろ休憩だろうと水筒を片手に水浸しの二人に近づくと、先に私に気づいたレナートが涙目で「セレス……」と何かを訴えかけてきたが笑顔でそれを無視する。
「タオルと水分補給を。ルドは……顔も拭いたほうが良い」
「あぁ……。今日こそはと思ったんだが」
「もう少し厳しくしても大丈夫そうだな。ダン、桶を通常に戻そう」
「セレス!?」
ギョッとし慌てるルドの顔にタオルを押し付け、強張った表情をしているレナートの前に立ち膝を曲げ視線を合わせた。
「前に言ったことを覚えているか?」
「……うん」
自分の訓練中にレナートの様子を見に行った日。
体力を温存出来るほど基礎訓練は簡単なものではないと教える為に地面に転がりながら休息を取っていたレナートに水をぶっかけた。
何が起きたのか理解出来ず唖然としていたレナートを一瞥し、無駄な休息を挟まないよう指示を出し続けた。
混乱しながらもレナートは言われた通りに動いていたが、当然のことながら途中で体力が尽き、動けなくなったところに真上から水をかける。
それを何度か繰り返していたとき、限界が訪れたレナートが「こんなの、訓練じゃない!」と吠えた。
王族という地位を使い苦言を言わなかった分レナートの評価を上げたが、元帥と大佐が試行錯誤しながら幼い子供用に作った訓練メニューにケチをつけたのは減点だろうと、レナートの顔を鷲掴みにしていた。
「だったら、どんなのが訓練なんだ?」
「……どんなのって」
「私は軍人ではないから、新兵の安全や訓練に責任を持つ軍曹ではない。が、レナートに関しては本人の強い希望を重視し、ルドとアルトリードさんが責任を持ち、私が経過観察することで訓練の参加が認められている。武器の取り扱い、上官への姿勢、誤りを指摘すること……これら全てレナートに叩き込まなければならないことだ」
「……セ、セレスティーア?」
「私が二年前に歯を食いしばってこなしていたことを、自ら行うと言うから様子を見ていたが、どうやら、私も相当甘やかしていたらしい」
「なにをっ……痛っ!」
「此処は子供の遊び場ではない。国を護る為に生死をかけて戦う者達が日々己を磨く場所であり、戦争となれば戦場の最前線だ。お荷物を抱えて楽に過ごせる場所ではない。やる気がないなら、王都へ帰るか、砦の中で大人しく護られていろ」
力を入れていた手を離し、ふらついたレナートに冷笑を向ける。
「ただの貴族の令嬢が九つかそこらでこなしていたことをまともに出来ず、訓練ではないと泣き言を言うような奴が将来騎士団長になどなれるわけがない。国王となるルドを護る?寝言は寝てから言え」
国王となるルドや軍事貴族として後方で支援を行う私より、騎士団長を目指しているレナートの道は険しい。時間なんていくらあっても足りないくらいだ。
何の功績もない、第二王子というだけのお飾りの騎士団長職に就けば、第三王子が成長したときにその地位を奪われてしまうかもしれない。
御爺様が軍人を引退してもランシーン砦に居られるのは数々の功績があるからこそ。
民の英雄、国の要。
目に見えて分かる功績やそれによって齎された恩恵が大きいほど、民は彼でなくては駄目なのだと声高に叫び、貴族は様々な思惑を持ちながら利用しようと擦り寄る。
地盤を固めるには、基礎訓練くらい余裕でこなしてもらわないと。
「アルトリードさん。此処に居る軍人は弱いですか?」
「いいえ。軍曹クラスであれば王都の騎士団にもいますが、大佐となると……互角に戦えるのは各部隊の団長や副団長くらいでしょう」
「ランシーン砦には大佐が十五名、軍曹が四十名ほど。ついでに言えば、ロティシュ家の私兵はほぼ全員が大佐クラスです」
「……それは、凄いですね」
「御爺様が自ら鍛えている者達です。その息子達も、父親や砦の軍人を目にしながら幼少の頃から軍人を志す者達ですから」
国境沿いにある砦は此処だけではないが、友好国ではなく敵国と認定されている二国と睨み合っているランシーン砦には他よりも戦力が必要であり、より優秀な者達が集められている。
「レナートは、平民や貴族の令嬢にも劣る騎士団長になるつもりですか?」
「……嫌だ。僕は、この国で一番の騎士団長となって、兄上を護りたい」
拳を握り締めながら射るような眼差しを向けるレナートに小さく頷き、訓練メニューを目の前に突き付けた。
「私は、自分よりも弱い男に従うなど願い下げだ」
――国軍と軍事貴族を従え戦場を駆けるのであれば。
「力を示せ……」
「覚えていますね」
よしよし……と頭を撫でれば、レナートは私の手から逃れるかのように一歩下がり唇を尖らせた。
「僕はそんなに子供じゃない……。あっという間に追いついて、直ぐにセレスよりも強い男になるんだから。だから、セレスは自分の訓練に戻って!見ちゃ駄目!」
顔を拭いてあげようとタオルを持った手は空を切り、声をかける前にレナートは走って行ってしまった……。
「……見ないでどうやって指導しろと?」
「指導は必要ないのでは?レナート様だけではなく、ルドウィーク様も加わったことで護衛兼指導係として交代で現役軍人が必ず数名側に就くようになりましたから」
「……」
「それに、男なら女性に成長過程は見られたくないものです」
よく分からないがそういうものかと頷き、ダンやサーシャと戯れているレナートを眺めながら少し悲しくなった。
恨めし気にジッと見ていたからか、慰めるかのようにアルトリード様に優しく肩を叩かれ、余計に悲しくなってしまったのは秘密だ。
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