第29話:日曜日、それぞれの思い

   ◒◒◒


「……ねえ、何で居るの?」

 美浜守は、テーブルを挟んで座る3人の女性、美浜麻実、犬山ことり、扶桑魅森の顔を順番に見ながら、半ば呆れた様な声を上げた。

 守の隣に座る中村初江は、腹を抱えて楽しそうに笑っている。


 5人は今、早目の夕食の為、ファストフード店に入っている。

 麻実、ことり、魅森の3人は悪戯がばれた後の子供の様に、身体を縮こまらせ、シュンとした顔をして俯いている。


「はい」

 声を上げ、おずおずと手を上げたのは、守の妹の麻実。

「じゃあ、麻実。……何で?」

 腕を組んで不貞腐れた顔を崩さずに、守は視線で麻実を指しながら訊ねた。

「えっと……」

 麻実は兄の普段とは全く違う其の態度にたじろぎながらも、如何にか口を開いて話を切り出した。

「お、お兄ちゃんは、私ともっと遊ぶべきだと思う!」

「……」

 妹の其の訴えを聞いた守は、難しい顔をして目を閉じた。

 今週末は偶々話の流れで土日の2日共女性と出掛ける事に為ったのだが、守自身、出来る限り然うしたいとは思っている。

 ……然し、今の自分の質問とは、其の話が関係して居るとは思えなかった。

「それは僕だってそうしたいと思っているし、期末テストに向けた勉強や部活が忙しくなる前に一緒に出掛けても良いよ。けど、今の質問とは関係無くないか?」

 守が然う言うと、麻実は失意と共に其の手を下ろした。……内心では、『またお兄ちゃんと一緒にお出掛け出来る』と喜んでは居るのだが。

 残る2人の顔を見比べる、守。

 ことりと魅森の肩は、小刻みに震えて居る。

 其れを見てふうと息を吐いた守は、静かに口を開いた。

「あのさ。別に、僕だって怒っている訳じゃ無いんだよ。ただ、何で昨日の今日で、またデートをこそこそと見られなきゃいけないのかなと思う訳ですよ。ねえ、ことりさん」

 ことりの身体が、びくっと大きく揺れる。

 実際の処、守は不貞腐れて居るだけなのだが、其の所為で淡々として仕舞って居る口調が、ことりの心中を騒めかせた。

 過去に何度も触れた事の有る此の口調を、ことりは怒りに由来する物だと思い込んで居たからだ。

 尤も其れは、主に彼の母親に向けられた物で、其れがことり自身に向けられるのは、此れが初めての事ではあるのだが。

「えっとね、まあくん……」

 上手く話せないことりの様子を見て、隣で同じ様に震えて居た魅森が先に喋り出した。

「ことちゃんはね、私が誘ったの」

「へえ、そうなんだ」

 口では然う言いながらも、守には元より何となく其の様に思われて居た。

 東山でのデートをことりと麻実が見て居た事を昨夜のメッセージの遣り取りの中で伝えて居たので、魅森も自分も同じ様に、麻実やことりと一緒に楽しみたく為ったのでは無いかと。

 又、報道部員としてのサガも有るのかも知れないと。

「魅森、どうしてこんな事したの?」

 此処で初めて口を開いた初江は、小さな子を窘める時の様な声色で、含み笑いをしながら訊ねた。

「う、うん、ごめんね、はっちゃん。昨日の私とまあくんのデートを、ことちゃんと麻実ちゃんが見に来ていたって聞いたら、楽しそうだって思って私もやってみたくなっちゃって。麻実ちゃんにも会いたかったし。……それに……」

「それに?」

「はっちゃんがどんな気持ちでまあくんとデートをするのか、気になって……」

 初江の表情に饒舌になった魅森は、然し、最後には言葉を濁した。

 そんな魅森の頭に初江が手を当てて優しく撫で始め、魅森の表情は優しく緩む。

「全く。そう云うとこ、魅森は昔から変わらないね。私がまあくんを取っちゃうかと思ったの?」

「それと、…………まあくんがはっちゃんを取っちゃうのかと…………」

 ことりにも、其れに麻実にも、魅森の其の気持ちは痛い程分かり、思わず息を呑む。

 何方どちらも好きではあるけれど、何方にも譲りたくは無い其の気持ち。

「アハハ、ごめんね、心配させて。それなら大丈夫だよ」

「えっ?」

 初江の言葉に、ミモリは俯けていた顔を上げた。

「今日の一番の目的は、守君が私の彼氏って云う役をどれだけ演じられるかを見る為だからね。彼の、役になり切る力を」

「え?」

 其の言葉に声を上げたのは、今度は守だった。

 慌てて顔を寄せ、耳打ちする。

(先輩? さっきの『もっと知りたい』って、そう云う事だったんですか?)

(まあまあ、ここはこれでお茶を濁しておこうよ。折角皆で居るんだしさ)

(……はあ、分かりましたよ)


「で、どう云う事なの!!」


 其の光景に業を煮やした魅森が大きな声を出したが、店内の視線が一斉に集まると、魅森は又其の小さな身体を竦めた。

「うん。今年の演劇大会でね、守君を主役にどうかと思ってね」

「守を?!」

 初江の告白に、驚愕の声を上げたことり。

「そう、守君を」

 そんなことりの表情を、楽しそうに見詰める初江。

 此処で再び困惑したのは、名前が挙がって居る当の守だ。

「え? でも先輩、僕は台本の中の役をやるのが苦手で……」

「そうだね。じゃあ、君のやった事を台本にしたら?」

 其の初江の言葉を聞いた事で、守の中で合点が行った。

「それで、エチュードですか」

「うん。大枠だけは決めて、自由にやって貰った物を台本に落とし込めば、面白い物が出来ると思わない?」

 然う言った初江は、楽しそうにカラカラと笑った。

 守は其れを頭の中で思い浮かべ、確かに面白そうだと感心した。

 元々の台本に掛かれて居る台詞等を感情豊かに演じるのは苦手でも、一度自分が感じる儘に演じた物を書いた物なら、然程難しくは無いだろうとも。

「お兄ちゃん、主役?!」

「そ、お兄ちゃん、主役!」

 話について行けて居ないながらも目を輝かせている麻実に、初江は優しい笑顔で返した。

「ええっ?! お兄ちゃん、凄い!」

「ね、お兄ちゃん、凄いね! 私の彼氏を演じるテストも無事に合格してくれたし。部員の皆も、守君のエチュード力は知っているからさ、きっと納得してくれるよ」

「……だと、良いんですけどね」

 麻実の尊敬の眼差しと初江の軽やかな期待の視線を受け、守は苦笑いをした。

 部活の先輩達が納得してくれるのか如何かの判断は部長の初江に任せるとしても、親友の清須信行は間違いなく揶揄って来るだろうな、と。

「ねえ、守君。麻実ちゃんって、凄く可愛いね。私の妹にくれないかな」

 そんな守に初江は顔を寄せ、囁いた。

「ちょっと、先輩! 麻実ちゃんは私の妹です!」

「幾らはっちゃんでも、それは譲れないよ!」

 其れを耳聡く聞き逃さなかったことりと魅森が口々に言うと、渦中の麻実は、嬉しそうに頬を赤らめて笑った。


「……いや、麻実は僕の妹だからね?」

 守のそんな呟きなど、最早此の場の誰1人として聞いては居なかった。


   ◒◒◒


 栄駅から乗った方が早いと言う初江と魅森の2人と別れ、守はことりと麻実と一緒に、矢場町駅から地下鉄に乗った。

 立った儘一駅先の上前津で降りて鶴舞線に乗り換え、3人は空いて居る車内で並んで座った。

「凄いね、守。1年生なのに、主役だって」

 ことりは自分に凭れて直ぐに寝て仕舞った麻実の頭を撫で、其の寝顔を見ながら隣に座る守に声を掛けた。

「うん、僕もさっき初めて聞いて、いきなりでまだちょっと信じられないんだけどね」

「中村先輩が、守の能力を評価してくれたんだよ。自信を持たなきゃ」

 然う言って守の方を見たことりは、自分の方を見て居た守と目が合った。

「何?」

「いや、だとしたら、ことりのお陰だなって思ってさ」

 守のその言葉に、ことりは豆鉄砲を喰らった鳩の様な顔をした。

「私の? ……私、何もしていないよ?」

 ことりが言うと、守は恥ずかしそうに頬を掻いて、其の答えを紡ぎ出す為に口を開いた。

「ほら、……生まれてからずっと、小5の頃迄は一緒に居たじゃない」

「うん、そうだったね」

「それでさ、僕が何をやっても、ことりが『まあくん凄い!』って言ってくれるからさ」

「だって、凄かったんだもん」

「……凄くないよ。ことりの期待を裏切らない様に、先回りして頑張っていただけなんだよ」

「そうだったの?」

「……幻滅した?」

「ううん。寧ろ、嬉しいよ」

「……良かった。……それでさ、常にことりのヒーローであろうと頑張っていたからこそ、身に付いた力だと思うんだ。だからさ、全部、ことりのお陰」

 話し終えた守は、自身の言葉の照れ臭さに耐え切れず、顔を背けた。

 ことりもそんな守の方は見る事が出来ず、麻実の幸せそうな寝顔を見詰めながら、其れに応える為に再び口を開いた。

「……そう言って貰えると、当時の私も、報われたかな。ありがとう、守……」

 一度其処で言葉を区切ったことりだったが、守の方を見て、再び、躊躇い勝ちに。

「……ね、ねえ、まあくん。……まあくんは……」

「……ううん、……お兄ちゃんは、私のヒーロー……」

 …………言い掛けたことりの言葉を麻実の寝言が遮り、その言葉はお互いの苦笑に掻き消された。

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