第26話:東山から帰って


 閉園の夕方5時まで東山動植物園を満喫して、地下鉄の乗換駅でミモと別れて家に帰り着くと、玄関に、脱ぎ散らかされた麻実の靴の他に、家族の物では無い女性用のローファーが有った。

「ただいまー。麻実? 誰か来ているの?」

 靴を脱いで、……麻実の分も揃えてから呼び掛けると、リビングの扉の所から麻実がヒョコッと元気良く顔を出した。

「お兄ちゃんお帰りなさい! 今ね、ことりちゃんとゲームしてたの!」


 帰って来て声を掛けると、麻実が顔を出してくれる。

 この処お決まりになっている流れだけど、これだけでも前を向き始めた甲斐は有ると云うモノ。

 マミ、お兄ちゃん、頑張るよ。


 ……っと、ことり?


「あ、お帰りなさい、守。お邪魔しているよ」

 慌ててリビングに行くと、ソファーに座ってコントローラーを握り締めたままのことりが顔だけをこちらに向けて僕を迎えた。

「今日はずっと、麻実と遊んでくれていたの?」

「「ずっと一緒だったもんねー!!」」

 荷物を下ろしながら訊くと、ことりと麻実は2人で視線を合わせて笑い合った。

 その光景に、ふっと頬が緩む。

 何だか最近、周りの事が上手く回ってくれている気がして、嬉しい。

 ……僕の事は、僕だけの問題じゃないんだな。

「そうなんだ。麻実の相手をしてくれてありがとう」

「良いのよ。私も、麻実ちゃんと遊びたかったし」

「私も、ことりちゃんと遊びたかったんだよ?!」

 麻実はそう言って、さっきまで座っていたであろう、ことりの横に勢い良く腰を落とした。

 勢いが良過ぎて、ことりにぶつかって、……じゃあ無いか、ことりにくっ付いたんだな。

 本当に、昔みたいに本当の姉妹に見紛う程の関係に戻ってくれて、何よりだよ。

 何だか不思議な空気を感じながらも、一度キッチンに行って冷蔵庫から烏龍茶を水出ししているポットを取り出してグラスに注いで、それに口を付けながらリビングのテーブルの脇に腰を下ろした。

「で、今日はずっとゲームをやっていたの?」

 テレビの画面を見るとこの前皆でやった鉄道ゲームが映っていて、途中だったのか、サイコロが回り続けている。

 さっきから何かコロコロコロコロ五月蠅いと思ったら、この音だったのか。

「ううん、違うよ! ちょっと前迄は、お出掛けしていたの!」

 僕の質問には、麻実が嬉しそうに答えた。へえ。

 ……ところで“まみ社長”、サイコロの音が五月蠅いので振るかキャンセルするかして下さい。

「2人で出掛けていたんだ。麻実、良かったね。どこに行っていたの?」

「え?! ……ええっとね、どこって言うか……、……あ、私の番だったね。えいっ!」

 何でか急に慌てた声を出してこの質問には言葉を濁した麻実は、何でかこのタイミングでサイコロを振った。

 ……取り敢えず、妙に耳に残るあのコロコロ音が消えたから、良しとしようか。

 まみ社長が、電車を進ませる。……ところが、目的地までは真っ直ぐ上に進んで行けば良い筈なのに、最後の1マスは何故か右に曲がって、赤マスに突っ込んだ。

「あ、ヤダヤダ、間違えちゃった! 12月なのに!」

 身体を震わせながら、騒ぐ麻実。まあやってしまったモノはもうどうしようも無いし、冬だけに大量赤字を覚悟しないとな。

 ……と思っていたら、独特のファンファーレと共に画面の上から福の神が降臨して、目的地に急ぐのがバカみたいに思える程の膨大な額を、麻実社長にプレゼントして行った。

 何でだよ。

「もう、さっきから全然麻実ちゃんに勝てる気がしない……。私、大抵の事は頑張って人よりも出来る様になって来た心算なのに……」

 それを見て、結構本気で落ち込むことり。

 マミ、その内にこのゲームを一緒に遊んで貰えなくなるから、少しは負けて差し上げなさい。

 ……と思ってはみたものの、抑々本人も何で勝てているのかは分かっていないだろうから、それは無理な相談か。

「ああ、そう言えばさ、今日はお土産を買って来たよ」

 そう言ってバッグを漁り出すと、「お土産?!」と声を上げた麻実は、目を輝かせながら身を乗り出して来た。

「はい、麻実には、イケメンゴリラ、シャバーニのTシャツ」

「わ、本当、シャバーニだ! お兄ちゃん、ありがとう! 飾っておくね!」

 渡した物を確認した麻実は、それを胸元に抱き締めながら喜んだ。……いや、着て下さい。

「それで、ことりには……」

「わ、私?!」

 再びバッグの中に手を入れながら言うと、ことりは自分を指しながら驚きの声を上げた。

「えっ? 若しかして、貰って貰えない感じ?」

「や、違うの。まさか、私に買って来てくれるとは思っていなかったから……」

 慌てていることりの手に、「はい、これ」と、バッグから取り出した物を乗せる。

「守、これ……」

 それを見詰めたまま、ことりはポツリと呟いた。

 それは、小さな象のぬいぐるみ。

「お土産屋さんで見付けてさ。ことりはぬいぐるみが好きだったし、子供の頃に一緒に動物園に行くと、いつも真っ先に走って観に行く程に象を気に入っていたなって思い出してさ。…………って、ごめん! よく考えたらもう高1だし、こんなの貰っても嬉しくは無いよね!」

 ……言っている内に恥ずかしくなって来て、今度は僕が慌てる番。

 高校生に、ぬいぐるみなんて。

 今更、昔の事なんて。


 でも、ことりの反応は思ったものとは違っていた。


「ううん、嬉しいよ。ありがとう、まあくん」

 ことりはそのぬいぐるみをギュッと抱き締めて、僕を上目遣いに見ながら、しみじみと言った。

「そ、そうだ。今日は年パス買って来たし、今度一緒に行こうね、麻実」

 火照りを誤魔化す為にと、現地で考えていた話を麻実に振る。

「やった! 今度こそ一緒に回ろうね! 今度こそ、4人で!」

 思っていた以上に麻実が喜んでくれたし、思いを巡らせた甲斐が有ったな。


 ……と、……ん?

『今度こそ一緒に』?

『今度こそ、4人で』?


「ん?」

 小首を傾げながら麻実の顔を見たら、麻実は分かり易く慌てて視線を逸らした。

 吹けもしない口笛を、フーフーと吹きながら。

 視線をことりに移すと、既にことりは明後日の方向を見ている。

 ことりの口笛は、凄く綺麗に童謡の“ぞうさん”を奏でている。

「……ん?」

 2人を見ていて、その装いに、猛烈な既視感を覚えた。

 そうは言っても私服はよく見ているから不思議では無いけど、何て言うか、もっと近い記憶……。

 ……あれ?

「ねえ、2人共、立ってみてくれる?」

「な、何で?!」

 隠す気もなさそうな動揺を見せながら、麻実は大声を上げた。

「いや、何と無く2人の格好が、動物園に居た姉妹だか母娘だかに似ている気がして。……立って、後ろ向いてみて?」

 2人の様子から半ばもう確信に至っている僕の有無を言わさぬ口調に、ことりと麻実は一度目を合わせて、諦めた様な表情を浮かべた後に立ち上がって僕に背中を見せた。

「……やっぱり」

 東山では遠目ではあったけど、2人の身長差と、コーディネート。

 そして、仲良し姉妹。

「……若しかしてだけど。2人共、動物園に、僕とミモのデートを観に来ていた?」

「……着替えておけば良かったね、ことりちゃん……」

「そうだね、麻実ちゃん。……でもまさか、今の守が気付くなんて……」

 またこっちに向き直った2人は昼と同じ様にくっ付きながら、ボソボソと言葉を交わした。

「はあ。……まあ良いけどさ、それなら言ってくれれば良かったのに」

「でも、2人のデートだし、邪魔しちゃ悪いなって」

 ……成る程、それであの返事だったのか。でも……。

「お昼前にことりにメッセージを送ったの、ミモが4人で来ても良かったかなって云う事を言ったからなんだけど……」

「……あ、そうだったの?」

「ことりが『東山デート、楽しんでね』って一発で返して来ていなかったら、2人を誘ってみる心算だったんだけど……」

「「……うぅう……」」

 あの時していたミモとの話を伝えると、2人は力なくソファーに腰を落とした。


 それしてもまさかあの時、あんなに近くに居たなんて……。

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