第38話 対話
地図がなければ道に迷うこと必須の複雑な、関所やら交通許可証明書の取得などで何日もかかる地下道のかわりに地上を行けば、サガミからトウキョウまでバイクで二時間とかからない。
ハヤクモが手取り早く地上ルートで行くと提案した時は、流石にヨシツグは顔をこわばらせたが、何も言わずにうなずいた。
機蟲形態の俺が先導し、ヒカルが運転するバイクにヨシツグが槍を携え乗り込み、しんがりをハヤクモが勤め、舗装されていない大地をバイクが疾走する。
しかしまさか藩主自ら、しかもたった一人で得体の知れない蟲人の巣窟に乗り込もうとはどんなクソ度胸だよと心から思う。だがそこにあるのは信頼ではない。互いの思惑を把握し、殺すよりは生かしておいた方がいいという計算の上でだ。マチダのいつ爆発するか分からない危機的な状況や共通の知り合いであるヒカルの存在がなければなし得なかったもの。俺とは一切目を合わさず、存在を丸ごと無視したヨシツグの態度に何も思わないと言えば嘘になるが、己の目的のためにも、この危うい均衡が崩れないよう祈るしかない。ヒカルが楽しげに「地上をバイクで走れるなんて夢みたいだ! 太陽ってめっちゃ明るいなぁ!」とはしゃいで運転する姿に安らぎを得ながらたどり着いたトウキョウにて。
「うわー生六本槍だ! 噂には聞いていたけれどやっぱり本物は違うな! 触りたい!!」
一行を我先に出迎えたのは、ハイテンションのミズキだった。
「ミズキィッ! 流石にちょっと空気読んで落ち着いて!」
真っ直ぐ駆け寄ろうとするミズキの前に立ち塞がると、ミズキは不満げな顔をした。
「目の前に斬鉄剣のモデルとなった六本槍があるんだ。さらなる品質向上につながるまたとない機会だよ。なのにどうして引き止めるんだい?」
「ミズキが興奮する理由は少し分かるよ。でも相手は一応、サガミ藩の藩主でこっちのことを完全に信頼した訳ではないんだ。そんな中、家宝の六本槍を下手に触って怒られたら、このあるかないかの繋がりがすべてご破算になる」
「それがどうしたんだい?」
だめだ話が通じない。ミズキの目には六本槍しか映っていなかった。彼がどうして今までこの調子で生きていけたのか不思議でならない。ともかくミズキがまずい行動をする前に退散させねばならないとハヤクモに目配せをしようとして、ヨシツグの驚く顔が視界に入った。
「もしかしてミズキ博士ですか?」
ヨシツグの反応は予想外のものだった。
「そうだけれど、どこかでお会いしたことありましたっけ?」
「蟲人研究の第一人者であるあなたの噂はかねがね聞いていました。蟲人に関する論文もいくつか拝読したことがあります」
「あー理不尽にリジェクトされたから自主出版してあちこちに放流したやつか。読んでくれた人がいたのは嬉しいな」
「どうしてこのような場所に? 行方知れずと聞いていましたが」
「研究者はお金と施設がある場所に住むんだ。生まれる場所は選べないけれど、生きる場所は選べる。契約次第でどこにでも行くけれど、僕の研究内容を見た後に、もし気にっていただければご検討してくださいませんか? サガミ藩主殿」
「ミズキ。契約期間はあと二年きっちり残っているからな」
後ろからきたハヤクモが釘を刺すと、わざとらしくミズキは耳を塞いだ。
「あーあー聞こえなーい」
まるで駄々をこねた子供のような行動に、ヨシツグは呆気にとられていた。
「あの人、いつもあんな感じなの? もしかして何か考えがあってあんな風に装っているとか」
彼らのやりとりを見ていたヒカルが、そっとやってきて耳打ちしてきた。
「いや、平常運転だよ。ある意味、誰に対しても分け隔てない性格だよね」
「生まれて初めて見るタイプだ」
ミズキのような人間がそうそういてはたまらないと心の底から思った。
「それじゃあ現在の状況の情報整理といこうか。現在マチダの第二層はスズメバチ型蟲人たちによって占拠されていて、この数ヶ月間、住民もろとも閉じ込められている。映像を見る限り、彼らの巣は拡大中でこの中に幼虫たちを生み続けている女王バチがいる可能性は非常に高い。彼女を倒さない限り兵隊バチは増え続け、このままでは第二層から日の本中へスズメバチ型蟲人が拡散する恐れがある」
ミズキが研究所の一室でホワイトボードの前を陣取りサラサラと要点を板書し始めた。
部屋の中央に置かれた長テーブルにはヒカル、ハヤクモ、ヨノ、ヨシツグが座る。何ともチクハグな組み合わせだった。サガミへ出発する前の俺に、このメンツが同じテーブルに座ることになるぞと言えば、一体どんな冗談なのかと言うだろうし、今でも信じられない思いだった。
ハヤクモは一通りトウキョウを案内したのち、外部の人間を怖がる者たちを下手に刺激しないためにと、ヨシツグに研究所での滞在をすすめた。
ヨシツグは道中何も言わず、無言のままハヤクモに従った。そして研究所につくなりようやく口を開いたと思えば、ミズキに今後の進退の助言を求め、今に至る。
「そもそもあのスズメバチが機蟲ではなく蟲人だとどうして断言できるんだ?」
ヨノのもっともな疑問にミズキは待ってましたと指をさした。
「ヨコハマで回収されたスズメバチの遺体から特殊な方法で検出されたDNAが、人間由来だったのさ。しかもアラタくんのものと100%一致した」
俺はその情報を今の今まで聞いていなかったが、とハヤクモがボソッと言ったのをミズキは聞こえないふりをした。
「つまり、お前はアラタ・クローンだったのか……?」
ヨノは驚愕して俺を見た。
「は……? クロ……なんて?」
「マチダで人体実験の末に生まれた人工の蟲人であるアラタ・オリジンが、自分を生み出した者たちへの復讐のために、無数の複製体を作りだして反乱を起こした。そのクローンの一人がお前なんだな」
「いやいやいや全然違うし、どこのパニック映画だよ」
「アラタ、何も言うな。お前が複製された存在だろうとお前はお前だ」
「勝手によく分からない考察設定をつけ加えられて慰められても困るんだけれど!!」
「お前たち、事態は一刻を争うほど深刻なんだ。もう少し真面目にやらないか」
ハヤクモに言われてしゅんとなる。おかしい。色々と納得がいかない。
「えーと、話を戻そうか。すべての始まりは一人の女王バチの性質をもったスズメバチ型蟲人だ。彼女はアラタくんの母親でもあり、サガミ藩主の亡くなったとされている前妻であることに間違いないかい?」
ヨシツグは黙ってうなずいた。
「なるほどなるほど。色々と繋がってきたな。ここからは憶測の域からでないけれど、サガミ前藩主は蟲人になった彼女を死んだことにして幽閉し、人間に戻そうとしていたんじゃないかな。そういった事例はよくあることだよ。そして今までに行われた試みと同じように成果はでなかった。そんなある日、彼女は卵を産み始めた。卵は次々と生まれ、しかも数日すれば孵化して幼虫が誕生してくる。けれど取り上げようとすれば彼女は子供を奪われまいと抵抗をした。だからやむをえず、彼女に一定数の幼虫を育てさせ、サナギになればバレないように取り上げて殺した。けれど無限に生まれてくる幼虫たちの餌代、彼女を人に戻すための研究費に困るようになった結果、幼虫たちのだす甘露を原料にしたヴァムダの製造が始まったんじゃないかな?」
ヨシツグは瞑目して、しばしの間を置いて言った。
「そのとおりです」
「やっぱりな。ヴァムダは初めはただの副産物だったが、やがてサガミ藩を支えるまでに急成長した。ただ製造方法があれだから一部の人間にのみしか知られていないかった。もしサガミで完結していたら、今回のような事態が起きてはいなかっただろう」
「でも実際はそうじゃない。マチダが関わってきた」
ヒカルが言うと、ミズキは頷いた。
「ああ。女王バチの存在を知ったマチダは彼女を奪った。何しろうまくコントロールできれば無限に兵隊を産んでくれる存在だ。いずれ殺蟲剤への耐性が機蟲に出てくる未来がくると思えば、研究しない手はない。事実、あのウマノオバチ型機蟲を積極的に狩る成虫個体は彼らを敵だと認識させるよういじった形跡が見られている。オウメのあの惨状は、その実験が失敗した痕だろう。そうしてマチダの第二層の一角でスズメバチ型蟲人の研究が進められていたが、何らかの事故により、女王バチが脱走し、己の子供たちがどういう目に遭っているか知ってしまったのだろう。そして反乱を起こし、成虫たちを使いマチダ襲撃を引き起こした」
「でもヨコハマへの襲撃はどう説明する? 関係ないように見えるけれど」
俺の問いにミズキは肩をすくめた。
「それが分からないんだよね。謎だよ」
「おそらくは俺への牽制だったのだろう。邪魔すればサガミもこうなると脅しを含めたものだ」
ヨシツグが静かに答えた。表情を消した顔からは何を考えているのか分からない。
「なるほど。確かにそれなら納得できる」
「でもあの量の成虫たちはどこから来たのさ? マチダのゲートは閉じられてるんでしょう?」
「その気になれば、スズメバチ型蟲人たちはあの強力な顎を使って第二層の防壁を突破できるだろう。近くに餌があるからわざわざでる必要がないだけさ」
「まるで生贄だな」
ハヤクモは静かに言った。彼の頭に思い浮かぶのは、いまだに意識不明の親爺さんのことだろう。
「さてさて、じゃあ今現在のマチダ戦線の状況を教えてもらいたいんだけれどいいかな?」
ミズキが持っていたペンをヨシツグに差し出すと、彼は受け取りそのまま机の上に置いた。
「ヨコハマの軍勢は周辺藩をほぼすべて攻め落とし、マチダを重厚に包囲しているが、それ以上踏み入れようとすれば、すぐさま無数のスズメバチ型蟲人の襲撃にあい、長期戦を強いられている。第二層以外の住民たちも脱出しようにもできない状態だ」
「にっちもさっちもいかない膠着状態というわけか」
「何しろ数が多すぎる。しかもあの蟲人たちは防壁を引き裂いて突破できる力を持つため、坑道内のどこに潜んでいるのか、どこからやってくるか分からない始末。正直、お手上げだ。何か突破できる方法はないだろうか?」
「スズメバチって仲間かどうかをフェロモンを嗅いで確認するって本に書いてあったけれど、そういう香水があれば攻撃されないんじゃない? ミズキ先生はそういうの作れない?」
ヒカルが提案すると、ミズキはわざとらしく肩をすくめた。
「そう簡単にポンポン言わないでくれよ。まぁこんなこともあろうかと、この代物を作っていたわけだが」
ミズキは茶褐色の小瓶を机の上に置いた。
「名付けてアラタフェロモンだ」
「待って? なんて? 俺、何も知らないし、いつの間になに作ってんの? 怖いんだけれど。とりあえずこれ何?」
「以前、君がスズメバチと対面しても攻撃されずに見逃されたという話を聞いた時に、君の体臭には彼らに仲間と思わせるフェロモンがあるのではと思ってね。だから君からもらった汗と匂いのついた毛布や服をもとに君の体臭を再現してみたんだよ。それがこれだ」
サガミに行くために身分証明証をミズキに頼んで作ってもらった時に渡した服のことか。まさかこういう代物を作るためとは思わなかった。
「先日、これをふりかけた蟲人にスズメバチ型機蟲のいるところへ突っ込ませてみたら、やはり攻撃はされず効果はあった。まさにそこの赤髪少年の言うとおりだよ。でも効果がどれくらいもつのか完全には検証できていないし、よくても半日ぐらいじゃないかな。もう少し改良するためにも、アラタ君の服をもっと欲しいんだ。できれば一週間ぐらい着続けて洗濯していない下着がいい」
「後ろ向きに検討しておくよ」
ヒカルとヨシツグがミズキをドン引きした目で見ていた。ミズキ耐性のついていない人間の正しい反応だった。
「ミズキ、一週間以内にそれを何人分用意できる?」
ハヤクモが言うと、ミズキはうーんと首を傾けた。
「そう簡単に精製できるもんじゃないし、この間試しに使ってしまったばっかりだからね。せいぜい三人分かな」
「なら私、ヨノ、それと……」
「俺だ」
ヨシツグが手を挙げるとハヤクモは眉をあげた。
「藩主さま自ら特攻ですか?」
「もとよりこれは父の始めたものだ。戦いを終わらせる義務が俺にはある。それにお前の言う蟲人の有用性とやらを間近で見たい」
「度胸のある人間は好きだぞ。足を引っ張るなよ、にいちゃん」
ヨノの面白がる声に、ヨシツグは冷ややかな視線を向けた。
「そっくりそのままお返しするぞ、蟲人。重大なヘマをすれば機蟲として処分する」
「機蟲と蟲人の区別ができる上の立場の人間がこの世の中にいるってだけで俺は嬉しいよ。十年前じゃあ考えられなかったことだ」
「別に仲良しごっこをする気はない。使えるか使えないか、それだけだ。話が終わりならサガミに帰らせてもらう。何か連絡があればヒカルを通して欲しい」
「俺、解雇されたんじゃなかったっけ。まぁ再雇用なら延長料金よろしくね」
ヨシツグは何も言わずに立ち上がると、つかつかと歩き部屋をでた。
ハヤクモが後に続こうとするのをヒカルが止め、顎でしゃくる。彼の配慮をありがたく受け取り、小走りでヨシツグの背を追いかけた。
「待ってよ」
「何か用か?」
あと数歩という距離でヨシツグ声をかけると、彼は足を止め振り向かずに応えた。
「あんたが俺のことをどう思っているか分からないけれど、これだけは言わせて欲しい。あの時、俺を生かしてくれてありがとう」
背を向けられたあの日を思い出すたびに、心には悲しみや嘆き、怒りが浮かぶ。いつまでも癒えない傷を忘れることは無理だった。けれどいざ、兄を前に心の中からせりあがってきたのは、自分でも思いもよらない言葉だった。
「そりゃあ追放されてショックだったし、死にかけたし、生きていくのがめんどくさくなった時もあったけれどさ。ヒカルに出会っていろんな経験を経て今、ここにいる。今日まで生きてこれて本当によかった。それだけだ」
ヨシツグの背中は沈黙したままだった。別に何か期待をしていたわけじゃない。ずっと澱のように残っていたわだかまりを呑み込むため、言いたいことをぶつけ、過去と決別して俺が前に進むために必要だったのだ。
くるりと踵を返し、歩き出そうとした時だった。
「俺があの時お前を殺そうとしたのは紛れもない事実だ」
ヨシツグが振り返り、真っ直ぐ俺を見ていた。その目を見つめ返す。
「でも、殺せなかった。今思えば寺へ俺を預けるために手を回してくれたんじゃないの? それに寺が大火で燃えたのはあんたのせいじゃないし」
ヨシツグは何も言わずに黙っていた。長い沈黙を破ってヨシツグは口を開いた。
「マチダにお前も行くのか?」
「行く。女王バチに会うために」
「死ぬなよ」
一言言うと、彼はくるりと背を向け歩き去っていった。
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