ニャルさまは干物女子にお熱中〜一般探索者Aだったはずなのに邪神に気に入られて歪んだ愛情を向けられる干物女子の非日常〜

巴 雪夜

邪神とかよりもあんたの歪んだ愛が重すぎてそっち方が怖い

一.邪神から愛されてしまった哀れな干物女子

第1話 こうして平穏な日常はなくなった①



 それは夜の世界だった。ぼんやりと照らす月に宝石を散りばめたように煌めく星々が空を彩っていて、景色に興味のない人間でも「綺麗だ」と感嘆の声を溢すほど美しかった。


 そんな空が包む深い森の中で月城桂華つきしろけいかは立ち尽くしていた。自身は仕事から帰って眠ったはずではなかっただろうかと。


 何でもない日常だった。いつものように仕事を終えて、電車に揺られ、慣れた道を歩いてマンションまで帰った。お風呂に入り、お弁当を食べてそのまま寝る、そんな何もない一日だったはずだ。


 夢にしては現実的な状況に恐怖を覚えながら桂華は森を進んでいた。時折、おかしな化け物に追いかけ回されもしたし、変な問いかけを解くこともした。


 脱出ゲームをやっているかのようだった。ごりごりと精神を削られてく感覚がするものの、森を抜けるために頑張っていた。


 どうして自身はこんなことをやっているのだろうか。こんなものに何の意味があるのか、桂華には分からなかった。それでも大人しく従ったのはそうしないといけないように感じたからだ。


 夢ならいつか覚めると思うのだが、何故だかちゃんと前へ進まないと抜け出せない、そんな気がしたのだ。


 寒気がする、恐怖を感じる、不安が胸を締め付ける。それらが桂華を縛り、早く此処から出たいと身体を動かした。耳を澄まして気配を感じ取り、目を凝らして何かの影を見つけたならば逃げた。


 ただ、ひたすらに歩いて神経を使い、精神をじんわりと減らしながら出口を探した。夢ならば早く醒めてほしかった。誰もいない、化け物が徘徊する森になどいたくはなかった。


 どれぐらい歩いたのかなんてもう知らない、化け物から逃げ続けて疲れてきっていた。もう駄目なのだろうか、諦めかけた時に前を見遣ると森の出口らしい光が視界に映る。


 やっと出れると安堵したのも束の間だった。


 ばりばりと世界が崩れ、景色は散っていった。何が起こっているのかわからず、桂華は立ち尽す。


 空は相変わらず綺麗なままで、けれど森が無くなって、いや、鏡に映った景色にひびが入ったような状態だ。ぼんやりとそれを眺めていると声がした。



「うーん、残念だけど時間切れだ」



 低い男の声だった。振り返ってみると端正な顔立ちの男が立っていた。長身で襟足が長い黒髪に浅褐色の肌、きっちりと仕立てられた黒いスーツ姿の男は笑みをみせる。


 年齢は若くて見た感じでは二十代ぐらいだ。冷めた青い瞳がよく映えるその容貌に普通の人間ならば見惚れてしまうのだろう。けれど、化け物から逃げ回り、謎解きをして、ひたすらに歩いたそんな桂華に興味を持つほどの気力は残っていなかった。



「時間切れ?」



 それでも桂華は言葉の意味を理解しようと問いかける。男は「そう、時間切れ」と返した。



「制限時間を超えてしまったんだよ、キミは」



 男は「あと少しで出られたのにね」と可笑しそうに口角を上げている。間に合わなかったのだと言われて、なんとなくだがそんな気がしていた。


 時間切れと聞いて薄々は感じていたけれど、怖さよりも先にすんなりと受け入れられていた。


 桂華は「そうですか」と返す。こんな森にいたくはないけれど、出れないと宣言されてしまったのだから無駄な足掻きはしたくない。そんな桂華の様子に男は少し驚いたふうにしていたが、「まぁこれも遊びだから」と笑った。



「哀れだったと思ってくれ」

「どうなるんですか、私」

「そうだね、気が狂うと思うよ」



 永遠に出れない世界に閉じ込められて化け物から逃げ続けて喰われて命を落とすのだ。「何とも残酷なことだね」と男は笑っていた。それに苛立ちを覚えたものの、何をしても敵わない気がしたので抵抗はやめおく。


 何もしない桂華に男はふむと少し考えてから言った。



「お嬢さんと別れるのは名残惜しいが……終わろうか」



 そう言うと男の身体が砕けた。


 それは化け物だった。暗闇を具現化したように醜悪で顔の無い化け物がそこに立っていた。見下ろすようにそれは桂華を見つめている、ような気がした。鋭い二つの鉤爪を持った悪魔的な姿に目を逸らすことができない。


 恐怖が世界を支配する、この世の終わりのように。「あぁ、人間は狂う、狂って絶望して嘆いて、死ぬ。その姿はなんて可笑しいのだろう」と化け物は笑っていた。



「うっわ、顔ないじゃん」



 桂華の一言に化け物は「はぁ?」と声を上げる。桂華は狂っていなかった。化け物を見て驚きはしているものの、平気そうに立っているではないか。


 彼女は精神値の賽投げに勝利していた。普通の人間ならば発狂している、この化け物を見てしまっては。けれど、桂華はそれを乗り越えてしまったのだ。


 化け物はその幸運と強さ、無知さに笑ってしまった。「あぁ、なんて面白い人間なのだろうか」と可笑そうに。



「見た目ちょっとグロテスク……元に戻ってくれません?」

「キミ、ほんと面白いね」



 桂華の反応にますます化け物は笑う。化け物を気持ち悪いと思ってしまうのは普通ではないだろうかと桂華は思っていたら、考えを読んでか「発狂しない方がおかしいという発想がないのか」と化け物は突っ込んだ。



「え、でも化け物だし」

「キミ、強いね。普通、そんなふうに話せないと思うのだけれど」

「だって、逃げられないなら素直に色々、ぶちまけてから死にたいじゃないですか」



 どうせ殺されるならば思ったことを喋ったっていいと桂華は言った。殺されるという認識はあるらしいけれど、その無知さと強さに化け物は笑った。



「いや、キミ面白い。いいよ、特別に元の世界に帰してあげる」

「え、いいの?」

「いいよ。キミはもう怪異に飲み込まれやすい体質になってるし」



 怪異に巻き込まれやすい状態になっていると聞いて桂華は嫌そうな表情を見せる。「そんな顔をされても仕方ない」と化け物は言うけれど、そんな体質にしたのはお前のせいではないかと桂華は思った。


 それでも帰してくれると言うのだから大人しくしておこうと、黙る桂華に化け物は「キミと一緒にいると面白そうだね」と呟いた。



「え、一緒?」



 何のことだと言いたげに首を傾げる桂華に、化け物はくすくすと笑いながら頷いた。



「そう、一緒。まぁ気にしなくていいよ。じゃあね」



 そう化け物が言うと桂華の意識は途切れた。


          *

 

 化け物は見つけた。なんて幸運な人間なのだろうか。それでいて強く、それでいて無知だ。あぁ、キミが恐怖し、困惑し、狂っていく様というのどうなのかな。化け物は想像するだけで楽しかった。


 ボクが愛してあげよう、ボクに堕落させてしまおう。最後の時に見せるのは死への絶望か、恐怖か、悲しみか。あぁ、眺めていたい。化け物は見つけてしまった、お気に入りを。

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