第51話 魔導師と教皇と(揃ったやつら)


「閣下」


 魔導師の塔で研究に更けっていたガスモンをそう呼んだのは、一人の獣人だった。

 魔導師だ。

 この塔には基本的に魔導師しかいないから、当たり前といえば当たり前だの話だが。


「フレンヌは」

「王太子妃補様なら、殿下のお側にいらっしゃるか、と」

「ふん」


 最近、娘は婚約者のルディ王太子殿下のそばに侍り過ぎだ。

 宮廷魔導師長は権力の道具として娘を利用していながら、それでもやはり父親なのだろう。

 義理とはいえ、幼い頃から面倒を見てきたのだ、年頃の娘を持つ父親がする、当たり前の心配を一通り頭の中で数えてから、机の上に広げた分厚い魔導書から顔を上げる。


「お呼びになられますか?」

「必要ない。殿下にお知らせするまでもない。税金を受け取るだけだ。そうだろうが?」

「あ、はい。師よ」


 国政に携わるような越権行為をしていいのだろうかと、彼は口は出さないが耳を片方だけ傾けて、不安を見せていた。


 いくら将来の国母の父親とはいえ、なにごとにもやり過ぎというものがある。

 物事にはちょうどいい落としどころというものがあり、この場合は出国税を関係省庁の頭を飛び越して、教皇に通告したところまで、が許される範囲だと弟子は思うのだ。


 しかし、ガスモンは教皇が用意してきた大金貨五千枚を手にするまで、その手綱をゆるめることはないだろう。

 フレンヌ様の将来に関わることにならなければよいのだが。


 弟子はそう思いながら、塔の最上階に向かおうと席を立ち、歩きだすガスモンの後ろを追った。

 そこに、飛行船が着くのだ。


 しかし、幾つかの疑問もあった。

 飛行船で大金貨五千枚は運べるだろう。

 だが、それがもし金貨なら?

 大金貨一枚は金貨十枚だ。

 五万枚の金貨を運べるか?

 しかし、その受け渡しは?

 国庫に直接納めるなり、それを公的に確認する役人の派遣なり、あとから私腹を肥やしたと言われないだろうか。


 そんな幾つかの不安が渦巻く中、二人が乗った昇降用のエレベーターは、上昇を開始したのだった。




 昇降口が開き、塔の通用口に巨大なかぎづめで係留された、四辺を幌で包まれた前後に収縮する方式の通路を渡ると、そこは飛行船の下部にある倉庫の中だった。

 なるほど、と彼は一つ納得する。


 大金貨なんて流通させづらいものをどうやって集めたのかと思っていたら、それではなかった。

 倉庫の天井高くまでロープでしっかりと繋がれた木箱の数。

 ざっと見ても千は下らない。

 中身を確認のために開かせたら、中には金貨ではなく、市場に大量に出回っている小金貨ばかりがぎっしりと詰められていた。


「小金貨で五十万枚‥‥‥どこからかき集めてきた、ザイガノ」


 嫌味でも言うかのように、同席した老人にガスモンは訊いてみた。


「これでも二十年も神殿経営やっときゃ、貯まるもんも貯まる‥‥‥」

「貯まらないはずのものを貯めた、というようにも聞こえるがな、ヒッヒヒ」


 いやらしさを感じさせる笑い声だった。


「お前だとて人のこと、言えないだろうが‥‥‥」


 意地汚さを覚えさせる声だった。

 権力と若さを捨てきれない、二人の王国を裏から揺るがそうとする老人どもの饗宴だった。

 もっとも、あいにくとそんなものは長く続かないのが――現実なのだが。


「あの木箱が全部そうだというなら、確かに受け取った。そう言っておこう。良かったな、教皇様。まだもう少しは、女神教が続くぞ」

「ふん‥‥‥それも結界がまともに機能すれば、の話だろうが。お前こそ、代替えになるものを作りだしたと殿下に言ったそうじゃないか。どうするつもりなんだ」


 宮廷魔導師長がなに? という顔をする。

 そして、彼の顔が驚愕に見開かれるまで数秒とかからなかった。


「っ……!」

「おい、なんだ。何を驚いている?」


 政敵のおふざけでないその驚きようを見て、教皇は振り返り、そして固まった。


「聖女、様? なぜ、この場に‥‥‥」

「教皇、お前。わしを罠にはめる気か!」

「何を言っている、あの御方がここにおわすはずが‥‥‥」


 などとのたまう悪党二人に、いきなり現れたカトリーナは微笑み、会釈を返してやる。

 それから、教皇の隣に立っていたナディアを見て、悲しそうに目を床に落とした。

 一瞬だけ視線が交差した聖騎士は、自分の行いを恥じたのだろう。頬を赤く染め、それから悔やむようにして俯いてしまう。


 まだ元気というかしぶといのは老人たちばかりで、カトリーナは一緒にやってきた大神官と、もう一人の聖騎士に「どうします?」と首を傾げてみた。


「神殿の公庫から無断での金貨の持ち出し‥‥‥神殿法に則れば、これは死罪に等しい行いです‥‥‥」


 と、彼は予想通りのありがたい判断を下してくれた。


「なっ、何が死罪か。エディウス卿! お前こそ、この現実が見えておらんのか。このままでは女神教は滅んでしまうのだぞ!」

「だからといって、裏で内々に処理をしていいとは限りません、教皇様。王国には王国の、神殿には神殿の方があります‥‥‥その法律の守り手が我ら、聖騎士の役割。見過ごすことはできないことくらい、お分かりでしょう」


 ぐぬっ、と悪党の巨魁二人は唇を噛み締める。

 しかし、ここは非合法の取り引きの現場であり、合法的に彼らを裁ける者は誰もいないのだ。もっとも、神殿に属する教皇と聖騎士ならばそれば別の話かもしれない。

 その意味では、ガスモンを下せる人間など、誰も存在しなかった。


「……神殿のことはそちらで勝手になされれば宜しいでしょう。この金貨は王太子殿下が出国者である聖女一行に命じられたもの。誰も犯罪だと処断することはできない。そうですな、聖女様?」


 と、ガスモンが開き直った。

 あくまで大金貨五千枚相当の税金を徴収する気らしい。


「やれやれ、ジジイども。国益に害なす老害ばっかりじゃないか。人に女神様の宝珠を盗んだ罪をかぶせ、おまけに結界を維持できないからって追い出した人間を連れ戻そうとする。どうせ、あれだろう、宮廷魔導師長。あんた、宝珠がもし無くならなかったとしても、うちの娘を生かしていく気はなかっただろうが」

「なっ、何を根拠のないことを!」

「師よ、あれはどういう‥‥‥?」


 弟子たちの疑惑の視線がガスモンに集中する。

 片方では神殿が。片方では宮廷魔導師が。

 うるさいこと、とカトリーナは騒動のど真ん中にたちながら、小さくあくびをする。


「ふあっ‥‥‥。どうせあれでしょう、ガスモン様。新しい結界がうまく作用したらそれでよし、だめなら私を幽閉して死ぬまで結界を維持させる。成功しても、結界の構造などを他国に知られたら攻められる原因になるから、口封じをしたかった。そんなところ?」

「いや、それは‥‥‥」

「正解でもないし不正解でもない、そんなところかしら。まあ、こちらとしては信徒たちの受け入れをパルテス側が認めてくれたので。これから実入りなのですよ。国を運営するには資金と民と法が必要なのです」

「何を言っておられる、聖女様‥‥‥」


 教皇の呟きに、朗々と述べるカトリーナはめんどうくさそうにしながら、説明してやる。


「南の分神殿の地下金庫に隠されていた金貨はこちらが頂きました」


 と、指先を揃え、手のひらで父親を示してやる。


「なっ‥‥‥ジョセフ! 貴様、裏切ったか!」

「いやいや、裏切ったのあんただろ。しまいには刺客まで放って聖女や私を殺そうとして。恐ろしいじいさんだ」

「……冤罪だ」


 ナディアが大神官の刺客と言った言葉に反応する。


「おじい様?」

「冤罪だ。証拠は!」


 あー醜い場面だなあ、とカトリーナが見ていると、彼女の父親は「聖女様が女神様の名に懸けて誓うと明言なされるなら、それで十分だろう」などと言うから、ナディアに向かいゆっくりと頷いてやった。

 ついでに教皇の退路を断つために、女神に誓約を立てておく。


「そんなっ」

「最低ですわ、おじい様」


 こうなると聖職者というのは意外とあっさりとしたもので、教皇はその場に座り込むと観念したようだった。

 あとはルーファスに捕まえさせればそれでいいだろう。

 問題はガスモンの方だが、こちらは間接的な関係だし、神殿側に裁ける特権も何もない。

 聖女だからといって、何でもかんでも悪を裁けるというわけではないのだ。


 そして、糾弾の火の粉はこちらにも飛んでくる。


「おい、ちょっと待て! わしらの罪ばかりを叫んでいるが、お前はどうなんだ、大神官! 女神様の宝珠をどこにやった。それがすべての発端だろうが!」


 などと、ガスモンが叫んだ。


「そうだ、それさえあれば、こんなことにならなかったのだ。あれさえあれば、女神様の許可をいただければ誰でも結界を操れると言ったのは、大神官! お前だ!」


 と、教皇が息を吹き返した。


「しかし、聖女様がこれまで辛い目に遭われていたというのに、それを無視して結界の維持を任せた御二人がもっとも罪深いのではないでしょうか」


 それまで黙っていたルーファスが優秀な突っ込みをいれる。

 大神官と教皇はそれを聞いて黙らざるを得なかった。


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