第16話 結界と鍵と聖女(時間は有限です)
「獣人たちの参加が多いと?」
執務室も兼ねている六頭引きのその馬車は、普通の箱馬車を二台ほど縦にくっつけた程度の広さを持っていた。
四人が座れば手狭になる自分の馬車と比べて、なんて贅沢なんだろうとカトリーナは不機嫌に片方の眉をぴくりと持ち上げる。
娘のそれを見て、大神官は側に合った杖を取り寄せると慌ててそれを背中に隠した。
ふうん、とカトリーナなは座っている彼を見上げるような形で入り口に用意された収納式の階段に足をかけ、御者の手を借りて車内に上がりこんだ。
「なんだ? 杖はやらんぞ」
「要りません! そんなもの……」
どうやら先日、自分が杖を手にして父親を殴ろうとしたことに、父親であるジョゼフはまだ腹を立てているらしい。
本気で杖で叩かずに未遂で済ませたことに感謝をして欲しいカトリーナだった。
「それよりも、獣人たちのことです。どうするおつもりですか、お父様」
娘は父親の自分と同じ鳶色の瞳を食い入るように見つめた。
大神官はそうだな、と一言前置きを入れると隣に座る若い神官に「もうすこし待てと伝えておけ」と言い、彼らを馬車から外にいくように指示をする。
行列が出発するのをもうすこし後にしろという命令だったのだろう。
待機を伝える鐘の音が室内に響いてきた。
「そんなに時間が必要な話ですか?」
「必要だ。だから、待たせている。お前の質問に貴重な移動の時間を費やすのだから、心して聞きなさい」
やがて二人きりになったその場で、大神官はさて、と話し出した。
「これからも犠牲は必要だ」
「なんの犠牲ですか!」
予期しない返事につい、語尾に力が入ってしまった。
カトリーナの勢いに負けそうになりながら、大神官は杖を手放さない。
「犠牲は犠牲だ。道中がすべて安全なわけでもない。これから向かうパルテスの元国民なら道にも詳しい。彼らは無効の国からこの街道を通って王国へと連れてこられたわけだからな」
「道……案内? そういう話ですか?」
「それだけではないよ、娘よ。王国のなかで安全なのは、王都とその周辺地域。それと街道に女神教の分神殿だけだ。他は国王陛下に忠誠を誓う各貴族の領地になる。我々は戦場の中を歩いているのと同じだ」
わかるだろう、とジョゼフは語り掛ける。
そこには打算的な野心を持つ大神官の顔が見え隠れしていた。
「四方八方、どこから襲われてもおかしくない状況……まあ、そんなところだな」
彼は炎の女神の神官らしく、小さな炎の球を手のひらの上に生み出すと、それになにかを加えて爆ぜさせた。
パンッと小さく乾いた音が車内にこだまする。
外に控えていた騎士の一人がそれを聞きつけて車内に通じる扉に手をかけようとしたが、大神官は問題ない、と片手を振り追い払っていた。
「わたしにも戦え、と。そう言われたい?」
ずっと病身で臥せっていた身でも、信徒の為ならば命をかけて彼らを守ることも必要だと、頭では理解できている。
それでも実際にその争いの場に遭遇したとき、何の躊躇もなく弓を弾けるか、カトリーナに自信はなかった。
「考えすぎだ。お前は治癒や回復といった系統の魔法しか使えないことも分かっている。それに……」
娘の問いを否定して、大神官は言葉に詰まる。
カトリーナは彼の口から次に出てきそうな言葉を連想して、もう一度その杖を取り上げようかという気になった。
「不本意ながら婚約者を奪われて更に男性から捨てられた女ではございますが」
「まだ何も言っていないがな」
娘に会話の主導権を奪われて面白くないのだろう。ジョゼフはやる気を一瞬失い、それから真面目な顔つきを取り戻した。
「今のところ、時間は彼らに有利だ」
「面倒くさい言い回しはもういいです。結界の鍵であったわたしが消えたいま、あのフレンヌが代理になったとして女神様の結界がきちんと機能するとは限らない。それが明らかになるまでの日数が約三か月……、といったところかしら」
「それはこの父の話すべきことだろう、娘よ」
「いえ、どうでもいいので。誰が話そうが結果は同じです。それよりも三か月でたどり着けるのですか、新しい土地に」
この雰囲気だとそれも難しくてさらに新しい土地でも鍵として扱われるなら、また自分は病身に臥せる身になるはずだ。
そうなると婚約破棄されたあの時から、次の土地へ行きついたその時までの限定的な自由しいかないというわけで……。
「このままずっと旅が続けばいい、そんな顔をしているぞお前」
「もしそうだとしたらどうします」
多分、戻ってくるのは聖女に自由はない、とかなんとか。
分かりきったことを尋ねるなとか、政治的な理由のような気がした。
しかし、意に反した返事にカトリーナは耳を疑った。
「別に。好きにしろ」
「好きにしろって! だってわたしがいなければ結界は作動しないし、機能しないはずでしょう」
「それはこの王国に関しての話だ。新しい場所ではその土地に合わせた結界を引く。常識だろうが」
そんなことは神殿大学では初級の教えだぞ、と呆れたように言われカトリーナは面色を失った。
「なら、ここでだって最初からそうしてくれれば……」
自分はあんな嫌な思いなんて何もする必要がなかったじゃない。
そう思ったら、やっぱり聖女は大神官が背中に隠してある杖をぶんどって、彼を殴りつけたい衝動に駆られてしまうのだった。
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