第10話 魔導師長の嘆き(それは嘘です)
それから一月が経過した。
ガスモンの講義の時間がやってきた。
ルディは今度は自室で講義を受けたいと打診し、ガスモンはそれにしたがって南の塔へと姿を現した。
王太子は講義を受ける書斎の間で宮廷魔導師長から挨拶を受ける。
そのときに先日のことは何一つ出さないことにした。
まだ話すには早いだろう。
そう思ったからだ。
「久しぶりです、ガスモン先生。先週は急に休んでしまい失礼しました」
教師の前では王太子でも一人の生徒だ。
礼儀作法は守らなければならない。
ガスモンはコホン、と一つ咳をしてそれに応えた。
「冬から春に変わる季節の変わり目ですからな。お体ご自愛下さい」
「そうします、先生」
そう言い、ついでに彼に聞こえるようにルディはぼやいてみせる。
「彼女がやってきたというのに、まだまだ寒い。でも暖かくないというわけでもない。変な気分です」
「魔導師達は懸命に王宮を温めようとしております、殿下」
ガスモンの眉がピクン、と跳ねた。
彼女とは少し前に城に入った聖女のことだ。
王宮内で魔導師達と女神教の司祭たちが何かにつけて騒々しくなったのも、彼女。
大神官の娘にして女神に選ばれた聖女、そして王太子の許嫁。
カトリーナがやってきてからだった。
「それは知っています。でもうるさいのは好きじゃない」
「……部下には控えるように申し伝えます」
王宮に八本ある塔の一つ。
南の塔は、王太子が住まう場所として知られていた。
王太子ルディは生まれながらにして王太子だった。
将来の王妃となるべき女性が一人いた。
いやすでに決められていた運命だった。
「聖女様がくるともっと雰囲気もよくなると思ったのに」
「あれは一部の者たちが騒いでいるだけでして……はい」
「そう」
ルディは物憂げな顔をしてみせた。
三歳年上の彼女は聖女と呼ばれ、この国を女神の力によって守っているのだという。
王宮から外の山岳地帯を見上げれば万年雪が積もった高峰がそびえたつ。
そちらから視線をしたにずらせば、冬の国土が目に入ってくる。
「聖女様のお力ってどうなんだろうね、ガスモン」
「は? と、いいますと」
緑の森林と枯れ葉色の草原と赤茶けた大地と自分の瞳と同じ苔色の湖。
そのどれもが、冬という死の世界を迎えるわけでもなく。
暖かく、生きる力に溢れていた。
幼い王子は側近に質問する。
「なぜ、もっと寒くならない。物の本では、この国では、今の季節は深い雪に閉ざされていた、とあるぞ。そう、僕の背丈よりも高く。なのになぜ、そうならない」
王子の亜麻色の髪が不機嫌に揺れた。
衛士の一人が返事をしようかと歩み出る。
しかし、彼のそれは別に者よって静止された。
宮廷魔導師長のガスモンだった。
「殿下、それは女神様のお陰でございますよ」
ガスモンは五十代。
白いひげを床ほどまで垂らし、薄くなった頭を魔導師の証である青く四角い帽子で隠していた。
普段、ガスモンは優しい柔和な顔立ちをしている。
陰悪そうな顔は滅多に見せない。
しかし、この男が女神の事について語るときはどこか憎々し気な顔をすることに王太子は気づいていた。
「女神様、ですか。ガスモン先生」
聖女じゃないんだ、とルディは腹のなかで笑ってやる。
現実に存在する者にはどれだけ過酷な真似を……奴隷たちを、あの少女を血だらけにしても平気な癖に、目に見えない神には様をつけて特別視する。
それがどうにもいけ好かない。
「女神様でございます、殿下。我らの生活を支えてくださる炎の女神ラーダ様。その恩恵を忘れてはなりません」
ガスモンは宮廷魔導師長。
王子の王宮内における家庭教師の一人であり、ルディがまだ見知らぬ世界への扉を叩くとき、その案内をしてくれる貴重な教師役でもあった。
「恩恵ですか。でも先生、この国以外の雪が降りつもる国々はどうなのでしょうか?」
「あ、いやそれは……」
「他の国々はここから見えるだけでも、帝国の辺境の地は、雪に覆われて見えますけど」
そう言い、東の方角を指さした。
キラキラと積雪による光の反射がそれに応える。
心に生まれ出た疑問をルディはガスモンに問いかけてみる。
すると、教師は温和なはずの顔にいくばくかの怒りを含んで、こう答えた。
「この世ではみんな等しく幸せを得ることはできません。それは我が国としても同じこと。他国より温暖な気候を女神様に与えられたとしても、その犠牲になる者は出て参ります」
と、ガスモンはベランダ越しに空を見るルディの側に近寄ってくる。
その手には、魔導師が持つ魔法の杖が握られていた。
ガスモンはルディにその先を握らせると、それから呪文を唱えるようにして言った。
「いずれ王宮に上がられる殿下の妻になられる御方。カトリーナ様がその犠牲になられるでしょうな」
どこか寂し気に。
それでいて自分の力が及ばないことを悔しそうに、後悔を込めてガスモンはそう呟く。
なぜそう言うのかルディには不思議だった。
彼は女神派でもなく、王国から古く伝わる魔法に心酔していて、聖女が結界を維持するために犠牲になってもその心は痛くもかゆくもないはずなのに。
「先生も悲しいのですか。聖女様が犠牲になることが」
「それはもちろん」
同意が戻ってくる。
けれどガスモンの肩は震えていた。
悲しみや聖女に対する怒りとかではなくて。
いずれカトリーナがなくなったときに、王国を救うのはやはり魔法だけだと。
その時に向けて周到に準備をし自分たち魔導師の栄光を取り戻すのだ。
なんとなくだけれど、ルディにはガスモンがそう心の中でそう考えているように思えてならなかった。
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