第6話 旅立ち(悩みは尽き果てません)
「それで?」
カトリーナは続きを言えと大神官を促す。
まだ手には彼の杖が鈍くきらめいていた。
話を余計な方向にずらせば容赦なくそれが自分の頭に振り落とされそうで。
大神官は元気になった娘の生気溢れる姿に喜ぶも、どこか勝てない存在になってしまったと嘆いていた。
「いや、だからなっ。実験が成功したからとその報告を、翌日に王宮に届けたのだ。あの宮廷魔導師は……あれだけの試行回数でうまくいくはずもないだろうに」
「たった数回の成功で? それはとても短慮じゃないかしら」
「まあ、数度でも成功したことには意味がある。それも、犠牲……健康を損なうなどの副作用なしでな」
「へー……あのフレンヌがそこまでできたなら、大したものね。何度も成功しているなら、それはそうするでしょう。でもどうしてそう急いだのかしら」
意味が分からないとカトリーナは首を傾げた。
ああ、でもそうだ。
王様は昏睡状態だ。
それを受けるのは王太子と側近たちなわけであり……。
つまりところ、二十年に渡って女神教に活躍の座を奪われた宮廷魔導師たちにとっては、これまでの不名誉を一気に挽回できる機会かもしれなかったわけだ。
「女神教は早く国内に浸透しすぎたのでしょうか? 王族の威厳を失わせるほどに?」
「それもあるだろう。何より、それまでは魔導師たちが自然と戦い国を支えてきた。それがたった二十年でこうも変わってしまったのだ。魔導師たちにとっては悔しかっただろうな」
ああ、と。
それを聞いて理解する。
宮廷魔導師と女神教の溝は深い。
互いに王を支え国民を守るべき存在は、片方は国民を。
片方は王族と貴族の為だけにその特権たる魔力を使うようになった。
病床の身であってもカトリーナは聖女で十八歳だ。
そういった宮廷の裏側のことにも、すこしばかり詳しくなっていた。
だけど、と悲しくもなる。
フレンヌは幼馴染だった。
二つの勢力のそれぞれにカトリーナとフレンヌが立ったのだ。
「虚しい関係……。最初から結界だけ張って、王妃の地位なんて望む必要なかったのに」
そんなことを考えると、ついぽつりと言葉が口をついて出た。
「何か言ったか?」
「いいえ、何も。それで一気に女神教を排除したい勢が立ち上がった、と? そういうこと、お父様」
「そうだ。あの連中、普段はそうでもないくせに悪巧みだけは素晴らしいものがあるな。短期間で結託し、私を罷免しおった。こちらとしては以前から準備していたこの同志を連れて逃げ出すのが精一杯でな」
「そう……。生きていてくれて嬉しいですわ、お父様」
あまり実感の籠もらない声でそう言うと、カトリーナは杖を父親に返した。
馬車に大神官が吐いた安堵の声が漏れていく。
「……私としては、去れば国民に迷惑がかかるのは分かっていたから。あの二人、王太子とフレンヌが相思相愛っぽいことも気づいていたし。だから、婚約破棄までは受けるつもりだったんだけど」
「おや、そうだったのか……」
「ええ。可能なら養子でも頂いて、聖女のあとを継がせようかとも、考えていたの。フレンヌの魔法は王太子と同じで自惚ればかりだから。私達もとりあえず王国には恩義があるでしょう? でも嫌になりました」
やってられません、とカトリーナは亜麻色の豊かな髪を手で後ろに流してやった。
あのままだと、……よくて、側室だし。
あんな男の子供なんて産みたくないし。
「未来を危惧しすぎました」
「それは心配してもどうにもならんときもある」
「この後この国はどうなるのかしら」
「考えても仕方ないこともある。我々はこの国を去って新しいところでやり直そう。それが一番いい」
二人で一人の男性を盛り立てていくのも悪くない。
そう思っていたから、カトリーナは養子をもらうことを考えていたのだ。
そのまま女神様に許可を頂き、次代の聖女としてルディに忠誠を誓わせれば神殿はより安泰になる。
養子になる子供にはかわいそうだが、それよりも国民のことが大事だ。
いつか自分がこの国に戻ってくることになるのではないかと、カトリーナは心のどこかでそう考えていた。
「去るとしてどこに行くつもりですか? 西の方、とだけしか聞いていませんが」
あそこだ。
大神官は車窓から遠方向かって左側を指さした。
そこは西のラッド山脈が青々とした岩肌を見せ、そのはるか下には茶色くくすんだ大平原が見て取れる。
あの辺りにある国といえば、狼だか犬だかの獣人の部族がそれぞれ点在して住む、草原国家があったはずだ。
「パルテス、という大きな国がある。国王は女神様の妹、大地の女神様を信じているそうだ。姉妹で丁重にもてなしたい、神殿を建立し、国の教えにもしたいと打診があった」
こんな申し出は二度とないかもしれないと、大神官はほくほく顔で報告する。
それよりもイスタシアの民が厳冬から抜け出られなくなっても、心は痛まないのかしら。
あちらもこちらも考えなければいけないことに、カトリーナは再びめまいを感じていた。
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